永田雅一の名言 一覧

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永田雅一のプロフィール

永田雅一、ながた・まさいち。日本の経営者、映画プロデューサー。大映社長。京都府出身。大倉高等商業学校(のちの東京経済大学)中退後、日本活動写真(のちの日活)の京都撮影所に入所。その後、日活を退社して第一映画社を創業するも解散。その後、新興キネマ京都撮影所所長、大日本映画製作(大映)専務などを経て、大映の社長に就任。

「羅生門」のヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞に、同業者も大部分は拍手を送った。ところが日が経つにつれて、「あれはまぐれ当たりだ。フロック(まぐれ)だろう」という声が、外国人からでなく日本人から出た。そこでまた、私の闘志が湧いた。「みていろ、もういっぺんとってやる」。今度は明らかに映画祭出品を意識して「地獄門」をつくった。それが見事にカンヌで大賞を獲得したのである。


当時、松竹、日活、東宝が一流会社だった。そこで第一映画の面目を捨てて一流会社にできないものをやろう。猫と狸、いわゆるゲテモノ映画をつくろうと決心した。この猫化けがヒットして儲けた。こうしている間に撮影所内も綺麗になり、能率もグングン上がってきた。一年か二年経つうちに、作品は別としても、京都における模範的な撮影所になった。
【覚書き|第一映画を解散させ、新興キネマに移り、経営立て直しを行った当時を振り返っての発言】


10年の間、日活と運命を共にしてきたが、その日活を今日限りで辞めたい。やめてどういう目途もたたないが、とにかく自分の力でやれるところまでやってみたい。
【覚書き|日活をやめる決断をしたときの発言】


私が日活に入って庶務課にいる間、見学者の案内を引き受けていた。私はこの人たちは極力、親切丁寧に扱った。私にはひとつの信念があって、所内見学は単なる見世物であってはならない。映画製作がいかに意義のある仕事であるか、またいかに関係者が真剣に取り組んでいるものであるか、ということを一人でも多くの人に理解させるものでなければならないと考えた。そしてこの方針から、積極的に来訪者を接待した。


喜怒哀楽をもって人を楽しませるというのは素晴らしいことだと考えます。
【覚書き|日活に飛び込んだ当時の発言】


日本政府から「好ましからざる人物」という理由で追放されたけれども、そのもとは司令部がやっているのである。同じ死ぬにしても、ただなんとなく身体が悪いと言われただけでは往生できない。胃が悪いのか、腸が悪いのかハッキリ病名を言ってもらいたい。つまり、どこか悪かったら追放するということを説明してもらいたい。司令部の一部の人をバックにした日本人の謀略をもって追放することは何事だ。それでは民主主義ではないではないか。
【覚書き|戦後、公職追放の要件に当てはまらないのに追放されたことについてGHQに行って語った言葉】


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