水野幸男の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

水野幸男のプロフィール

水野幸男、みずの・ゆきお。日本のソフトウェア技術者、経営者。NEC副社長。東京工業大学卒業後、日本電気(NEC)に入社。NEAC-2200シリーズの基本ソフトウェアおよびアプリケーションソフトウェア、FORTRAN-D、COBOL-DおよびMODI-TR など当時先端的な基本ソフトウェア、日本初の我が国最初期のTSS(タイムシェアリングシステム。一台のコンピュータCPUの処理時間をユーザー単位に分け、複数のユーザーが同時にコンピュータを利用できるようにしたシステム)である阪大TSSを完成。COBOL言語のJIS化の委員長としてJIS COBOLの制定を行い、界最初の構造化プログラミング言語であるCOBOL-S、 FORTRAN-Sとそのコンパイラを開発。情報処理学会会長なども務めた。

日本人の技術者に創造性がないわけではありません。システムを構築する論理的思考能力も、それをやり遂げる熱意もあるのです。ただ、それを発揮する場を与えられていないだけであり、それは経営の責任だと思います。


「創造的なソフトウェア開発は日本人には無理だ」。そういう見方には、声を大にして「それは違う」と叫びたくなります。


仲間と力を合わせて、世界初の新しい技術を生み出したときの喜び。それはお金には代えられないものだと思います。いま、技術者への報酬を巡る議論が盛んですが、燃える現場はお金では作れないというのが私の持論です。会社への膨大な貢献をした人にはきちんと報いるべきだと思いますが、開発や発明への報酬を引き上げれば、一生懸命仕事をするかというと、そうではないと思うのです。


ソフトウェアの基本構造の設計者であるアーキテクトを育成し、官民挙げて支援する仕組みを作る。そして、若い技術者がチャレンジできる環境を整える。日本のソフトウェア産業の復活は、燃える現場を作れるかどうかにかかっていると思います。縮み志向からは何も生まれません。


外国から評価の安定したソフトウェアを買ってくる手法は、確かに手軽で安上がりです。しかし、そればかりでは独自技術は育ちませんし、現場の意欲が高まるはずもありません。


私がPC98や大型OSの開発責任者だったとき、開発チームの思いはただひとつ「日本語の使えるパソコンを作りたい」ということでした。半年近く、自宅に帰らず、泊まり込みで開発を続けましたが、文句を言う技術者はいませんでした。苦しい作業でしたが「世界初」の夢を実現させようと、皆、憑かれたように開発に打ち込みました。ソフトウェアが完成したときは、手を取り合って喜んだものです。


日本の若い技術者はチャレンジ精神を失っていると言う人もいますが、私はそうは思いません。技術者というのは、前例のない挑戦に立ち向かうとき、奮い立ち、寝食を忘れて没頭するものなのです。若い技術者にチャンスを与えてやってほしいと思います。


現在コンピュータのOSは米国に席巻されており、日本はこれに全面的に追随しているのが現状です。新しいOS開発は、リスクが高い事業です。経営陣が二の足を踏む気持ちもわからないではありません。しかし、新しいことにチャレンジしなければ、日本は永遠に米国の追随者で終わってしまうでしょう。いまこそ、日本は総力を挙げて、新しいOS開発に取り組むべきではないでしょうか。
【覚書き|2002年末の発言】


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ