法華津孝太の名言 一覧

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法華津孝太のプロフィール

法華津孝太、ほけつ・こうた。大手水産会社の極洋社長・会長。東京大学卒業後、外務省に入省。第二次大戦の戦前・戦中に欧州で外交官として活躍。太平洋戦争後、極洋捕鯨(のちの極洋)に入社。専務を経て社長・会長

若いうちに自分の判断で仕事ができる地位についた人は、報酬の多寡は抜きにして、それだけでも得をしていると言える。


ある人が「運動のために散歩するには、疲れない程度では何にもならない。少し疲れたという程度まで歩かなくては効果がない」と言ったのを思い出す。多少手に余るような仕事に勇敢にぶつかっていくことが大切である。


当社は漁業会社である。社員はホワイトカラーの意識を捨てて長ぐつをはいて魚臭くなって仕事をする心構えが必要である。ただしその際といえども紳士としての心がけを忘れてはならない。すなわち当社の社員はすべからく紳士たる魚屋になってほしい。
【覚書き|社長に就任したときのスピーチにて】


たとえ1%でも安く仕入れれば、それだけ会社が得をする。商売というものはそこまで厳しくやらなければいけないというのが、山地土佐太郎社長の信念であった。計算にうとく、子供のころからあまり苦労しないで育ってきた私には、山地さんのこの実地教育は大変薬になった。
【覚書き|外交官から民間の漁業会社に移った当時を振り返っての発言】


山地土佐太郎社長から仕込まれたのは、値切ることである。外務省時代から、私は言い値が定価だと心得ていた。外交官が値切って物を買うなぞはしたないという見栄もあったのだろう。ところが山地さんは、商売人になったからにはとにかく物を安く買うことを覚えなければいけないと言い、私が購入伝票を社長のところへもっていくたびに必ず「君、これ値切りましたか」と聞く。私が値切っていますと言っても「ちょっと待ちたまえ」と片っ端から値切っていく。何件かの中にはやはり私の買った値段より安いところが出てくる。すると山地さんは「どうです。ここじゃあ、この値段だから、君の買った店にこれだけ引くように言いなさい」と言うのだった。


企業である以上利潤は上げなければならないが、まず社会的、国家的に見てこの事業に携わることが少しでも役に立つかどうかという価値判断の上に立つこと。私はこれをいまも経営理念にしている。


奉天の総領事館は、総領事の次に領事がおり、私たちも上の地位にあった。米国の大使館あたりだと、先輩が多くて何事をするにもその指示を仰がなければならないところだが、ここはほとんど自分の責任で仕事を切り盛りすることができた。だからその時代に、私は自分の判断でものごとを行う訓練ができたように思う。これは望外の幸せであった。


出淵さん(在米日本大使)は、仕事を面白くする方法を教えようと言った。それは自分が大使になったつもりで電信を扱ってみろということだった。本省から訓令を受け取ったら、自分が大使ならどう執行するかを考える。そして大使がその訓令を執行したのち本省に返信を打つ場合も、自分ならどうするかを仕事をしながら考えてみろというのである。これで仕事は面白くなったし、頭を練るうえで大変効果があった。


若いうちは重荷に感じられても、自分の手に余るような仕事に勇敢にぶつかっていくことが大切である。
【覚書き:20代で日本軍とリットン調査団の英語通訳として同行した時のことを振り返っての言葉。】


若き日の山地土佐太郎(極洋捕鯨初代社長)はブラジルから帰りの船賃が足りない。彼は子豚10頭ばかりを移民船に積み込んだ。豚は戦中の移民の食料として買い取ってもらうように三井物産と契約しておいた。2・300人の移民のなかには船に弱くて少し揺れると食欲をなくす人が多かった。思惑通り、豚はその残飯を食べて丸々太っていった。彼が豚のえさを積み込んでなかったことは断るまでもあるまい。


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