畑村洋太郎の名言 一覧

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畑村洋太郎のプロフィール

畑村洋太郎、はたむら・ようたろう。日本の工学者、工学博士。工学院大学教授、東京大学名誉教授。専門は失敗学、創造的設計論、ナノ・マイクロ化工学、知能化加工学。東京大学大学院機械工学学科修了後、日立製作所に入社。数年間勤務したのち、東京大学工学部で助手、講師、助教授を経て教授。その後、工学院大学教授となった。

失敗をバネに成長できる。これが失敗の持つプラス面。


成長の影には失敗があり、これを繰り返しながらひとつひとつの経験を知識として自分のものにしていける。


失敗を活用してそこから何かを学ぶには、失敗の原因を理解する必要がある。


失敗を直視し、その経験から積極的に学ぶことで、次に起こる失敗を防げる可能性が高まる。


失敗と上手につき合い、失敗から学ぶためにも、まずは「失敗は恥である」「減点の対象である」と考える今の文化を変えていく必要がある。


制御できないものを制御できると考える「完全制御志向」を改める必要がある。


数字センスの肝は、数字を作り、数字を踊らせる点にあり。


私は子供の頃からずっと数字を作り、踊らせてきた。今に至るまでずっとね。


数字に強い人とは、ものごとを数量的に良く考えることができて、しかも覚えておくことができる人です。こういう人は、ものごとの全体像がきちんと頭の中に入っていて、その全体像の絡みで数を考え、覚えられるのです。


「伝える」と「伝わる」は違います。こちらがいくら正しく伝えたつもりでも、相手の頭の中で同じ要素と構造が再現されていない限り、何も伝えていないのと同じことです。


いま社会が求めているのは、与えられた問題を解く「課題解決力」ではなく、事象を観察して何が問題なのかを見抜く「課題設定力」です。いくら解法を知っていても、解くべき問題を間違えていたら、成果をあげることができません。


世の中には頭のいい人がたくさんいます。ただ、彼らが見な創造的な仕事をしているとは限りません。それは、一度解いたことのある問題を解くことは得意でも、何を解けば新しい価値を生み出せるかという課題設定を苦手としている人が少なくないからです。


いま多くの企業で行われている会議は、情報の伝達のみを行うのみの儀礼です。そうではなく、ディベートをすることで、個人知を共有知へと変えていく。議論して個々人が自分の知識をぶつけあえば、それぞれが自分に欠落していた知識に気づくはずです。それにより、個人が持つ暗黙知の表出と共有が可能になるのです。


ビジネスマンだったら、思考を熟成させるときは、まず自分より一つ上のポジションで事象をとらえ直します。課長なら部長、部長なら役員になったつもりで、「上の立場ならどう判断するだろうか」と考えるわけです。自分なりに考えがまとまっても、そこで終わらせてはいけません。次は自分の横にも目を向けます。もし自分が課長なら「他の課長はどう考えるだろうか」「他の会社はどう見ているだろうか」というように、横展開するのです。山の頂上に登ったからこそ、まわりにある森や川の存在に気づくのです。上と横に視座をずらして考えなおすことで思考はさらに深まるのです。


課題設定で最初は間違うことも多いでしょう。しかし、仮説と立証を繰り返すうちに、自分が大事にしたい価値、あるいは社会が求めている価値が見えはじめ、課題設定の精度やスピードが向上してくるはずです。


見学時は、メモをほとんど取りません。印象記(見学後に印象に残った出来事を書く記録)を書くのも、見学のあと一週間から10日経ってからです。記録が目的のひとつであるのに、なぜメモを取らないかというと、メモしなければ忘れてしまうような情報は、それほど価値のある情報ではないからです。逆にいうと、問題意識をもって観察すれば、必要な情報は時間を経ても頭に残っているはずです。残った材料だけで、十分に知見を深められます。


相手に分かりやすく伝えるために、表現をかみ砕いたり、やさしい言葉に置き換える工夫は、多くの人が実践してきていることでしょう。ただ、言葉の置き換えには注意が必要です。言葉は別の言葉と一対一で等価に対応しているわけではないからです。たとえば「コモンセンス」という言葉を辞書で引けば、「常識」や「良識」といった訳語があてられています。ただ、日本語に置き換えると微妙にニュアンスが変わってしまうのです。


価値のあるテーマを設定するには、自分の目でものを見て、考えて、決めて、行動するしかありません。何を解くべきかを教えてくれる人は誰もいません。自分で仮説を立て、試行錯誤を繰り返して課題を見つけていくほかないのです。


私の場合、アウトプットした文章を寝かせるのではなく、書く前に思考を熟成させることを意識しています。いきなり書きはじめると、インパクトが強いだけの情報に思考が振り回されることがありますが、時間を空けると、余分なものが削ぎ落とされて大事な情報だけが残ります。もちろん情報を寝かせている間にも、頭はフル回転しています。


印象記(見学後に印象に残った出来事を書く記録)は誰かに見せることを前提としていませんが、書くときは人に見せても伝わるように整理しています。第三者が見ても理解できるということは、観察した事象を自分がきちんと抽象化・知識化できているということを意味しています。抽象化・知識化していない雑記は、単なる感想文です。知見と呼べるレベルまで高めてこそ、あとで自分の仕事に活かすことができます。


相手に伝わりにくそうな言葉があれば、その言葉が使われていた社会的状況や、言葉を使っていた人々の生活や考え方についても一緒に言及してみましょう。背景を同時に伝えることで、言葉の意味をより深く相手に伝えられるはずです。


文章を上手に書けるだけでは、あまり役に立ちません。価値のあるものをテーマとして設定してこそ、はじめて人に読んでもらえます。文章について悩む人は、どう書くかに心を奪われがちですが、問題は何を書くかということです。


暗黙知はいくら文章化してマニュアルを作り込んでも共有できません。マニュアルで伝えられるのは、知識の基本構造のみです。そこに個々人の経験した情報を付け加えても、同じテンプレートのない相手には拒絶されてしまうだけです。


本来、文章と図や絵には等価性があり、量などの制限がなければ、どちらでも情報伝達が可能です。それを踏まえたうえで、相手に伝わりにくい文章は図や絵で、図や絵は文章で補う工夫が必要です。


英語の言いかえを考えるときに限られますが、私がよく活用するのは、ウェブスターの英英辞典です。この辞典は、概念を他の言葉で代替するのではなく、それを構成する要素について解説を試みています。さらに嬉しいのは、初出がいつで、時代とともに概念がどのように変化したのかという時間軸まで加わっている点です。時間軸を加えると、概念を立体的に把握しやすくなります。これは日本の辞書に見られない特徴です。


相手に正確かつわかりやすく伝えるためには、文章かビジュアルかという二者択一に陥るのではなく、お互いを補完し合うような形で使うことが理想です。写真で具体的に現場を見せて、文章を書きこんで事実を補足します。こうすると文章とビジュアルの相乗効果で、「1+1」が「2」どころか「5」にも「10」にもなるのです。


自分の持っている知識やノウハウを文章化して後進に伝えたのに、結果的に何も伝わっていないことがあります。どうしてこのようなことが起きるのか。それを説明するには、まずものごとが「わかる」仕組みを紐解く必要があります。相手が「わかる」状態になるには、まず要素を過不足なく伝える必要があります。たとえば知識を構成する要素が5つあるなら、きちんと5つ伝える。そして構造を伝えます。部品だけでなく、設計図を一緒に伝えるのです。


文章だけでは正確かつ分かりやすく伝えることが難しいとき、助けになるのが図や絵や写真といったビジュアルです。ただ、図や絵が文字より優れた伝達手段だと言いたいわけではありません。文章は情報量や具体性で劣りますが、事実を事実として説明するという点では、むしろビジュアルより優れています。


全体構造がわかれば、文章の構成は難しくありません。いきなり関係のない要素が割り込んできたり、本来なら因果関係のあるキーワードが離れ離れになるといった混乱も防げるはずです。


管理を徹底すればするほど、現場は言われたとおりにしていればいいという形式主義に陥ります。また、売上や利益などの数字を追い求める数量主義に走ると、現場で起きていることがわからなくなります。その結果、不祥事などの危機的状況が生まれてくるのです。


ハイテンションのまま、ものごとを判断しようとしても間違いを起こす可能性が高くなります。トップは間をおいて冷静さを取り戻すことも大切です。


経営トップはいつも仮想演習を頭の中で繰り返していることが必要です。不祥事が発覚した際に外部が知りたがるのは、いつ、どこで、どんなことが、どういう経緯で起きたのか。その結果、会社にどのような影響が出てくるのか、社会に与える影響としてどのようなことが考えられるのか。それらの影響は長期化しそうなのかどうか。また、金銭面や人的、組織的な損失はどうなのかということなのです。それらをまとめ、日ごろから演習を行っていれば、その時点で言えること、言えないことを含めて頭の中を整理することができます。


ものごとの科学的な理解には、要素の摘出とその構造化が必要です。考えを構造化するとき、思考展開図をつくってスタッフとディスカッションすることもあります。いわば「知的なチャンバラ」です。そうやって試行錯誤を繰り返すと、いいものができます。


視察中にメモを取るのは時間の無駄でしょう。写真も必要以上は撮りません。それよりも、自分の目であちこち眺めて、脳に印象を植え付けるのです。写真に依存すると「あとで写真を見て確かめればいいや」と思ってしまいますから。


メモは書きとめたことを仕事に活かすのが本来の目的です。メモを取ることに一生懸命になるよりは、相手の話をちゃんと聞いたり、じっくり観察したほうがいいですね。


「本を読みながら線を引く」といいますが、それは違います。読んで大事だと思うから線を引くのです。つまり線を引いた個所は2回読んでいるということです。いったん読み終わったあと、赤線の部分だけを追いかければ、その本のエッセンスが短時間に頭に入ります。


上司は、個の価値観を確立し、ものごとをよく観察している部下を、一人でも二人でもいいから見極め、チャンスを与えていく。さらに、そこで挙げた成果を正当に評価し、それに見合った処遇を行う。そうすると、同僚や部下の意識や行動に変化が表れる。その連鎖反応が次々と起こり、会社全体を「失敗に学び人を成長させていく組織」へと変革していく。


経営トップも人間なのだから、間違いを犯す。怠ってはいけないのは、社員が発した重要なサインを見逃さないこと。「まさか」と思うことであっても、自分の考えが間違っているのではないかという度量を持つことが必要。


経営者はマイナス情報を上げてきた部下の立場を守るだけではなく、積極的に評価して、失敗に学ぶ企業文化づくり、組織運営を経営者自ら率先して行い、部課長らの中間管理職を変革していく必要がある。


上司から意見を求められることは、部下にとって最大のチャンスなのだ。的確に答えられなかったりして、2度、3度とチャンスを潰していくと、「使えない部下」とのレッテルが貼られてしまう。日ごろからスキルを磨いておく必要がある。


自分なりに正しい判断ができるようになったとしても、子分である部下が踏み外してはならない掟がひとつある。それは「でしゃばりすぎるのはよくない」ということである。親分である上司は様々な選択肢の中から最終判断を行う。部下から見て、その判断に問題があっても、「自分はこう思う」と口に出してはいけない。あくまで部下の役目は、上司がより正確に判断を行えるように、材料を集めて提出することである。


部下道の奥義というべきものが、よく周囲を観察し、考えることである。


生産現場の一担当者として働いていたとしても、目の前の作業標準や品質のチェックリストを、単なる生産の効率をアップするためのものとは見ない。仮にそこで「より良い製品を作って社会を豊かにしていく」という価値観を持ち得たら、社業標準に反した作業が行われ、不良品が出荷されるのを見たら、その後の自らの行動は定まるはずだ。


私が考える部下道の第一歩は、体制に流されないものの見方をしないことからはじまる。ここでいう「体制」とは、会社の文化や考え方であり、一切脇目を振らない利益追求も含まれる。部下は会社から給与をもらって家族を養ってはいるが、一方では社会と関わりながら働いている。その社会との大きなかかわりの中で、個々の価値観を確立していく必要がある。


  1. 自分は仕事を通じて社会とどう関わっているか
  2. 最近の事故多発をどう感じるか
  3. いますぐやるべきことは何か

といったことを職場でみんなで考えて、一人ずつ発表させるのです。狙いは、考える習慣を作ることです。それもただ考えるだけでは駄目です。考えてしゃべらないと、思考回路が頭に根付きません。


最近の企業には「もし火事が起きるとしたらなぜか」という結果からの発想が欠けているような気がしてなりません。事故に限らず、設計やプロジェクトの遂行も同じ。出発点からどのようにして効率的にゴールに到達するか、ということはよく考えますが、その逆の視点が欠けているのです。


たいていの人たちは皆、真面目に一生懸命働いています。ですが、その真面目の質が問題なのです。成功への方程式を上手くやるということだけの真面目さではなく、「もし問題が起きるとしたら何か」と考える真面目さが必要だと思うのです。


マニュアルも現場に即さないものになっているケースが意外にあります。工場で従業員がロボットの検査をする際に、ロボットを囲む柵外から行うように決められていたが、実際には柵内で動く様子を見ないと本当の不具合がわからず、中に入って自己を起こしたという例もありました。でも悲観する必要はありません。失敗は必ず多くのことを教えてくれますから。


企業は皆、組織が分化し、それぞれが自分の持ち場で効率よく働くことが重視される仕組みになっています。改革が叫ばれ続けていることですが、やはり細分化の弊害は残っていると思います。


効率化のために、企業はいろんな場面でマニュアルを精緻に作り、成功への筋道を確保しようとします。しかし、最近の工場の事故が示すように、それには必ず漏れがあるのです。どれだけ隙間なく問題をつぶしてマニュアルを作ったように思っても、漏れはあるものなのです。だからこそ、物事を進める際には、失敗した場合から発想し、そのためにいま何をすべきかという考え方が大事だと思うのです。


いまの企業の中では、真面目ということの質が変わっていないだろうか。最近、頻発する工場の火災や爆発事故を見てそう感じています。私は組織や人の犯した様々な失敗を研究し、その中から新たな知恵を学ぶ失敗学というものに取り組んでいます。この視点で見ると、いまのビジネスマンたちは自分で考えるということを忘れかけていないかと思えるのです。「もし問題が起きるとしたら何か」と考える真面目さが必要だと思うのです。


結局ね、数に強くなりたいと願うなら、本を読んでいるだけではダメなんです。数字を作って、暗算して、電卓を必死に叩かないと。頭と手を必死に動かして数字センスを鍛えましょう。


暗算をするときには学校で習った「答えは1つ」という発想は捨ててください。正解が10なら、9でも11でも、とりあえず答えられればいい。とにかく数字に置き換える姿勢が何よりも重要。


数字センスを高めたいなら、目の前の事象は何でも、数に置き換えてみる。数として捉えさえすれば、あとは足し算、引き算、掛け算、割り算で事足ります。肝心なのはどういう姿勢を心がけるかという最初の前提です。


「自分は数字センスが欠けている」と嘆くビジネスパーソンがなぜ多いのか。それは身の回りで起きている事象を「数として捉える」、あるいは「数を作る」ということを強く意識していないから。無自覚に、何となくやっているんですね。


人には、受けたダメージから回復する「回復力」が備わっていると私は考えています。しかし同時に、人は弱いものでもあります。失敗した直後は誰でもショックを受けたり傷ついたりするものです。こうした時に失敗と向き合いきちんと対応しようとしても、必ずしも良い結果は得られません。そんな時はいったん背負っている荷物を降ろし、苦しい状況に潰されないためのちょっとしたコツを身につけましょう。


失敗した時、「つらい」「苦しい」といった気持ちが生じたらしめたものです。その時、失敗の経験がその人の中に根づきます。すると新しい知識を受け入れる素地ができる。


失敗はいつも結果として表れます。起こるに至った経過はその時点では見えていない。しかしその後、同じような失敗を繰り返さないよう、その失敗を生かすためには、失敗という結果に至るまでの「経過」=「脈絡」を自分で把握する必要がある。


「失敗から学ぶ」とは、ある失敗を次に起こり得る失敗の防止に役立てることです。そのためには失敗が起こるに至った原因や過程を脈絡をつけて記述することも大切。


「失敗例を多く知ることが、失敗対策のカギになる」というのは誤解です。失敗例から学び、教訓や知恵にする知識化の作業がなければ、失敗対策を知ったことにはなりません。


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