樫尾俊雄の名言 一覧

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樫尾俊雄のプロフィール

樫尾俊雄、かしお・としお。カシオ計算機の創業者の一人。電機学校(現:東京電機大学)卒業後、電気通信省(現:NTT)に入省。その後、兄忠雄が立ち上げたカシオの前身である樫尾製作所に入社。以後、開発担当として同社の成長に大きな役割を果たした。世界初の小型純電気計算機「カシオ14-A」の開発者として知られている。東京発名協賛会会長賞、米国家電協会生涯業績賞などを受賞した。

「必要は発明の母」とよく言われます。それに対して私は、「発明は必要の母」を持論としています。世の中の多くの人が必要性を認識するようになった段階で開発を始めても、もう遅いんです。我々が発明した製品を見た人が「ああ、これは自分にとって必要な製品だ」と感じて、受け入れてくれる。それが理想です。


かつてエジソンは「天才は99%の汗と1%のひらめき」と言いましたが、私の場合はさしずめ「発明は1%のひらめきと、49%の努力、50%の天運」となるでしょう。その天運の最たるものが、兄と二人の弟の存在です。3人に支えてもらったおかげで、私は文字通り、研究開発に生涯をかけることができました。


時代が早すぎた発明品も売れないという苦い経験があります。約30年前に開発した「コースガイド」(のちのカーナビ)がそうです。その時代はいまのように宇宙衛星を使って自分の位置を知るという技術はなかったので、一度走行したコースが完全な形でメモリーに記憶され、次に同じ所へ行くときは、いまのカーナビと同様にコースガイドするという製品でした。ところが、当時の人々の感覚では、自動車ドライブのコースは自分が記憶していることに価値があり、コースを自動車から教えられたのでは面白くないという人が多く、製品は売れませんでした。


兄が設立した樫尾製作所(現:カシオ)に入社したのは終戦の翌年でした。そこで最初に開発したのが、電気とはまったく無関係の「指輪パイプ」。当時、タバコは値段が高く、フィルターもついていませんでした。そこで、指輪にパイプ状の筒をつければ、仕事をしながらでも根元まで吸うことができると考えたのです。これが結構売れて、計算機の開発費用の一部を稼ぐことができました。


発明に魅力を感じるようになったのは、小学生の頃です。実験を重ねた末に蓄音機から初めて音が出た瞬間、エジソンはどんなに感動したでしょうか。それを想像しただけで、胸が熱くなったものです。電機学校(現:東京電機大学)を卒業し、NTTの前身にあたる電気通信省で働くようになってからも、そうした思いは高まる一方でした。


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