福田千里の名言 一覧

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福田千里のプロフィール

福田千里、ふくだ・ちさと。日本の経営者。大和証券社長。東京出身。京都帝国大学卒業後、藤本ビルブローカー銀行(のちの大和証券)に入社。創業者平賀敏の秘書、本社支配人代理、門司支店長、投資組合部部長、台北支店長、本店債券部長。旧日本信託銀行と合併し大和証券になったのち、取締役、常務、専務、副社長などを経て社長に就任。日本証券保有組合の設立に尽力した。大和証券野球部長。

とかく会社というものは、古くて大きくなると消極的になりがちだ。私はそれを心配した。古い伝統を持つ大和証券に、ぴちぴちとした若々しい活気を盛り込みたいというのが、いまに変わらぬ私の念願である。


昔から石橋を叩いて渡るという言葉がある。渡る前に叩いてみるという細心の注意は必要だが、叩いてみて安全だと見極めながら渡らずに終わるものもある。それだけは駄目だ。大丈夫だと思ったら、思い切って渡ることだ。そこに細心大胆という言葉の持つ貴重な意味がある。


私は藤本ビルブローカー銀行から藤本ビルブローカー証券、さらに藤本証券から大和証券へと40年もの年月をまるで馬車馬のようにひたすら一本道を歩いてきたまでのことである。
【覚書き|大和証券の前身となる藤本ビルブローカー銀行からずっと一筋で頑張ってきたことについて語った言葉】


大和の野球部は私の道楽でやっているわけではない。私は、野球というスポーツのチーム・ワークを尊ぶ。これなくしては国も企業も家庭生活も成り立たない。自分のチームを勝たせたいのは人情というもので、それはそのまま愛社の精神につながるし、またときおりの試合を通して相手会社との親善にも大いに役立っている。私の野球を礼賛する根拠はそんなところにある。


仕事にしても、野球にしても、踏み出したからには絶対に強くならなければならない。それなのに、いつも負けてばかりいる大和の野球部に我慢できなくなってきた。専務時代のことだったが、私は進んで会社の野球部長をかってでた。幸いなことに、そのうちだんだん強くなって5期連続優勝ということになった。
【覚書き|証券業者同士の野球試合をしていたころを振り返っての発言。】


私たちは、毎日うんと仕事もしたが、夜ごとに繰り広げられる社交場にも出入りしなければならなかった。それが仕事のひとつでもあったからだ。いきおい出費のかさむのが当然だが、時々本店から「門司支店の業績は認めるが、それにしても金の使い方が、ちと荒っぽすぎる」と注意されたものである。けれど私は、金は使っても、それ以上に仕事の成果があがればいいじゃないかという考えだったので、部下に対してもその方針でやらせていた。
【覚書き|門司支店長時代の発言】


石橋をたたいて渡るような細心の注意は必要であるが、いったん安全だと見極めたら、思い切って渡るべきである。 【覚書き|上記発言は社長就任スピーチでの言葉。先輩で元大和証券社長の平賀敏氏に教えを受けた「細心大胆」を社訓とすると宣言し、その後につづけた言葉。】


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