熊谷直彦(経営者)の名言 一覧

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熊谷直彦(経営者)のプロフィール

熊谷直彦、くまがい・なおひこ。日本の経営者。三井物産会長。大正生まれ、兵庫県出身。京都大学卒長後、繊維貿易公団を経て、第一物産(のちの三井物産)に入社。インドネシアのジャカルタ駐在員、ポルトガル法人社長、本社人事部長、常務、専務、副社長などを経て社長・会長。そのほか、ニューオータニの取締役、三井生命保険監査役などを務めた経営者。

バブルの後処理というと経済に限った問題と思いがちですが、心の持ち方の問題もあるような気がします。戦争に敗れ、新しく国際社会の中で生きていかなくてはならないということで我々も努力してきたわけですが、今度は努力しすぎて日本人は自分を見失ってしまった。欧米から学ぶものは何もないとか、バブルのときにはそういう雰囲気もありましたよね。


インドネシアに赴任した当時の最大の問題は、相手の支払い能力でした。インドネシアも戦後でカネがなかった。つまり、バーターではないけれど、まず物を買ってあげないことには繊維であれ何であれ売ることができない。だから、農産物やゴム、スズといった原材料の買い付けに走り回りました。そういうところから戦後日本の貿易は始まったわけです。この「片道通行的な仕事では伸びていかない」という発想はいまに通じています。


最初の赴任地はインドネシアのジャカルタでした。事務所はまだ冷房もなく、ホテルとは名ばかりの陋屋(ろうおく)に部屋を借りて、二人の先輩社員とそれこそ朝から晩までがむしゃらに働きました。私の担当は繊維。当時、日本の輸出の6割が繊維製品で3割がインドネシア向けだったから、どんなに生活環境が悪くてもやりがいだけはありました。


50年にわたる商社マン人生に区切りをつけ、思うことがひとつあります。国際化とはいったい何かということです。会社生活の3分の1以上を海外勤務で過ごしたお前が何を言うかと笑われるかもしれませんが、日本と日本人の国際化はどうも「出ていく国際化」に重みを置きすぎてきた気がしてならないのです。いま、日本に求められているのは「内」なる国際化、「受け入れる国際化」です。


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