植松富司の名言 一覧

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植松富司のプロフィール

植松富司、うえまつ・とみじ。日本の経営者。小西六写真工業(のちのコニカ)に入社。取締役、常務、専務を経て社長・会長。コニカミノルタHD名誉顧問・取締役会議長。コニカミノルタ画像科学振興財団理事長。そのほか、無印良品を展開する良品計画の取締役などを務めた経営者。

要は現場に「負けてたまるか」という強い執念があるかどうかです。革新はそこから生まれるのです。


みなさんが言うように「すべてがデジタルカメラになる」とは思いません。デジカメの普及が進むことは予想されますが、銀塩カメラの領域も必ず残ります。アジアには30億人もいて、まだ年間1から2本しかフィルムを使っていません。ロシアやアフリカを入れたら40億人を超えます。ここで40から50%のシェアを取れれば、もう左うちわです。


もうカメラが成熟期と言われた昭和40年代、当時の評論家から「一眼レフの高級機とカセット型フィルム使用の普及機しか残らない。真ん中の中級機は残らない」と言われました。コニカは中級機を中心にやっていました。そこで出したのは、世界初のストロボ内蔵カメラ「ピッカリ・コニカ」であり、世界初の自動焦点カメラ「ジャスピン・コニカ」です。その後、競合他社も追随して、いまでは中級機のコンパクトカメラが主流となり、普及機の市場も席巻しました。


私は昔からコンサルタントを信用していません。彼らの言うとおりにしたら、大変な損失を被っていたことがいくつもあるからです。


「弱いものに明日はない」という考え方は正しくないのです。コンサルタントが判断ベースにしているのは定量的なバランスシートであって、要するに過去の成果で明日を語っているわけで、ひどいと思います。目に見えない人の力とか技術力とかを考慮していない。企業にとって大事なのは、バランスシートにないもの。それが新しいモノを生み出す原動力になるのです。


私が入社して間もないころ、外資系のコンサルタントから「いますぐカラー写真フィルムから撤退してレントゲン写真と印刷に特化しなさい」との指摘を受けました。確かにそのとき、カラーフィルムのシェアは低かった。しかし、西村龍介社長は「ノーだ。私が国内初のカラーフィルム『さくら天然色フィルム』を開発した。どうしたら頑張れるかみなで考えてくれ」と、常務会で呼びかけました。そしていまでは、アジア市場で約三割のトップシェアを持つまでになりました。


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