清水正孝の名言 一覧

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清水正孝のプロフィール

清水正孝、しみず・まさたか。日本の経営者。東京電力社長。神奈川県出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、東京電力に入社。主に資材畑を歩み、福島第二原子力発電所の総務担当、関連会社スーパーネットワークユー(のちのジェイコム千葉)出向、本社資材部長、取締役、常務、副社長などを経て社長に就任。そのほか、日本経済団体連合会副会長、日本原燃会長、電気事業連合会会長、日本広報学会会長なども務めた経営者。

先端分野に挑むためには、研究投資と設備投資が不可欠です。これは活力がなければできないし、中途半端では成果も出ないでしょう。


私は、福島第二原発に3年間勤務したことがあります。ここは、原発サイトのすぐわきに集落があります。そういう集落を歩いてみて、目に見えない放射能というものは、本当に不安だろうなと思いました。その不安をどう解消するのか。原発が安定的に稼働していることをわかりやすい言葉でお伝えし、あらゆる情報を公開していく以外にありません。これを積み重ねて積み重ねて、地域との信頼関係を築いていく以外に道はありません。


変革期には「3C」の精神が大切です。チェンジ、チャレンジ、そして臨戦態勢になるほど重要性が増すコミュニケーションです。


企業像を考えた場合、うちは公益事業であることが最上位にきます。電力の安定供給。嵐になれば現場にみんなで駆けつける。パブリックユーティリティであるという点が会社のDNAです。その組織の原動力となる人材には高い倫理観や社会的使命感が求められます。


40代でケーブルTV会社に出向し、大変なカルチャーショックを受けました。外に出てみて初めて東京電力がいかにお役所かということに気づいたのです。前例主義、たらい回し、コスト感覚もメーカーから出向してきたほかの同僚とはまったく違う。これまでのやり方は通用せず、ちょっと慌てました。そのとき「いや、仕事の表面上のやり方や職場の体質は違っても、仕事の基本は変わらないはずだ。いま自分がすべきことは何か」と自分に言い聞かせました。ジタバタしそうなときほど足元をしっかり固めることが大切だと痛感しました。


当社は「失われた10年」と呼ばれた1992から2003年の長期不況期に、最高の人数を採用しています。減らしたのはむしろ回復期に入ってからです。不況を理由に採用数や人材像は変えていません。今回の不況期も、製造業などは採用減の方向なのでしょうが、当社は逆です。人材確保の必要性は高まっています。


昔(の東京電力志望者)は「東京電力に入りたい」という安定志向が強かったのは否めません。現在は、「東京電力に入って、こういう仕事をしたい」と職種に対する意識が明確です。燃料調達など「商社的に国際舞台で活躍したい」とか、「自分の専門の法務の仕事を」など、答えが具体的です。昔は「何をやりたいの?」と聞くと、「まあ企画あたりを」などと漠然としていましたから。
【覚書き|事業者用電力自由化前後で人材がどう変わったかとの質問に答えた言葉】


電力自由化とは、当社にとって、規制産業だったものが市場のメカニズムによって競争するようになるということです。そのため仕事を徹底的に見直す必要がありました。自由化に向かう時期、私は資材部長として発電所施設の部品・部材の一品一品の価格や調達方法まで徹底的に調べる方向に舵を切り、コスト削減を図りました。それまでは必要なコストを積み上げてから利潤を上乗せして料金設定してたので、コスト削減といっても従来とは内容が違います。


私は以前から「看脚下」という禅の言葉が好きで、社員にも折に触れて話してきました。暗闇でも足元をしっかり見ろ、ジタバタするな、原点を見失うなというほどの意味です。この言葉をいまこそ噛みしめたい。社員たちにも、そうあってほしいと思っています。


荒木さん(荒木浩社長)の頃から東電は変わりました。千葉火力発電所の建て替えのときは、徹底的に競争の世界に持ち込みました。結果、長年取引していたGEではなく、三菱重工さんにお願いすることになりました。価格は信じられないほど下がりました。東電は、荒木さんの時代から徹底的にコストを削ってきたのです。


電力の流通(送電、変電、配電)ってのは電力固有の世界なんです。業者さんは、他に行き場がない。東電としても、彼らの工事力、生産力がなくては困る。かといって、追加発注できない。しかし、温情主義というわけではありませんが、パートナーを大切にする東電の伝統は守りたかったのです。
【覚書き|1990年代末、設備投資費が半分になるなかで、業者への発注タイミングを平準化し、極力多くの業者に仕事を回すシステムを提案したときを振り返ってのコメント】


資材はモノを買うわけですが、東電はボリュームバイヤー(大量購入客)ですから、物の買い方が半端ではありませんでした。ところが、97年ごろから設備投資が激減しました。約2兆円あった設備投資が半分になりました。とくに、流通(送電、変電、配電)の落ち込みが大きかった。


学歴が能力と関係ないことは、うちの役員の出身校を見てもらえばわかります。もう、社長は東大法科という時代ではありません。出身部門も関係ありません。そんなことにこだわっていたら、生き残れません。


社長になるのは確かに重荷です。しかし、引き受けるといった瞬間、自分の中にある力強さが生まれます。そして、自分も知らなかった自分の大きさにあるとき気づくことになります。社長になるとは、そういうことなのです。


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