植木義晴の名言 一覧

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植木義晴のプロフィール

植木義晴、うえき・よしはる。日本の経営者、操縦士。日本航空(JAL)社長。京都出身。慶應義塾大学法学部を中退し、航空大学校を卒業。操縦士として日本航空に入社。ジェイエア副社長を務めた。その後、日本航空が経営破綻し、日本航空執行役員に就任。取締役を経て社長に就任。日本初のパイロット出身の航空会社社長。

仕事は好きになった者勝ち。


プレッシャーを乗り越え、モチベーションを維持するために必要なのは、覚悟です。


仮に最初は好きでなかったとしても、明確な目標に向けて努力すれば成果が出て、仕事は楽しくなるはず。


自分の中にしっかりとした幹がないと、他人から授かった知恵を受け入れ、活かすこともできない。


独断するということは、自分一人が責任を負わなくてはいけないというリスクがあります。しかし、そのリスクを負ってでも、経営トップが決断を下さなくてはいけない場面がある。


私の考える知識とは、記憶するものではなく、使うものです。


努力しなければ、自分の仕事を好きになれないと思います。努力して、努力してひとつずつ課題を克服して達成するたびに、仕事が好きになっていきます。私のパイロット時代がそうでした。


大事なのは準備を丸一日かけたことではなく、それで十分な準備ができたかどうかです。


どんなときでも平常心を保ち、適切な行動をとれるようになるには、これでもかというくらいの準備を怠らないこと。それを日々続けていく努力が大切です。


パイロットを辞めて経営に加わることになったとき、私は自分の仕事人生に区切りをつけました。新たなステージに進んでいくのだから、過去の経験を引きずるのはやめようと思ったのです。私は写真など思い出の品をすべて捨てました。これからは経営をやっていくんだ、と気持ちを新たにするためです。


一生懸命に努力していると、自分が日々成長していくのがわかります。なぜそれに気づけるのかと言うと、一週間前、あるいは一か月前の自分の発言を振り返って、「あのときはわかっていなかったな」と恥ずかしく思うことがあるからです。不思議なものですが、人間は何歳になっても、努力さえすれば進歩するものです。


社員が一丸となるためには、明確な目標が必要です。企業理念が最終到達地ではありますが、もう少しわかりやすく会社の進む道を示したものが、中期経営計画です。この中期経営計画を会社のトップが勝手につくった目標と捉えるのではなく、社員全員が自分の目標に落とし込むことが大切です。


構想の段階では、それを実行できるかどうかはわからないので、「これをやりたい」と思うことが大切です。次に、計画する段階では、準備を万端にし、あらゆる手を打っておかなければ、いざというときにものごとを自分の望む方向に進めることはできません。そして、実行に移すときは、また最初に戻って楽観的に実行するのです。楽観的にならないと、ものごとを進めることはできません。


我々が正しいと思っていたことも、実は古い慣習にとらわれた時代遅れの考えだったと気づかされたこともたくさんありました。


自分についてきてくれる人を何人つくれるかが勝負だと思いました。半年で5人つくれるかも。もし1人でも理解者を得られなかったら、その時点で会社を去ることも考えたでしょう。
【覚書き|経営再建のためパイロットを辞めて役員になった当時を振り返っての発言】


もちろん、憧れの気持ちから入ってもいいでしょう。パイロットになりたいとか、社長になりたいとか。しかし、ある程度のレベルに達するまでには、必ず苦難の道があります。努力して苦難を乗り越えた者だけが、折れない心を持つ、本当のプロフェッショナルになれるのではないでしょうか。


もっと自分たちの会社を好きになってほしい。自分たちの仕事に誇りを持てば、責任感も生まれ、一致団結して邁進できるはずです。


目標に向かって全員で協力して進んでいくためには、この会社が自分たちの会社であるという認識が不可欠です。経営破綻する前のJALは、優秀な人材は揃っていましたが、一人一人が傍観者だったり、評論家だったりして、何事にもどこか他人事のような空気があったように思います。


私が心を砕いたのは、20人ほどのJALの経営陣を、経営再建に向けてどうやってひとつにまとめていくか。まずはこの20人がひとつにならずして、会社がひとつになれるわけがありません。


会社の経営破綻後に経営陣に加わってからの2年間は必死でした。どうやってこの会社を守っていくのか、どうやって社員を守っていくのか。社長就任までの準備があったとすれば、走り続けたこの2年間が、自然と準備期間になっていたのかもしれません。


JALのフィロソフィーには、次のような一文があります。「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」。この言葉にこそ、どんな状況にも動じず、平常心を保つための心構えが示されていると思います。


最も避けなければならないのは、トラブル発生時に解決策を決められずに時間だけが過ぎてしまうことです。あるいは、完璧を目指そうとするあまり、決断までに時間をかけすぎてしまうことです。


雑音は気になりません。すべて自分の責任だと思っていますから。そもそも自信がなければ社長就任の話は受けないし、自信がなくて受けるのは社員に失礼ですから。


私が副操縦士によく言っていたのは、「十分な準備をしたうえで操縦席に座ったら、その瞬間に準備したことは忘れなさい」ということです。矛盾しているかもしれませんが、前日までの勉強や準備にしがみついていると、いざというときに適切な対応ができなくなります。なぜなら、どんなに準備したところで、運協業務が自然を相手にしたものである限り、シナリオ通りには進まないからです。万全の準備を施したことで、「何でも来い!」とどっしりと構える。そうすることで、突発的なアクシデントにも気持ちに余裕をもって対応できるものです。


私は「会社を蘇らせる」という大義を背負うことで、迷いが吹っ切れました。


厳しい合理化策を実施するときも、二度と会社は潰さないという信念は変わらないものの、心は揺れました。そのときに、稲盛会長の「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という言葉が身に染みました。非情でも大善をなすべきだと、鼓舞されました。


いままでのJALであれば「フィロソフィ(哲学)」と言われてもバカにしていたでしょうが、破綻を経験し、以前のやり方では駄目なことはわかっていたので、びっくりするくらい浸透していきました。実践の場でも、皆どんどん吸収していきました。


部門別採算制度はわりとスムーズに社内に浸透していきました。やはり業績が順調に上がっていったからでしょう。毎月の業績報告会で配られる資料の最後に、年度末の利益予想が出ています。これが月を追うごとにあがってくる。こうなると楽しくなってきます。1年目も2年目も上振れでこれたので、社員みんながその楽しみを知ることができました。初めて数字を追うことの楽しみを知ったといってもいいでしょう。


運行部長になった途端、目の回るような忙しさとプレッシャーで、感傷に浸るヒマはありませんでした。どうやったら、二度と会社を潰さないで済むのか、そのことで必死でした。
【覚書き|長年やってきたパイロットを辞めて地上で働くことになったことについて語った言葉】


厳しいリストラなどが控えているのに、会社を置き去りにして、自分だけ逃げていいのか。悩んだ末に、JALを立て直すために働こう、それを人生の新しい目標にしました。操縦桿を置くことに納得し、「どんなことがあってもこの会社を二度と潰さない。そのためには自分はこれからの人生を邁進する」と固く心に決めました。
【覚書き|JALの経営破綻後、パイロットを辞めて執行役員になってほしいと打診されたときを振り返っての発言】


僕がよく経営幹部に話すのは、「数字から数字をひねり出すな」ということです。あるロジックのもとに需要予測の数字を算出するだけならば、コンピューターに任せておけばいい。しかし、正しい数字をもとに経営するには、その数字に経営者の考え、意思を込める必要があります。マクロな経済動向からその年の大きなスポーツイベントのようなものまで、様々な要素を加味して需要予測を立てますが、それは既存のロジックをもとにコンピューターで計算しただけです。そのダイレクトな数字に、経営者として考えた自分の意思を落とし込み、反映させることが重要です。


4年半前にパイロットから執行役員として経営陣に加わったときには、財務三表すら読めませんでした。本やネットなどで一生懸命に勉強しましたが、ただ知識を頭に入れるだけではなかなか理解できません。そこで客室本部長や整備本部長も僕より多少知っている程度だろうと思い、数人の役員を誘って土曜、日曜に当時話題になっていた本のタイトルからとって、「サルでもわかる会計講座」と名付けた初心者向けの勉強会を始めました。もちろん、財務や経理の実務担当者に追いつけるわけではありませんが、財務三表から何を読み解き、どのように経営に生かせばいいのか判断ができるようになりました。


パイロットは自然を相手にする仕事で、中でも最もフライトに影響するのが風です。そして、風と闘うパイロットは、良いフライトはできない。風に抵抗せず、その中で漂いながら、上手に軌道修正していけるのが優秀なパイロットです。こうした素直さこそ、変化の激しいビジネスの世界を生き抜くためにも必要なことだと、今は確信しています。


知識をそぎ落とすにはコツがあります。たくさんある知識の中から共通項を探し、自分なりの「ルール・オブ・サム」を作るのです。たとえば、いくつかの空港へのフライトを行なうとして、それぞれの空港に複数の滑走路があれば、数百通りもの進入経路・方式を頭に入れなくてはいけない。でも、すべての空港に共通するルールをひとつ作ってしまえば、どの空港にも応用できる。ただ知識を頭に放り込むだけでなく、それをもとに思考を掘り下げる作業をするから、「これを基準に判断すればいい」という一本の幹のようなものが自分の中にできるのです。


私は後輩のパイロットたちに「最初の5年間は新しい知識をどんどん頭に入れなさい。5年たったら頭の中を整理してファイリングしなさい。それが10冊になったとしたら、2年後には2冊に減らしなさい」と指導してきました。たいていの人は知識を増やしたがります。でも、本当に頭の良い人は、知識を削ぎ落とすことができます。シンプルに自分を作り替えることができた人だけが、適切な判断や素早い決断ができるのです。


どれだけ準備をしても、想定外のことは起こります。そのとき、それまでに何度も思考を重ね、問題を解決してきたプロセスが役に立つ。何千回、何万回も繰り返してきたからこそ、想定外の事態が起こっても、ごく短時間で最善の判断を下すことができる。


私が社長に就任した当初から語ってきたのは、「世界一お客様に選ばれ、愛される会社」というメッセージです。世界一の売上げを達成しようとか、世界一の規模の航空会社を目指そうとは言っていません。それでも弊社が短期間で業績を回復し、世間の皆様にご心配をおかけしないだけの成果を出せたのは、社員一人ひとりがこの目標に向かって努力を積み重ねた結果です。


リーダーの中には、部下を叱ったり、危機感をあおってやる気を引き出そうとする人もいますが、私は「自分たちはどんな会社を目指すのか」という夢や理想を社員全員で再確認し、そこに向かって一丸となって進んでいきたい。そのほうが社員の士気は高まると信じているからです。


社長就任から一年半ほど経った頃、ふと「社員と一緒に悩めばいいんじゃないか」と気づきました。それまでは、辛さや苦しさはトップである自分が引き受けて、社員には幸せや喜びだけを分け与えなくてはいけないと考えていました。でも本当は、社長も社員も同じ目標に向かう仲間ですよね。だったら、辛さや苦しさを分け合ってもいいのでは。そう思えた瞬間から、気持ちがとてもラクになったし、前向きになれました。


実際にトップになってみると、想像したとおり、決して居心地はよくありません。それでも、トップになったからには、果たすべき使命があるし、社長として恥ずかしくないだけの努力をしたい。今はそう考えています。


プライドは本人が自発的に持つこともできますが、私は周囲に宣言するという方法を取りました。副操縦士の頃から「誰よりも優秀な機長になる」と公言していたのです。言った以上は、努力を怠るわけにはいかない。私は自分が人の影響を受けやすいと知っていたので、目標を宣言してしまえば、周囲の目を意識せざるを得ないだろうと考えたのです。有言実行を旨とし、自分を常に高みに置くことで、機長に必要なプライドが自然に養われたように思います。


私にとってモチベーションの源泉は「強い思い」を持つこと。自分は何をしたいか、どんな人間になりたいか。その思いを強く抱くことがすべての原点です。


プライドを持つことの大切さを自覚したのは、機長になってからです。私にとって機長は最終目標でしたから、それを達成した後は、「現状を維持するために最低限の努力をすればいい」と考えることもできたでしょう。でも私は、機長になってからも、さらなる高みを目指して最大限の努力を続けるべきだと考えた。それは機長としてのプライドがあったからだと思います。


19歳で飛行機に乗り始め、最終目標だった機長になれたのは41歳。つまり22年間にわたって努力を続けたことになります。これほど長期にわたりモチベーションを保つのは難しい。それができたのは、私が仕事を好きになれたから。


モチベーションは一時的に高まればいいわけではない。それをいかに継続するかが重要です。そこで必要なのが、仕事を好きになることと、プライドを持つことだと考えています。


パイロット時代、海外でのステイの際に、自分の部屋で睡眠をとってもいいのですが、時差の関係で夜中に目が覚めてしまうこともあり、よく機長の部屋に集まりました。ベテラン機長は、たいがい雑談のプロでした。いまでも彼らが話してくれた経験談が役立っています。いわば耳学問ですが、そういう場で教えてもらったことは一生忘れません。


稲盛(和夫)会長に予定がないときは部屋に入ってもいいとされていますが、遠慮して誰も行こうとしません。ドアが閉まっているとやはり入りにくいので、一度、部屋のドアを外してのれんにしてくれませんかと提案しましたが怒られました(笑)。それでも私は、一人で入っていってわからないことは「わかりません」と伝えて教えてもらいます。他の役員にも「行け!」と尻を叩いているんです。


私たちが入社した頃は、非常に厳しいパイロットもいました。なかには、ちょっと気に障ったら大変という本当に怖い50代の機長もいました。でもそういう方は、後輩に対して強い情熱を持っている。だからこそ厳しいのです。そこから逃げたらおしまい。懐に入っていかなければいけない。一度入ると、もう結構ですと言っても面倒を見てくれます。そんな関係の中で様々な技術を学びました。


会話の話題はやはり本から仕入れるよりも、自身の経験に即したものにこそ説得力があります。それでも会話が途切れたらどうするか……、ペットもいいでしょう。例えば猫。わが家にも3匹いますから、相手がその話に乗ってきたらしめたものです。


会議で疲れ切った後、休憩室で話していると議論に新しい視点が加わることは結構あります。会議では発言しにくかったことも、ほっと一息ついて、気兼ねなく話せるからでしょう。


再建の最中、稲盛(和夫)会長に「やっぱり苦しいです」と打ち明けたことがあります。そんな私に「君の大義はどこにある。残った社員とその家族の生活を守ることが、君に与えられた大義ではないのか。それをしっかり背負ったとき、人間は強くなれるんだよ」と諭されました。沈んだ心が鼓舞されたのを、昨日のことのように覚えています。


我々は、会社を辞めていった人ばかりでなく、破綻の過程で金融機関や株主様をはじめ多くの方々にご迷惑をおかけいたしました。「お詫びと感謝」、それは社員全員が一生忘れることはありません。まだまだ日本航空は道半ばですが、再建を実現することで、ご迷惑をおかけした皆さま、心ならずも会社を去っていった方々の気持ちに応えること、それが僕の大きな責務だと考えています。


リストラのさなか、稲盛(和夫)会長に「やっぱり苦しいです」と打ち明けたことがあります。それに対し「君の大義はどこにある。残った社員とその家族の生活を守ることが、君に与えられた大義ではないのか。大義をしっかりと背負ったとき、人間は本当に強くなれるんだよ」と言われ、沈んだ心が鼓舞されました。目先の理屈や情にとらわれるのではなく、何を志して役員になったのかをもう一度考え直さないと。


最近は数字の結果だけを見て、「会社更生法を適用すれば誰でも利益を上げられる」という声も聞きますが、そのたびにリストラで辞めていった仲間の顔が浮かび、その無理解にやり切れない思いをしています。


僕は高校を卒業後、パイロットに憧れて航空大学に入り日本航空に入社しました。パイロットの仕事を心から誇りに思い、「自分の一生の仕事」と決めておりましたので、パイロットを辞めて運行部長にならないかとオファーをいただいたときは「役員をお受けするか、会社を辞めてパイロットを続けるか」で三日間悩みました。当時の日本航空は破綻直後で、法的整理によるイメージ悪化などにより二次破綻必至と盛んに騒がれていたときでした。先がまったく見えず社員全員が苦しんでいるのに、「パイロットを続けたい」という己の都合だけで会社を去るのは卑怯な気がして、「操縦桿を置こう。会社を二度と破綻させないこと、それが次の人生の目標にしよう」と決意し、運航本部長を引き受けました。


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