河合良成の名言 一覧

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河合良成のプロフィール

河合良成、かわい・りょうせい。小松製作所(現:コマツ)社長・会長。学校卒業後、農商務省入省。東京市助役、厚生大臣などを経て小松製作所の社長に就任。

伊達政宗の「残躯 天の許すところ楽しまずんば云々」という句があるが、私も七十の坂を越してよぼよぼの老人になり、いまは人生の午後5時ぐらいである。しかし、最近考えることは「人生再びせず」なのだから、愉快に気持ちよく送ることが必要であると同時に、人間に生まれてきたからには、やはり何か、大衆のためになることをするのが大事ではないかという気持ちもする。


石川県の小松の工場に行ってみると、共産党の子分みたいのが待っている。「君たちの俸給はどうなっているか」と尋ねると「遅配で困っている」と答えるので「ストライキを続けた方が俸給をもらえると思うか、やめた方がもらえると思うか、どうだ」すると「やめた方がもらえると思う」「よし、ストライキをやめれば、俺も金融の手伝いをする」この間、3時間で話が決まった。
【覚書き|厚生大臣時代、当時のコマツの社長から請われ経営悪化でストライキをしている工場の問題解決にあたったときを振り返っての発言。このとき資金調達の手伝いをしたことでコマツの社長に就任することになった】


政治家は、本当に国家のためになるという考えで政治をやり、それがそのまま通るなら政治家もいいが、現在の政治はそうではないと痛感した。
【覚書き|政治家を辞めたきっかけについて語った言葉】


西田(幾多郎)先生からはいろいろ教えを受けた。一番切実に教わったのは自覚ということだった。また、プラトンの意志の力、つまり吹雪の中を突っ込んでいくという発想、意志の弱さは罪悪だという思想を植え付けられた。


何事も最初に道を開くのは難しいが、私が保険の合併を実行した結果、その後の保険界の合併は円滑に発展し、大いに貢献したと思っている。 【覚書き|太平洋戦争前、日華生命(第百生命の前身)勤務時代に、保険会社の合併を手掛けたことを振り返っての発言。発言時期はコマツ社長時代。】


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