浅野秀則の名言 一覧

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浅野秀則のプロフィール

浅野秀則、あさの・ひでのり。大手ピザチェーンのピザーラ創業者。慶應義塾大学卒業後、某ベンチャー企業に入社するも3か月で退社。ビデオショップ、ウーロン茶の輸入、ラーメン店などを創業するが鳴かず飛ばずの結果に終わる。その後、ピザーラを創業し大成功を収める。ピザーラを運営するフォーシーズグループは和洋中問わず店舗を広げ、630店以上に達している

僕はピザーラを始めるときに、フランチャイズで事業拡大をしていこうということは決めていたんです。他社と同じ土俵で戦うのはやめにしようと。その結果、外国からの押し付けではない、日本人による日本人向けのフランチャイズを展開しようと思ったんです。たとえばアメリカのようなドライなやり方ではなく、もう少しウェットでファミリー的、一度加盟したからには運命共同体として、我々本部も面倒を見る。どちらかが強いということではなく、共存共栄みたいな形のものが一番いいと。僕はそれが非常に重要だろうと思ったんです。


ピザーラにたどり着くまでは、いろいろな事業を起こして、失敗もたくさんしてきました。一度就職もしているんですが、自分のスケジュールを人に決められることに耐えられなくて、三か月で退職。それで、自分はサラリーマンに向いていないということがわかりました。


一つの成功というのは1ではなくて、一つの成功モデルを見つけると100につながっていくんです。ですからスタート時の成功モデル作りは非常に重要だなとその時学びました。それからギブ・アンド・テイクの精神で行けば、必然的に事業はグーっと伸びていくと思います。


この事業(ピザーラ)は僕にとって娘のようなもので、フランチャイズは嫁に出すのと同じ。それがお金儲けのためだったら、ちょっとあんまりじゃないですか。フランチャイズ契約の面接で1000件くらいお断りしました。もしそれを全部取っていたら、いまごろ潰れている店も多かったと思います。


社員に社長の気持ちになれといっても、なかなかこれが通じない。ところが、一方で自分が報酬を払う立場になると、その気持ちがよくわかるわけですね。そういう意味で、フォーシーズに対するロイヤリティー意識も高まりました。教育の意味でもうまく行きました。【覚書|ピザーラにはピザーラ・サクセス・システム(PSS)という「社員が会社に勤めながら自分のフランチャイズ店を持つことができる制度」がある。上記はPSSがスタッフに及ぼした影響についての発言】


お客様との関係を、僕はギブ・アンド・テイクと考えているんです。これは、まず与えてから取るということ。でも、世の中の場合、大抵テイク・アンド・ギブなんですよね。まず取ってから与える。さらに当時はテイク・アンド・テイクというのが多かったんですよ。儲からないのに儲かると言って、どんどんフランチャイズを集める。どんな商売にしてもそういうことが多かった。


直営店でまず実行してノウハウを積み重ねることは、フランチャイザー(本部側)としての使命です。常に、まずうちをよく調べてください。うちもあなた達のことを調べます。それで、お互いに納得して、本当に共存共栄できるならやりましょう。という形で話しています。商売に対してウソをつきたくないからです。


我々の初期のビジネスモデルでは、月400万円売上たら儲かる仕組みだったんです。それが月1000万円を突破した。当時は一店舗オープンするのに1200万円程度必要だったんです。つまり、一か月の売り上げで一つお店ができちゃうわけです。【覚書|テレビCMをはじめて打ったころについての発言】


いろいろ研究していく中で、デリバリーでは出せないピザもあるわけなんです。たとえば、サーモンのピザ。高温のオーブンで焼くとただの焼き鮭になってしまうんですが、生地だけ焼いて、上にフレッシュサーモンを乗せるとすごくおいしいピザができる。またはレタスやトマトなどのフレッシュな素材をトッピングするのは、お店じゃないとできないんです。その次なるフランチャイズや、商品開発のための実験店舗、それが外食事業部の始まりだったんです。


それならアメリカから来たドミノピザとは違って、僕たちは日本人の女性をターゲットにしたピザを作ろうじゃないか。ドミノピザがマクドナルドだとしたら、うちはモスバーガーのような存在で行こう。これをコンセプトにしてピザーラを始めたんです。【覚書|上記はドミノピザのフランチャイズをやりたいと思い問い合わせたところ、直営のみでフランチャイズはやっていないとの返答を受けたときを振り返っての発言】


社員にいつも言っているのは、会社を拡大するとき、いつ社長に抜擢されてもいいように、常に自己啓発をしておいてくれということです。これが最大のポイントですね。一流の人たちも、自分と同じ人間なんです。同じ人間なんだということを実感してほしいんです。自分もやればできるんだと思ってほしい。それを気付かせたいわけです。


自分が「もうこれでいいんだ」と思った瞬間に企業は終わるし、自分自身も終わると思っています。だから、必ず何か新しいことをやり続けていきたい。せっかくうまれたからには、いい夢を見たい。そんなふうに思っています。


最初は地方へ行かないで、関東地区をまず制覇しよう。そうすれば、自然に全国に飛び火していく。【覚書|ピザーラ創業時のエリア戦略について語った言葉】


チャレンジをした人は必ず失敗しているわけですから、逆に言えば、失敗した人はチャレンジした勇気のある人。だから、失敗を怖れずに、やり続けることです。「あのときああだったよな」って笑えるようになるまで頑張ること。粘り、しつこさ、根性。必要なのはこれだけだと僕は思うんです。


もし僕が、すべての店を回って何も気づかなかったら、これはもう、即引退。辞めた方がいいです。それではこれ以上事業も伸びないし、経営も伸びない。そういうことです。


自分でアンテナを立てて、一歩先のトレンドを肌で感じていないと仕事はできないと思います。とくに今の時代でセンスを要求される仕事をしている人は、遊んでいないと絶対にダメ。いろいろな情報も得られますし、海外には行けるだけ行った方がいいですね。内定の決まった学生には、暇のある今のうちに借金してでも行って来いと勧めています。必ずしも一流でなくてもそういう場所を自分の目で見てくる。肌で触れておくことは大切なことだと思います。


経営者にとって必要なことは、自分が興味を持ち続けること、気付き続けること。経営では一つの現象が起きたら、それで終わりではなく、その後ろには何が隠されているのか、そのもとが何なのかということを見極めていかなくてはいけません。そのためには、経営者自ら気づき続けていないとだめですね。


「絶対に自分はそうなるから見てろよ」っていう気持ちを最後まで捨てないこと。それが最後には行動になり、周りの人を動かし、助けてくれる人も出てきて、必ず結果につながっていくと思います。


諦めないこと。でも、諦めるべきことは諦めなきゃいけない。一番まずいのは、自分のアイデアに溺れてしまうことです。自分がウーロン茶の輸入業で失敗した時と同じです。うまくいくことだけじゃなくて、うまくいかなかった場合のことも考えられるようにしておかないとだめですね。


ある時代にある事業をやっていた人が、非常に成功することがあります。たとえば、昭和30年代には紙。それに関わった人はみんな大金持ちになりました。それは、ある時は株、ある時は不動産、そして少し前はIT、時代には一つの大きな波があるわけです。次は何かという、その時代の大きな流れをつかむことです。または、時流に反するところ、ニッチ市場に敢えて行くという方法もあります。


レンタルビデオは価格と品ぞろえの多さが勝負。この先は会社が大きいほうが勝つだろうし、自分のアイデア自体で勝負する仕事ではない。それでは意味がないし、自分の力は出てこないと思ったんです。でも食べ物なら自分たちの個性やアイデアも出せるし、そういう嗜好品の方がおもしろいなと、そこで飲食業で何かできないかと考えました。


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