皆木和義の名言 一覧

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皆木和義のプロフィール

皆木和義、みなぎ・かずよし。日本の経営コンサルタント、歴史作家。岡山出身。早稲田大学法学部卒業後、今里廣記・日本精工元会長の側近として活動したのち、経営コンサルタントとして活動を開始する。平成ニュ-ビジネス研究所所長、ハードオフコーポレーション社長、経済産業省消費経済審議会委員なども務めた。また、歴史作家としても活動し、『武蔵の学習力』『楽土の商人』『観見の一振り』などの著書がある。

褒美の与え方にも信玄は工夫を凝らしていた。戦国時代、一般的な褒美は金貨だったが、信玄はあえて大小の刀や家紋入りの羽織を褒美として与えていた。合戦の場では、目覚ましい働きをした部下にすぐ褒美を与えられるように、手元に刀や兜が置いてあったという。金かは使ってしまうが、刀や羽織なら、身につけるばかりでなく、あとで自分より下の者に譲ることもできる。すると、それを見たものが同じものを欲しがって競い合うように手柄を立てるようになる。


武田家の家臣、高坂昌信が書いたとされる甲陽軍鑑には、信玄による「武士の良し悪し、一夜限りの定め二ヶ条」が収められている。一ヶ条は「真面目な人間は大きな働きをする」。二ヶ条では「不真面目な人間は大きな働きはできない」とする。重要なのは、信玄がこれらを一夜限りの定めとして、評価は一夜で大きく変わると考えていることだ。一度下した評価にとらわれず、毎回成果を重視する姿勢を明確に打ち出している。


人を見た目で判断せず、能力で判断する信玄の姿勢としては、山本勘介の重用が象徴的だ。勘介は謎が多く実在すらも疑われる人物だが、上杉謙信との川中島の戦いでは、啄木鳥(キツツキ)の戦法を編み出すなど卓越した戦略家として名を残している。甲陽軍鑑によると、背が低く色黒の醜い男で、隻眼のうえ片足も不自由だったという。このため、長い間仕官することができなかった。今川義元は勘介の見た目を気味悪がり寄せ付けなかったが信玄は違った。信玄は見た目に惑わされず、本質で人を判断した。


信玄は「自分が人を使うのは、その人の業(わざ)を使うのだ」という言葉を残している。リーダーが人を使うとき、肩書や見た目で人を判断せず、その人物がどのような能力を持っているかに重点を置くべきということである。


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