犬丸徹三の名言 一覧

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犬丸徹三のプロフィール

犬丸徹三、いぬまる・てつぞう。日本の経営者。帝国ホテル社長。石川県出身。東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業後、満州鉄道が経営する中国の長春ヤマトホテルに入社し、ボーイ、コック、金庫係、スチュワードなどを経験。その後、上海、ロンドン、ニューヨークなどの一流ホテルで修業を積み、帝国ホテル副支配人に招かれる。常務、取締役、専務を経て社長。国内数多くのホテル建設・運営に携わり、日本のホテルサービスのレベルを引き上げた人物。

当時ロンドンのホテルでは、パリの一流ホテルで3年間アプレンティス(徒弟)修行をしていることが条件であったが、コック長は日ごろからの私の精励ぶりを認め、支配人に頼んでその経験のない私をコックに抜擢してくれたのである。かくて私は長年待望のコックとなった。


私は支出を切り詰め、もらうチップは全額これを貯蓄していった。単身異郷で生活するにはいざというとき頼り得るのは金銭のみであることが、私にはよくわかっていた。世間には宵越しの金銭は使わぬといって自慢する人がいる。この考えは、裏返しすれば、独立心なく依頼心のみ多いことだ。私は青年時代、外国に流寓して金銭の尊さを身を持って知った。時は金なりというが、同時にまた、金は時なりと私は声を大にして言いたい。
【覚書き|ロンドンでのホテルマン修業時代を振り返っての発言】


私はタバコ好きでそれまでは1日の消費量が数十本に上っていたが、この船中で禁煙した。これは自己の決意と節約を考えての一石二鳥を狙ったものである。以来40年、現在まで絶えてタバコを手にしたことがない。
【覚書き|本格的にホテルマンの仕事を学ぶため、当時勤めていた上海バリトン・ホテルを辞め、欧州に渡ったときを振り返っての発言】


(ロンドンのホテルに窓拭き係として雇われたとき)このホテルにはもう一人窓ガラス拭きがいた。すでに初老を過ぎた男で黙々として毎日仕事に精神を注ぎ込んでいるかに見えた。窓ガラス拭きは汚い仕事であり、しかも危険が伴う。私は心中ひそかに彼を軽蔑した。ある日、なかば揶揄の気持ちを込めて質問してみた。「君は毎日このような仕事を続け、それをもって満足しているのか」彼は窓を指して静かに言った。「イヌマル、(拭った窓、拭っていない窓)双方を見比べてみろ。拭えば綺麗になり、綺麗になれば、その一事をもって私は限りなき満足を覚える。自分はこの仕事を生涯の仕事として選んだことを後悔していない」私はこの言葉を聞くに及んで、一瞬何かに深く打ちのめされたごとく感じた。


帝国ホテル新館の開業披露の当日、大震災が発生するとは、なんたる運命の巡り合わせであろうか。すべては天なるかな、命なるかなである。しかし、この災厄は同時にこの建築の優秀さを実証する結果をもたらした。ホテルは倒壊もせず火災をも免れたのである。最初の激動の中で、私は建物の倒壊については何の不安も持たなかった。ホテルの窓ガラスはそれから続いた前後数十回の振動にも1枚だに破損しなかった。


長春のヤマトホテルは、満鉄直営の近代的な大建築で、これが私の職場であった。最初に与えられた仕事はボーイであった。客に頭を垂れ、慇懃なる口調で語ることがなかなかの難事で、私は一言発するごとに顔面高潮するのを押さえることができなかった。はなはだしく自尊心を傷つけられた気持で、絶えず劣等感に襲われた。しかし日数が経過するにつれて、仕事にも慣れ、制服姿も不自然ではなくなった。


私は即座に返事ができなかった。ホテルの使用人、それはしょせん客商売にすぎない。最高学府の過程を修めながら人に揉み手をして低頭する卑賤な職業にまで身を落とさなくてもよかろう。
【覚書き|一橋大学を出て、満州鉄道に職を求めたところ、ホテルの仕事を示されたことを振り返っての発言。大学の恩師に相談しホテル入りを決意。この後、中国大陸へ渡りボーイとなり、日本を代表するホテルマンへの道を歩み始めた】


前後9年間にわたるこの通学が、ある意味では、その後の私の心身に大きな影響を与えたことは確かである。私の早起きの習慣はそのころ養われた。私は現在も一年を通じて毎日必ず日の出とともに起き出で、午前7時過ぎには田園調布の自宅を出て帝国ホテルへ向かうのを常としている。
【覚書き|旧制小学校中学校9年間について語った言葉。犬丸氏は往復16キロの道のりを徒歩通学し、無遅刻無欠席で卒業した】


帝国ホテルをはじめ、各ホテルが接収された。進駐軍のホテル接収はその後7年間にわたったが、この間に私は進駐軍将兵の日本に対する認識を深めることに力を注いだ。ホテル内外の清掃を怠らず、日本人は清潔好きな国民であるとの観念を彼らに植え付け、高度の味覚を認識してもらうために料理にはとくに心を砕き、そのほかにも、日本の文化を彼らに紹介し、日本固有の美術品や工芸品を通じて日本への愛着を抱かせる方法を企画し実行した。


自分はこれまでただ自分のためにのみ働いてきた。そのためにロンドンに一人知己もなく、わびしいクリスマスを味わねばならなかったのだ。今後は可能な範囲で人のためにも働こう。
【覚書き:ロンドンでのホテルマン修業時、クリスマスで寂しい思いをしその後の人生哲学を確立したことを振り返っての発言。】


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