水野和敏の名言 一覧

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水野和敏のプロフィール

水野和敏、みずの・かずとし。日本の自動車エンジニア。長野県出身。工業高等専門学校を卒業したのち、日産自動車に入社。部品の設計、名古屋の販売会社への出向を経て自動車の設計・デザイナーとなる。プリメーラ、スカイラインの車両のパッケージング設計を担当したのち、NISMOへ出向。グループCカーの耐久レースチーム監督兼エンジニアとして活躍し、デイトナ24時間レースで優勝。その後、日産自動車車両設計課長、車両開発主管(チーフ・ビークル・エンジニア、CVE)、チーフ・プロダクト・スペシャリスト(CPS、商品企画立案責任者)、プログラム・ダイレクター(PD、収益・販売目標達成責任者)などを務め、GT-Rのフルモデルチェンジなどを主導した。

収益や順位はあとから勝手についてくる結果であって、自分たちから求めるのは筋違い。


サーキットに来てくれた観客が総立ちになるような走りを、どうすれば見せられるか。それだけを自分にも、メンバーにも言い続けてきました。


仕事はお客さんに尽くすことだけを考えればいい。


本質が大事。客観的な担保はない想像と感性を、本質が支えてくれる。


「自分はあれをやったんだ」と自慢しても大して気持ちよくない。でも、「うわあ、スゴイクルマをつくったね」と褒められれば、本当に気持ちがいい。


初代プリメーラの企画を出したときから、私の仕事はずっと社内では批判されてきました。正しいことをやろうとすれば叩かれてばかりです。このときに、自分の社内でのポジションや評価などを気にしていたらやっていられません。自分が頑張った先にはお客様がいると思うから耐えられた。


誰だって感性で判断して生きているんです。感性でモノづくりをすることは、そんな難しいことじゃありませんよ。


「会社にいても自分の車が作れない」と自分だけしか見えていなくて、それだけ自分中心だったからこそ迷っていた。でも、商品は人を喜ばせるためのもの、と心底わかればそれまで見えていなかったものが見えるようになって、ようやく何のために仕事をしているのかがクリアになったんだ。


自動車会社の最大の欠点ってわかる?この10年、携帯電話は誰が見たってものすごく進化したのに車はそんなには変わらなかった理由ってわかる?それは「自動車会社がでかすぎる」ってことなの。部署だって多すぎる。これについては実験部が、あれについては品質保証部が、と業務が細分化されすぎて、工場のラインでは最新の防塵室においてロボットが車を作っている。人間は何をしている?管理だけだよ。そうなれば、組織と工場のラインを守ることを「いい仕事」と錯覚してしまうのも無理はない。それで、車の進化は止まってしまうの。だから俺は2007年の「GT1R」のフルモデルチェンジに関しては、40人という小規模、4年間という短期間でやったの。スタッフの数、お金の額、時間の分量に余裕がありすぎるのが、仕事をダメにするんだと常々考えていたからね。


でかい会社で新しいことをやるのは簡単じゃないよ。日産の商品は売れていて、年に何千億円も利益が出ていたその時に「もっといいことを」と言いだしたんだから。「もっといいこと」って、これまであった、しかも結果を出してきて当時はまちがっていなかった社内の文化やそれに関わった人々を否定することになるんだからね。そりゃ、反対意見や、心情的なところでの「犠牲者」が出ないはずがない。だから、もしも新しいことをやるなら、その中心にいるやつは馬鹿で無欲にならなきゃダメでしょう。地位や保身や昇給なんて求めていたら、大企業では新しいことなんてできない。それにいくら正しいことを言い、論戦で勝ったとしても、結局は人を傷つけるだけでしょう?「まあ、アイツじゃしょうがない」「勝手なことを言いやがって。言いだすと聞かねえからな」そう言われなきゃね。馬鹿になれなきゃ、新しいことなんて絶対にできないよ。


これまでのスポーツカーというのは、進化するほど軽量化していった。だからダメだったんだ。スピンしやすく、タイヤの温度依存性も高く、冷えたら途端にグリップ性能が下がっていた。すると、雨の日の運転なんてあぶなくて仕方がなかった。それで「安全のために」なんてネガティブな方向での制御機能を追加し、アクセルをきかせなくしちゃった。でも、これのどこに運転の楽しみがあるの?だから「GT‐R」は逆を行った。軽くせず、重くする。重量をエネルギーに変える。これはスポーツカーとしては世界初のコンセプトなんだ。「GT‐R」の車体重量は1740キロけど、これはすごく重い。でも、だからこそ、砂の上でも氷の上でも雪の降るサーキットでも滑らない。


俺はいつもどんな大きなプレゼンテーションでも、誰に話をしにいくのでも、原稿ってのは用意しない。そんなのなくたって、そのクルマについて一番知っているのは俺なんだ。言動が誤解されても、そのときの俺の話がまずかったんだと思うだけで、ウソはついていないし、どう受け取られるのかについては相手の自由なんだからそれでいい。生のまま、身を絞り出すようにして、そのときに一番強く思っていることをぶつけるだけ。


人が増えれば、方向性を統一するのに時間を食うだけ。お金があって試作品をいくつも作れてしまえば、失敗が許されない一球入魂の緊張感はなくなってしまう。それに、経験から言っても、だいたいのプロジェクトの限界って三年ぐらいなんじゃないのかな。それ以上続けるとプロジェクトは薄まったものになるから急ぐ必要があった。それでプロジェクトをかたちにするための人作りにまず一年半かけて、クルマについてはそこから実質二年間で作ったんだ。
【覚書き|2007年のGT-Rのフルモデルチェンジのプロジェクトを振り返っての発言】


1992年のクルマは700馬力ちょっとなのに、富士スピードウェイのストレートエンドで時速400キロも出ていたからね。F1でもできない、時速400キロ超えからの1コーナーでのフルブレーキを見られたんだもん、当時の日本のお客さんは幸せだったんじゃないの?でも、それが実現したのは、お客さんがそこでのブレーキングを見どころにしていて、そこから俺たちが学ぶことができたからさ。当時、日産が「Cカーレース」で三連覇したのは、お客さんたちに教えてもらうという延長線上で自然についてきたものなんだ。


1990年から3年間はいわゆる「Cカー」と言われるレーシングカーの開発をやったけれど、ここでもスペックは追わなかった。モータースポーツ全盛の時期でサーキットは超満員だったから、お客さんの喜ぶクルマを作ろうと思った。なぜか?車好きのお客さんが注目する「レースの見どころ」って、そこでクルマの性能が問われるから見どころになっているんだという確信があったんだよ。それで客目線でレースを見ていれば、レースは直線よりもコーナーで競うものなんだとはすぐわかった。アクセル全開にできるところなんてコース全体の一割もないんだから、900馬力のマシンを650馬力にした。そのほうがドライバーがいつ踏んでも反応するエンジンになり、燃費もよくなり、壊れにくくなる。


みんな、FF車の開発では前席部分をいじって競争していたけど、実は自由がきくのは後部座席と後輪の間の寸法だけだった。ここがガソリンタンクの容量であるとかサス・ヘンションの空間、トランクの容量、それにリアウインドウを流れる空力なんてのを決めていて、それこそが数字にならない性能を左右するんだとわかったんだ。その結果をもとにして設計したのが1990年の「プリメーラ」ね。これ、いまだから言うけどさ、社内で提案しても「ブルーバードよりも小さくてスペックも質素なのに、どうしてそれより高いんだ。そんなの誰が買うんだ」とポロクソに言われたね。でも、スペックとしての数字にならない価値はたっぷり乗せていた。それで、社内で大ゲンカをしたあとに「じゃあ、仕方ないな」みたいにして世の中に発表されたんだけどすごく売れたんだ。その後はオペルもフォードもみんな「プリメーラ」をマネしたよね。ヨーロッパでは、どこの会社もあれを買って分解して研究していたんだ。ヨーロッパの4ドアっていまもその流れの延長線上にあるでしょう?だから、ヨーロッパの車にマネされるようなものをと思ったことは、そのまま現実になったんだ。


大事にしていることは、カタログのスペックを追いかけてもダメだってことさ。これは車を作るためにはものすごく大事なポイントなのに、俺はぜんぜん気づいていなかった。それがわかったのは、ヨーロッパの道路で車を開発していたときのことでね。「あれ、おかしいぞ?」と思ったんだ。どうも、ヨーロッパの車はちゃんと「自動車」としての音がするのに、俺たちの開発していたものからは「ブリキ」の音しかしないようだぞ、と。当時の日産の車も、カタログに載っている性能としてはとても優秀だったのよ。それなのに何で、カタログのスペックではスピード面で上回っているはずのヨーロッパの車に「連続して走れる距離」では負けてしまうのか。それに、フォルクスワーゲンの「ゴルフ」なんてすばらしいと思ったけれど、数字としては室内寸法はとても小さいはずなのに、車内で座ると広く思える。しかも、長い時間ドライブしていても疲れない。カタログの最高速度は日産車より20キロも下のくせに、雨のアウトバーンでは日産車よりも30キロも速く走るんだ。これは「ゴルゴがそのように設計されていた」と言うしかないよね。お客さんのために、なんて大切なことに気がついたつもりになっていたけど、「最高速度、馬力、室内の寸法、ブレーキの停止距離」などと俺はカタログのスペックばかりを追いかけてしまっていたんだとわかった。


名古屋での営業の出向から戻ってきた1978年には「セドリック」を設計した。ターボ搭載の六気筒エンジンは国内でははじめてで、それまで定型だった円形のランプも変えたから当時は画期的だったんだ。この車についてはエンジンルームもフロアパッケージも計画図も、すべて俺ひとりで、だいたい一週間で描いたものなんだよ。普通は何人かが何週間かかけてやる仕事だから、あの頃の俺は人の10倍や20倍は働いたんじゃないかな。


入社の四年後かな、「おまえは会社の大きさに甘えている。一回、外に出てお客さんに接してこい」と名古屋で出向の営業に出された。これで人生が変わったんだ。名古屋での営業成績はよかったよ。普通、営業というのは文系だから、お客さんの車が壊れたらサービスにつなぐしかない。でも俺は駆けつけてその場で修理できるからね。挙句に「こんな使い方しちゃダメ」と説教までしてた。お客さんもそのぐらい言われるほうが安心して買えるんだよ。


1980年代にはヨーロッパでも日本車が売れるようになった。日産は日本車の中ではかなりシェアを持っていたほうだった。その当時は「オースター」「スタンザ」「ブルーバード」などのFF車(前方にエンジンを搭載した前輪駆動車)が花盛りって頃ね。俺もFFの「サニー」や「マキシマ」をひとりで設計していた。「サニー」に1.5リッターのターボをつけたり、マキシマは六気筒エンジンにターボをつけたり、それで「趣味性の高いスポーツセダンという新しいカテゴリーを確立したぞ」、とちょっと調子に乗っていたの。そうしたら、ヨーロッパで叩きのめされることになった。それがよかった。おかげで、いまに至るまで大事にしていることに気づけたんだ。


宇宙の中で地球は狭いし、欧州でトップブランドを取ることはそんなに大変なことではないと思う。逆に、日本の東京で1位を取ることが大変と思っているうちは、世界一になるなんて不可能に決まっています。


「レースは速さ」と思うから、皆さんも、参戦チームも間違えるんだよ。走る行為しか見ていない。例えば静岡県の富士スピードウェイの場合、アクセルペダル全開で走っている時間は1周のうち、どの程度だと思います? わずか20%ですよ。残りの80%は、アクセルペダルを緩めている。ということはコーナーを速く回れるレーシングカーを作るべき。それが本質でしょう? だから私はレスポンスが良く、コーナーを回った直後にフルスロットルできる低馬力のエンジンを採用した。ドライバーは疲れないから正確な運転ができるし、馬力が低いからクルマは壊れにくい。燃料の量も抑えられるから、いいことずくめじゃないですか。


モチベーションが上がらない、という人は、まずは「なんのために仕事をしているのか」を問い直してみること。会社というスケールではなく、社会のために仕事をするという原点を思い出すことが大事です。


私も最初から使命感で仕事をしていたわけではないですよ。クルマを設計するつもりで日産に入って、実際の仕事は部品の設計。誰もクルマなんて設計していない。すっかりやる気を失って、クビを前提に販売店に出向させられました。そこで、あるお客様に言われたのです。「水野さんはクルマのことをよく知っているけど、一番知らなければいけないことを知らないね。何のためにクルマを作っているの。お客さんのためなんじゃないの?」。そのひと言が私を変えました。


どんな仕事をするにしても、社会的使命のために働くのが人間らしさじゃないでしょうか。会社はその使命を果たすための手段です。会社での評価が人生の目標に置き換わってしまうから、モチベーションが落ちるのです。


お客様を喜ばせたいという思いで、それまで誰も想像もしなかったような商品を世の中に出す。そんな使命感を持って生きるのがエンジニアです。


私がエンジニアとしてずっと考えてきたのは「人のために自動車はどうあるべきか」ということ。たとえば、GT-Rは一部のマニアが格好よさや速さを誇るような自動車ではない。はっきり言って、そんな低次元のクルマは誰にでも造れます(笑)。時速300kmでタイヤがバーストしてもディーラーまで普通に走れて、時速200kmで激突しても乗っている人が死なないのがGT-Rです。


私はよく「仕事を恋愛に変えろ」と言います。恋人に対していろいろなことをするのは、相手に尽くしたいからであって、見返りを求めてではないでしょう。見返りを求めるのは、歪んだ恋愛です。仕事も同様で、お客様や世の中に尽くすもの。そこに働きがいがあるのです。


なぜ、モチベーションが下がるのか。答えは簡単です。「欲」で仕事をしているからです。評価されたい、もっとお金が欲しい、名声が欲しいといった欲が満たされないときに、人は挫折し、モチベーションが下がるのです。人間には「求める生き方」と「尽くす生き方」があります。欲ではなく、尽くすために仕事をしている人には、モチベーションの低下はない。そして、世のため、人のために尽くせるのが、プロです。


スペシャリストには転職を前提とした雇用政策で対応すべき、という通説も根強いものがありますが、むしろ逆。スペシャリストのようなコア人材こそ、昔ながらの安定した雇用の中で成果を出す。「終身雇用のメリット」について、経営者たちはもう一度、真剣に考え直すべきです。


会社に入って専門職を目指そうとか、いや、やっぱり管理職がいいとか、そういう課題設定をすること自体が、そもそも間違っていると思いますね。本当に問題にすべきなのは、まず経営者が描く企業戦略です。まずは経営者がとるべき戦略を明確にする。その次に初めて社員のとるべき道が見えてくるはずです。


カルロス・ゴーンはコストカッター、リストラ社長といわれ、各方面から散々バッシングを受けました。実際には彼はむやみにコスト削減だけを進めたわけじゃなく、新しい分野にも果敢に打って出ました。そのひとつがGT-Rの開発だったし、それ以外にも日産は様々な改革を実行し、飛躍しました。


昨今は社員に対する投資という責務を果たさない経営者が「私の若い時はこうだった。だから、従業員にもそうあってほしい」などと一方的なことを言っている。従業員を育てる努力をせず、「何で君は育たないんだ」と言うのは筋違いですよ。


スペシャリストにしても、オペレーターにしても、終身雇用を前提にした方が育つ。これは今の会社経営の流行とは逆でしょう。要するに、企業が社員に対して投資をしなければ、人なんて育たないんです。


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