福原義春の名言 一覧

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福原義春のプロフィール

福原義春、ふくはら・よしはる。資生堂名誉会長。資生堂創業者の福原有信の孫。慶應義塾大学経済学部卒業後資生堂に入社。取締役外国部長を経て、社長、会長。東京都写真美術館館長、企業メセナ協議会会長、日仏経済人クラブ日本側議長、日伊ビジネスグループ日本側議長、世界蘭展組織委員会会長、銀座通連合会会長、日本広告主会長、慶應義塾評議員なども務める。忙しい中でも著作を執筆出版している経営者

自分を磨くためには、大きな人に会うことです。対面すること、対面しようと努力することで、人間力は確実に強まるのですから。


まず、私たちが美しくなろう。お客様が支持してくださるのはそのときです。


たかが文字かもしれないが、正しく使うことが企業の品格を表す。


社外の人とつき合い、会社以外の世界を知り、自分の肥やしとすること。囲われた会社のなかだけでは、社会の嵐に負けない強い「根」が育つことは、決してないのだから。


いま、30代のみなさんは、自分の仕事や会社の理不尽さが身に沁みていることだろう。組織や慣習の壁にぶつかることも多いはずだ。だが、それでも負けずにその思いを胸に秘めてほしい。いつかそんな会社を変えてやろうと、いまやるべきことを黙々とやることだ。


会社なのだから、利益を上げることが第一の価値だとおっしゃる方もおられるかもしれません。しかしながら、昨今の様々な企業の不祥事を見るにつけ、単純な利益第一主義では、会社を存続させ発展させることはできないという思いは強まるばかりです。


企業の背骨とも言える価値観の体系を、どう遺伝子として組織に残していくか。経営者は自らと対話し、価値基準を見定め、それを語り部として次世代に伝えなければなりません。それが後々企業の見えざる資産となっていくのだと思います。


企業もまた大きな社会の流れの中にいます。事業を拡大し、利益を上げるのは、経済主体として当然の行動ですが、それだけでは十分ではありません。我々は何のために存在するのか、というアイデンティティをしっかり持てない企業は、パラダイムの転換の中で振り回され、やがて衰退の道をたどるでしょう。


私たちは現在、価値観の大転換時代の渦中にあります。バブルに沸いた1990年代を失われた10年と嘆く向きもありますが、私は違うと思います。虚栄の時代を経験した人々は「人間はお金だけでは幸せになれない」というごくまっとうな結論にたどり着きました。多くの日本人がお金以外の幸せを探しはじめ、日本社会は成熟化の段階を迎えています。


社訓や社史を編纂することで、創業の精神を伝えようとしている会社も多いでしょう。しかし、トップが自分の言葉で、直に社員に語りかけることに勝るコミュニケーションの方法はありません。公式の場ではなく、相手の息遣いが直接感じられるような温かさ、親しさの中で、酒でも交えながらじっくりとお互いの本音を語り合う。そんな飾らない議論の場で、会社の遺伝子は受け継がれていくものなのです。


社長に在任していた10年間、私が最も心を砕いたことのひとつに、会社の遺伝子をどう伝えるかということがあります。企業にはそれぞれ、独自の社風があります。それは創業以来、様々な出来事を通して自然に醸成された慣行や価値観の集大成と言ってもいいものでしょう。その中には、良いものもあれば、悪いものもあります。良質な遺伝子だけを次世代に残していく。これは経営者にとって、とても大事な仕事だと思います。


早く育てようと年中肥料をやれば、根は傷む。毎日一定の時間に水をやっても、過湿で根は腐ってしまう。丹念に面倒を見ればよく育つわけでもない。蘭には蘭の生活リズムがあり、それに人間の方が合わせなければ、最良の状態にはならないのである。【覚書き|部下の育成法を自身の趣味のラン栽培に例えて語った言葉】


資本主義の会社はもちろんお金が資本になっていますから、資本は再投資しなきゃいけません。再生産ということは、資本を使って商売をして利益を得て、そしてまた資本を蓄積していく。しかし本当にお金だけが会社の経営の本質なのだろうか?人間も資本だし、会社に勤めている人材の持っているノウハウとか、あるいは特許権とか、あるいは技術上の熟練とか、すべてのものが経営資源になり得るだろうと思うのです。


会社というものは株主の投資によって資金をいただいておりますので、それに対して適切なリターンをお返ししなければいけない。これは当然のことですが、本当にそれだけで動いていていいのでしょうか?そういうことだけで動いている会社で、失敗している会社がいくつもある。そうじゃなくて昔から有名な会社で立派なお仕事もされて、経営もよくて、世の中に名前もよく知られていて、社会のためにいいことをしている。そういう会社もあるわけです。


あるところまでは生活水準の向上は絶対に必要です。だけどそこから先はお金だけじゃなくて、何ものかがないと心が豊かにならない。それは何かということをずっと考えていくと、結局は人間が作るもの、人間が考えるものであり、文化であるということに気が付く。


日本は経済成長の中で豊かな生活を実現してきました。どんどんお金を儲けて、どんどんいい家に住みたいと。その先に何があるかというと、もう自分は豊かになったのだけれど、なにか気持ちとして豊かではない。もっと豊かなものがあるはずじゃないかというふうに思い始めている人が出てきたというのが私の心の底にあるわけです。


会社に入ったら会社のために働くことは当たり前です。会社はそのために給料を払っているわけですから。だけど、会社という場を使って、自分を人間として大きくしていくにはどうしたらいいだろうかということを考えることが大切だと思うんです。会社に入れば会社が自分を大きくしてくれると思っているのは間違いです。あなた自身の成長が会社を大きくしていくのです。


会社というのはある意味でいうと、人間がたくさんいる工場みたいなものでして、大変苦労することがあると思うんです。だけどその中で、自分を見失わないようにしていく。あるいは自分がほかの人と一緒であればいいかなというそんな甘い考えを持たないで、自分は自分なのだ、自分はこれをする使命があるのだ、自分はこれをしたいのだ、ということをはっきりしていけばいいんです。


よく自分探しと言いますけど、あんまり自分探しに深くのめりこんじゃって、何が何だか分からなくなっちゃうような必要はぜんぜんない。自分は社会に対して何をしてあげられるのか。もしボランティアをしてそれが役に立てばそれでもいいじゃないですか。そのうち、さらに自分が何であるかということをもっと深く知るようになると思う。そうすると自分らしい自分を考えていく。そして人と付き合っていく。さらに社会の中で成長していく。そう考えることが大事だと思うんです。


人間には「生きる技術」と「生きる意味」がある。生きる技術というのは英語を学ぶことやIT技術をマスターすることです。だけど、もうひとつ「生きる意味」というのがあると思うのです。生きる意味は人間にしかない。つまり自分はどういう存在であるのか、自分でできることは何なのか、自分は社会に対して何をしてあげられるのかということを考えられるのは人間だけです。それが生きる意味だと思うのです。


一般論では司令官は有事の時と、平時のときとでは、違った方が良いと言われる。だが、これからの経営者は有事に対応することを常に求められる。【覚書き:社長就任9周年の年に語った言葉。価格破壊と業界再編成が始まり、化粧品業界で今後も生き残っていく意気込みを語った際の発言】


現在、実際の経済はどうかというと、計り知れない事態が発生してきています。分離が経済をむしろ自己破壊的な方向へ導いていると言っていいかもしれません。そこで出てくるのが「非分離」です。モノには経済性だけでは計れない多元的な価値があり、経済とは、画一的なものではなく、個々の活動それぞれが、個性を持った具体的な事象なのです。これからは、周囲の自然環境や社会環境を踏まえた「非分離」な経済の構築がされていくでしょう。


学者の方々にブレーンをお願いしてディスカッションをしているんですが、そのブレーンの人たちは、すべて物事を「非分離」で考えていかないといけない時代になるのではないかというようなことを言っています。これまで我々の経済はまわりの自然であるとか、社会であるとかそういったものから分離して、その自由を推進力として、物質的展開を遂げてきたわけです。純粋な利益追求が経済発展へのよりよい手段であると多くの人が考えてきました。


21世紀になると、人間とその他の物事、たとえば商品とか環境とか、そういうものごととの関係が変わってくる。いままで、全部人間を中心に考えていたわけですけれど、これからはそうではなくて、環境の中に人間がいるのだというふうに考えていかなければいけないと思っています。


30代でニューヨークの販売会社社長を務めたとき、本社は商品を送るだけ送って、「なぜ売れない!」と販社を責める。売れるわけはない。当時は日本の商品のラベルを替えただけで、中身はそのまま。宣伝もなにもないのだから。一事が万事、そういう感じだった。しかし、そんな状況でも、「早く日本に帰りたい」と思ったことは一度もなかった。アメリカという「外」からは、自分の会社や日本という国がよく見えたからだ。この経験が、その後どれだけプラスになったかわからない。帰国してからも自分の思いが通じないことは多々あったが、そういう逆風に負けない「根」を、駐米時代に養えたのだと思う。


「ニューヨークの販売会社に赴任してくれ」といわれたのは、35歳のとき。青天の霹靂だった。当時は長女もまだ生まれたばかり。気は進まなかったが、これも務めと、家族とともに渡米した。私が社長を務めることになった資生堂コスメティックス(アメリカ)は、現地の百貨店の求めに応じて急遼つくられた会社だった。社員は、社長の私を入れてわずか3名と、現地採用の秘書が1名。業務は混乱し、帳簿のありかさえわからないなど、会社として機能しているとはいえないありさまだった。そんな状態だから、私はありとあらゆることをやった。商談はもちろん、ファッション誌に新製品を紹介したり、電話番に配達、倉庫の整理も、私の大切な仕事だった。「なぜこんなことまで?」と自問することもあったが、やらなければならないこと、やるべきことを懸命にやるだけだった。


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