石塚粂蔵の名言 一覧

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石塚粂蔵のプロフィール

石塚粂蔵、いしづか・くめぞう。日本の経営者。日本製鋼所会長。東京出身。東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、日本製鋼所に入社。イギリスの兵器メーカーのビッカースに出向後、日本製鋼所室蘭工場次長、事務部長などを経て社長に就任。戦後同社を兵器メーカーから民需メーカーに改革し、再建を成し遂げた経営者。そのほか、大阪野村製作所社長、昭和飛行機工業社長、日本兵器工業会会長、日経連理事なども務めた。

そりゃあ切れば血の出る人間のことだから、長い勤め人生活には、嬉しい日も悲しい日もあった。しかし、悲喜こもごもの一切をのんで、とにかく同じ会社にあってここまでやってこられたということは、私にとって「ありがたい」という一語に尽きる。


どだい働く意思のない一般の人たちを、権力で職場に引っ張ってきて働けといっても無理な話だ。


よく人生観とか人生哲学とかいう言葉を耳にする。だが、学校を出てそのまま会社に入り、会社そのものには紆余曲折はあっても、私自身は一本調子でやってきて、やがて社長になり会長になった。したがって私には、これといった人生観も人生哲学もないし、また語る資格もないようだ。しいていえば、人の世のことはすべてこれ「運命」であり「縁」であって、私はただそれに従ってきたまでの話である。


会社に人事や経営の面で何度も大きな変動があったが、ひとつの会社でどうやらつつがなく過ごしてこられたということは、何ものにも代えがたい喜びである。戦後のパージ(公職追放)期間中を除けば、終始一貫同じ場所で禄を食んできた。結婚しても子宝に恵まれなかった私は、平凡なようだが、顧みて幸福な男だと思っている。


碁、将棋などもやったが、ひとつとしてモノにならなかった。玉突きもよくやったが、これもあまり上達できなかった。大弓にはかなり熱をあげたおかげで名誉付きながら2段をもらった。ゴルフの腕前もしれたものだし、何ひとつ自慢の出来るものはない。しかし、ものごとはあまり名人達人になっては面白くない、というのが私の持論だから始末がいい。


いつも生活の設計図を会社の運命に結び付いて描いてきた。平凡なようだが、顧みて幸せな男だ。
【覚書き:日本製鋼所に入社し、社長・会長を経て引退まで勤め上げた自分の人生を振り返っての発言】


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