為末大の名言 一覧

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為末大のプロフィール

為末大、ためすえ・だい。日本の陸上選手。広島県出身。全国中学生選手権100m・200mでそれぞれ優勝し2冠を達成。高校生時代、国体400m障害に初出場で優勝。以後、400m障害をメインとし、世界陸上で銅メダル、日本選手権1位、世界選手権3位(日本人トラック種目初のメダル)、アジア選手権3位などの華々しい成績を残す。シドニー、アテネ、北京オリンピックに出場を果たした。

他者の評価で満足を得ようとすると、世論から距離を置けなくなり、本来の自分の軸がブレる。


成績を出した過去の自分と競争するのではなく、今の自分の力を最大限出そう。


挑戦した価値や、失敗からの教訓を重視できれば、立ち直りは早くなるはず。


失敗や敗北はつきもので、それ自体に毒はないと考えられれば、心は軽くなる。


「こうしたい」という強い動機を持ち、「すべての挑戦は失敗ありき」と考えられるかがポイント。


自分という存在を客観的かつ多角的に見る。その方法の1つは、「人生という長い時間軸」で物事を見るクセをつけること。


僕は好奇心旺盛で、相手が返答をくれたあとも聞き続けることもある。とことん納得したい思いが強い。


現役時代の終盤は、アキレス腱が痛くてジャンプを伴う練習がつらくなった。そこで「この練習の本質は何か」をとことん考え、アキレス腱に負担をかけずに同じ効果を出せる練習にスイッチした。


インターハイで好成績を目指す高校と、オリンピック選手を輩出する高校は比較的分かれているんです。いますぐの勝利を目指すか、将来伸びる選手を育てるかの違いでしょう。


夢を追いかけ続けている状態こそ、ふり返ってみれば成功なのではないでしょうか。


成功か失敗かは死ぬまで分からない。突き詰めれば、成功と失敗は他人には評価できないとも思います。


真の意味で幸せをつかむためには、しょせんは他人の価値観にすぎない社会的評価から自由になり、自分独自の「勝利条件」を見出さなければなりません。


無理なこと、適性のないことで努力をしても、結局は勝つことができず、「負けた」という意識だけを引きずってしまいます。


自分にできることに絞って能力を伸ばしていくほうが、成功の確率は高まります。私の場合、チームプレーが苦手ですから、子供時代にサッカーなどの球技を選んでいたら、頭角を現すことはできなかったでしょう。


僕は早くから陸上に打ち込んできたから、知らないことを恥ずかしいとは思わない。


いまは多くの人との出会いから情報を集めて、勝負の土俵を探っている状況です。金メダルへの挑戦は終わりましたが、世界一への挑戦はまだ終わっていません。これからまた、新しい挑戦を始めます。


負けても諦めず、もう一勝負を挑む人が多い。でも、違うカテゴリーで勝負を挑むという手もあります。前者は、まさに同じ土俵で再挑戦することで、後者はすでに勝負はついたと考えて土俵を変えて別の戦いを挑む。スポーツに限らず、企業も人も日本の場合は前者が美談になりがちです。だからいつまでも同じ戦いを続けることが多い。僕もそういう気持ちがありました。でも引退したいま、次に世界一に建つ可能性がある勝負は何だろうと模索しています。


国内ではあまり負けませんが、海外では悔しい思いをする。そこで負けを認めるのは難しい。でも、次にどう勝負を挑むかが重要だと気づきました。


大阪ガスを辞めてから、賞金が出る海外のレースで走りました。日本の整備された練習環境で育った選手とは違い、海外の選手は貪欲で「しのぎを削る」という言葉がよく似合う雰囲気がありました。そこでの戦いは、やはり興奮します。高いレベルで戦いを挑まないと、成長しないと実感しました。


私にとって大きな存在だったのがライバル選手でした。競技に限らず、社会において敵との戦いは存在します。心の中では、「ライバルなんて現れない方がいい」と思っていました。「こいつがいなければ、勝てる」と思うし、楽に頂点にたどり着けるわけですから。でも、こうした困難な存在が目の前に現れることによって、乗り越えるべき壁が見えて必死に努力する。気がつけば、自分がかつて想定していたよりも、ずっと高いレベルに到達していました。過去を振り返ると、自分が終われたり、新たなライバル選手が台頭してくると、私自身の好成績につながっているのです。


一人で生きてきたわけではありません。多くの方に支えられて、競技を続けてきたんです。とくに、母の後押しには感謝しています。私の人生で、幾度となく訪れる転機で、母は決断を支えてくれました。といっても、強い後押しではありません。競技人生の道はいつも自分で選んできたのですが、その都度、母は「その選択がいいと思っていた」と言ってくれました。


努力こそが勝利への道。そう考え続けてきましたが、才能や運が占める比率が高いと感じ始めました。どれだけ努力しても勝てない選手がいる。なぜ自分はトップになることができたのか。社会に対してどんな役割を果たすべきなのか。そんなことを考え始めました。


6月に行われた日本選手権の予選で敗退し、ロンドン五輪の出場は果たせませんでした。2~3年前には、ロンドンのレースを自分の現役最後のレースと心に決めてトレーニングに励んできました。最後の五輪で、決勝の舞台に残り、メダル争いをする。それが自分が考える理想の結末だったのです。でも、日本選手権の予選で敗北し、想定よりも早く引退することになりました。悔しい気持ちもありますが、晴れやかな気持ちでもあります。34歳というのは、障害競争の選手としてはかなり高齢です。また、私のように170cmという小柄な選手は世界のトップ層にいません。ここ身体でこの年までよく頑張ったなと思います。


「自分がなぜそれを目指すのか」と認識している人は、失敗しても、この失敗が自分にとって何を意味するのか、どんな影響があるのかという解を見つけやすい。


一般的に言われる努力は、目標に向かって力を尽くして積み重ねる行為をイメージします。1時間の練習を2時間やったら、2倍努力したと言う。でも、行動前に、「自分が何をやるべきなのか」「何のために実行するのか」と考える努力は、日本人はあまりせず、人任せにする場合が多い。僕は、こうした自問する作業は、「努力」という行為の半分以上の領域を占めると思っています。


僕は米国で1人になる時間が多くて、「速くなって何の意味があるのか」などと、自問自答ばかりしていました。明確な答えが見つからないことの方が多いけれど、一体、自分の問題意識の矛先がどこに向いているのか、はっきりしてくる。そこには自分の軸となる要素があって、それを見つけるためにも、自問力は重要だと思います。


究極の世界を覗いて認識を変えてみる。例えば、宇宙についての話を聞くとか、1000年後を予測する人の文献を読むとか、世界一に挑戦する選手の姿を見るとか、世界の貧困層について調べてみるとか。それで何かが急に変わることはないけれど、自分の悩みの内容の狭さに気づき、認識が変わる。無理にポジティブに考えようと思い込むより、自然と前向きになれると思います。


僕はスポーツ嫌いで有名な方に、「たかが五輪でしょう?」と言われたことがあります。自分が人生をかけてきたものだから、その瞬間はカチンとくる。でも、たかが五輪なんですよ、違う視点から見れば。五輪で負けても、人生終わらないですから、それは間違いではない。人は何に正しいと思い、正しくないと思うのか、そんな視点のサンプルを集めておくと、挫けそうになったときに、多様な思考で打開できると思います。


「挫けない力」に必要なのは、「ふてぶてしさ」だと思っています。マイナスイメージもある言葉ですが、マイナスになる時は、失敗を失敗のまま置いておくから。勝敗や成否の枠を超えて、何が一番大事なのかと本質を見いだすのが重要で、それができれば心は強くなる。


未知の領域で挑戦するからこそ、失敗の確率が高いのは当たり前で、サイコロを振るような話と同じです。勝率は低いと認識しながら挑戦し、失敗しても自分なりに完了して、次の挑戦に向かえる人。それが、挫けない人なのだと思う。


スポーツだと、金メダルを獲った瞬間の自分の姿を想像しつつも、「昨日できなかったことが今日できるようになった」ということに小さな喜びを感じられるから続けられる。


ある程度“知らない”ことも大切なのかもしれません。実は私も、18歳のときに「ハードルではアジア人が決勝に残ったことがない」ということを知ったんです。でも、もう他の競技を選び直すこともできない。私もそういう状況を知っていたら、ハードルを始めていなかったかもしれません。


これまでもいろんな研究者の方に、研究領域が定まっていった経緯を聞いてきたんですが、意図的でなくその道に入っていったという方が多いんです。「気づいたら、世の中が自分の研究領域に寄ってきた」というような。


世界をみても、34歳のハードラーはなかなかいません。しかも、僕が27歳で銅メダルを獲ってから7年も経っていて、僕がロンドン五輪でメダルを獲るとは、誰も期待していない。そんななか、「獲ったら、みんなビックリするだろうな」と、一人でアメリカのグラウンドで虎視眈々と練習しているのは、本当に幸せでした。


結果がすべての世界で生きていると、自分への要求はどんどん高くなっていきます。すると、満足できるレースがどんどん減っていく。そのなかで頑張るのは苦しい。1、2年もすれば誰でも燃え尽きてしまいます。大切なことは、自分の外側に目標を置くのではなく、自分の「モチベーションのフック」が何かを知ること。そのためには、まずは自分を観察することです。僕の場合、自分で立てた仮説を検証したり、人をビックリさせたりすることが、モチベーションのフックです。


僕も銅メダルを獲ったらゆっくりできるかなと思っていたら、「次は金メダルを獲らなければ」という話になって、「これは参ったな」と思いました。「金メダルを目指します」と口ではいいながらも、自分の実力は察していますから、どこかでそれを否定している自分がいる。そこで、金メダルという「山頂」をモチベーションにするのではなく、その山頂へと登るためにいま頑張るモチベーションをどこから得るかを考えるようにしました。そのために、生きる意味についてなど、自分なりに納得がいくまで考えました。


スポーツ選手の場合、メダルを獲るまではモチベーションについてあまり悩む人はいません。ところが、2個目のメダルを目指すとなると話が違ってきます。「メダルを獲れば安泰」というほど、人生はシンプルではないことが実感されるからです。1年もすれば、みんなに忘れられてしまう。「何のためにやっているんだろう」と悩むのです。


長期的なモチベーションが湧いてくるのは、「いまやっていることは確かそうだ」「この方法は間違っていない」、そして「意味がある」と感じられるときです。「自分がやっていることは、果たして合っているのだろうか」という迷いがあると、モチベーションが下がってしまいます。


現役時代の終盤は、自らの体で実験して理論を実践していった。今度は一人の体ではなく、組織を相手にした本当のマネジメントが始まる。何にでも勝てるとは思っていないが、陸上以外で勝てるものがどこかにある。それが何かをこの1年ぐらいで絞っていきたい。


テーマのひとつは、スポーツ選手が引退後に進むセカンドキャリアの後方支援だ。たとえば指導者になるためには、人や場所をどうするかなどの問題が出る。それを後ろ側で支える教育系のプラットフォームになれば、選手も起業しやすくなる。


いまの自分は「元陸上選手」以外に、明確に何者だとはいえない。政治の世界にもまったく関心がなく、できればタレント以外の道に行きたい。可能性のひとつとして経営への道を探っている。社会に価値を提供し、インパクトを与えるには、組織を大きくするのが一番だ。


教育の分野には以前から興味があった。中でもコミュニケーションにはすごく関心がある。世の中への情報発信にツイッターを活用しているが、ツイッターだと辛辣な議論が交わされるのに、リアルに出てくるとみんな表面上で話をする。その間を取れないか。ぶっちゃけ系のコミュニケーションがあってもいいだろう。


欧州でレースを転戦したり、米国を本拠地に活動したりしてきた、これまでの経験からすると、日本人は議論で物事の問題点をあぶり出すことが弱いと感じている。そこで議論のできる人間を育てる場を作りたいと考えた。それが為末大学だ。


模索することは大事です。天分や天職まではいかなくても、「これを全うすれば、自分の人生に納得がいく」ものを見つけるためには、ある程度選択の幅は必要でしょう。幅を持つことで、人生の成功や幸福に近づけると思います。


日本では早くて6歳、多くは12歳までにスポーツを始めます。たまたまその地域で盛んな種目を選択しただけなのに、指導者は「一度始めた以上、あきらめてはいけない。やりとおせ」と言う。日本で、本人の適性と種目のミスマッチが多いのはこの構図が原因で、しかもこのミスマッチは一生解消されません。ミスマッチの解消を「逃げ」とみなす文化は、実は日本の社会全体に強くあると思っています。


最近、スポーツ界では体罰が問題になりました。あれは言葉力不足が原因だと思います。言葉で自分の意図や意思をしっかり伝える技能が発達していないために、伝わらないことによるイライラが爆発し、体罰が起きているような気がします。言葉によって人生が変わることがやはりあるはずです。


陸上の指導者にとって言葉は大切です。僕の年齢であればまだ身体を使って手本を見せることができますが、40歳を過ぎると身体の動きが鈍くなって、自身では見せられない。そのとき指導するには、言葉しかないわけです。


お金は重要だと思います。でも、それは自在であるために必要だからです。僕は、競技人生の終盤にスポンサーがすべて離れてしまい苦しい思いをしました。そういう状況では、貧すれば鈍すると言うよりも、「貧すれば屈する」という感じで、心理的にも屈してしまうわけです。それを痛感したので、やはり何かに縛られずに自在であるためには、お金を稼ぐ、もしくはその能力を持つことは重要だと思っています。


いろいろ試してみると自分の天分にも気づきやすいと思います。やりたいことを10個ぐらいやれば、どれが自分に向いていて、何を全うすべきかというものが見える。一個やるだけではなかなか見つけるのがむずかしいでしょう。だから、たくさん経験をして、たくさん学ぶのです。


たとえば僕が会社をひとつ上場させて名誉職にでも就けば、周囲は「あの人は成功した」と思うでしょう。一方で、これもたとえ話ですが、ウガンダに行って陸上の普及に人生を賭けたものの最後に銃殺されてしまえば、「あの人は失敗した」と言われるかもしれません。でも、どちらの人生が幸せで成功したかは僕にしか分かりません。つまり、どんな人生を送るにせよ、自分が考える成功を追いかけるためには、社会の目や批判から自在であることが非常に重要だと思います。


僕がとても好きな言葉は「自在でありたい」というものです。競技者だったころから、そのとおりだなと思っていました。特に僕は社会の目から自在でありたい。元アスリートの話を聞いていると、なかなか目標を切り替えられない人が多いのです。ほんとうに周囲の目から自在になって、新しいものをきちんと見るようにすれば幸せ感も高まるし、もっと新しい人生が開けるはずです。


引退後のアスリートが不幸に見えてしまうのは、分かりやすい成功のイメージのみが残ってしまい、ついうしろを見ながら生きていくからです。これは元アスリートが抱える切ない問題で、どうしても「(現役時代の)あのとき」に縛られてしまうんですね。


僕としてはインパクトを与えることで人々の意識を変えたい。常識が変わる前には、必ず何らかのインパクトが関わっていると思います。とにかく意識が変わるようなことを起こし続けることが大事です。


成功というものは、確かなもの、確定したものではないと思います。というのは、うまくいっていた人生が、最後の一日で全部ひつくり返って失敗することもありうるからです。反対に、いろいろな失敗があっても、最後の最後に「これでよかったんだ」と幸せに死んでいけたなら、その人生は成功である気がします。


陸上競技はやはり「勝つことすなわち金メダルを獲ることが成功」というのが一般的な認識になる。その意味では、世界陸上選手権で3着どまりだった僕の競技者としての人生は、失敗だったのだと思います。でも、そのこと自体に後悔はないし、身体能力に恵まれた人たちと海外で向き合って、よくあそこまでやったなという満足感はあります。


18歳で初めて経験した世界大会で、僕が勝てなかった日本人選手たちがみな予選落ちするのを目の当たりにして、日本での一番がひとつの島での一番でしかないことを痛感しました。そして、自分の目標が小さかったことに気づき、100メートルという世界に現実味を感じなくなっていったのです。そのときからは、僕にとっては「世界に出る」ことがとても重要になっていきました。


僕はサプライズというものを非常に大事にしています。社会に驚きを与えたり、世の中にインパクトを与えたりすることで、人の意識が変わり、変革が起こると思うからです。


僕の競技者としての人生は失敗でしたが、人生はサドンデスのトーナメント戦ではなくリーグ戦です。僕にとっては、もう次のシーズンが始まったので、ここでまた勝負して、死ぬ瞬間にどう思えるかが大事だと思っています。


100メートル走をやっていた頃、記録が伸び止まり、自分がほんとうの一流ではないことに気づきました。そして、「だとしたら、身体的にトップではない人間でも勝てるものは何だろう」と考えるようになったのです。それから、自分の人生に対する考え方がより戦略的になっていったように思います。


私は34歳で現役を引退するまで、「足が速い」という価値基準にしばられてきましたが、引退後に出会ったさまざまな業種の人たちは、当然ですが別の価値観を持ち、それぞれが輝いていました。思っていたよりも世界は広い。業種や国籍、世代の違う人たちと積極的に交流することで、私はそのことを実感しました。ビジネスマンも、もっと「外」に目を向けてはどうでしょうか。


世界にはさまざまな価値基準があるのだということを、まずは知ることが大事です。そして自分なりの勝利条件を定め、その方向へ進んでいくのです。


人生の勝利条件は本来、その人の価値観によって決まります。「子供を無事に育て上げ、幸せな家庭を持たせること」が勝利条件だったら、仕事では無理な働き方をせず、出世も収入もそこそこでいいはずです。定年後に庭先で孫たちと遊ぶことができたら、その人は成功者です。他人の価値観でどう見られようと、関係ありません。ところが、「会社で出世すること」だけが絶対の価値だと思い込んでいたら、円満な家庭を持っても内心の満足がありません。出世に背を向けた自分を「怠け者」だと感じるのは、おそらくはそのせいです。それはもったいないことだと思います。


私は100メートル走からハードル競技に転向しました。世界ジュニア陸上競技選手権大会に参加し、世界のトップレベルを肌で知ったことが一番のきっかけでした。「このまま100メートルで勝負を続けたら、日本では勝てても、世界でメダルに届く可能性はゼロに近い」そう痛感したのです。一方、ハードル競技なら世界との差は大きくない、という実感も得ました。だから私は、「世界で勝ってヒーローになる」という勝利条件を満たすには、ハードルに転向するのがいいと判断したのです。結果、世界陸上で2度も銅メダルを獲得できたのですから、理にかなった転身だったと思います。


社会で広く共有されている価値基準の下で、すべての人がナンバーワンになるのは不可能です。また、社会に認められたい一心で努力を重ねていると、ふと「自分は本当は何を喜びとしているか」、すなわち個人としての価値観を見失ってしまうかもしれません。すると、成功しても本人は幸福を感じられなくなってしまうでしょう。


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