根本郁芳の名言 一覧

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根本郁芳のプロフィール

根本郁芳、ねもと・いくよし。日本の経営者。夜光塗料で世界トップシェアの根本特殊化学株式会社社長・会長。福岡県出身。早稲田大学第一法学部卒業後、労働省東京労働基準局に入省。友人から勧められた根本特殊化学創業者の娘との縁談を機に、労働省を辞め根本特殊化学の前身である根本光化学研究所に入社。その後社長に就任。夜光塗料から派生した技術を核とした多角化を進め、同社を大きく成長させた。同社の蛍光体は偽造を防ぐ目的でアメリカの100ドル札に採用された。

不況のときにも中小企業が生き残るためには、会社を支えている技術を応用し、やれることをやるしかないように思います。うちも持っている技術を応用し、いろいろな仕事を見つけています。


社内の開発者たちのムードに水を差さないようにも気をつけていますね。開発を止めたら、技術の会社には何も残りません。日本の中小企業はそれぞれすばらしい技術を持っているので、自社の特質をちゃんと知っていれば、追いこまれたらいいものを作るのではないでしょうか。


うちの経営戦略は、どんな時代にも需要がある「安心や安全のための商品」をやることです。それから、特殊なものを多角的にやる、具体的に言えば夜光塗料の技術をもとにして新しい製品や事業を開発するということですね。


特殊な分野はマーケットも売り上げも小さくて大企業向きではないので、入りこみやすいのです。年間100万円の商売でも5つ売れたら500万円、とそういう仕事をしています。


うちにとって一番重要なのは、夜光塗料をとりまく特殊な技術を追究することです。そこで得た、ほかにない技術によって多角化に乗りだす。つまり、特殊化があっての多角化なのです。いま、ディスプレイ用の蛍光体やガスセンサー、さらに新薬開発データサポートなどの事業にも手を出していますが、その技術はすべて夜光塗料に端を発しているんです。


会社の方針については、あとから見ればそうだったということで、はじめからこれでいこうなんて机上の方針を実現することなんてできませんよね。商売というのは、やってもやっても外れるもので、まあまともで一所懸命なだけではダメですからね。


理念と言えるぐらいの考え方って、いま、私が会長職にあるように、わかったと思ったときには現場から引退ということになっている。それも不思議でおもしろいものですね。


会社をつぶしちゃダメだという思いだけで、何とか続けてきただけですよ。最近は、経営というのは信念がなければできないなとは痛感しています。そういう信念って自分で見つけるものであって、人からやれと言われてできるようなものではない。失敗したり成功したり、という実体験の中で、やっぱりこんなもんか、ああ自分はこういうふうにやってきたんだなぁと思えるようなことがだんだん固まってくる。それではじめて理念ができるものではないでしょうか。


アメリカの一○○ドル札には、特殊な波長の光を当てると色を発する、偽造防止のための印刷がされていますが、あれにはうちの蛍光体が使われています。ある光の波長に合わせて作ったその蛍光体は、偽造防止のためのものだからよそには売っちゃいけない。苦労して開発をしてもよそに使えないから困っちゃうけど、これも大企業では採算が合わないからやらない仕事です。年間でも量の少ない仕事ですが、それをうちがやれば、会社の存在価値が上がるでしょう?すると、スイスやイギリスやドイツやアメリカで、紙幣や切手(スタンプを押しやすくするために、特定の波長を当てると光る加工がなされている)などの印刷を担っている世界的な会社と仕事をできるわけです。


放射性物質を使わない夜光塗料「N夜光」を開発するときに目をつけたポイントは蛍光灯でした。蛍光灯の場合はスイッチを切ったらすぐに暗くなるということが大事ですよね。そのためのデータはかなり蓄積されていました。うちはその逆で、よそが研究の結果「要らない」と決めた、長く消えないままでいる蛍光体を調べればいいわけですね。ですから、ゼロからの研究と言うよりは、半分はよその研究を土台にして、それと反対のことをやればよかった、と研究員たちは言っていました。研究の組みあわせは、これは何千回何万回も試すというタイプの開発ですから、頭がどうこうと言うよりは体力勝負だったようです。


事業は時代の変化に翻弄されるものです。1991年に新聞で「セイコー、放射性夜光塗料全廃へ」という記事を見た時にはもう驚いたの何のっていう。時代は公害や環境問題に敏感になっていたし、もう100年来どこもできなかった「放射性物質を使わない夜光塗料」を開発しなければ会社はつぶれてしまう。ここでは開発の号令をかけるしかなかったんです。その結果、いまも会社を支えている独自技術「N夜光」が生まれました。


体調を悪くしていた親父さんが引退することになり、私が社長に就任したのは30歳の頃。当時よくお目にかかったセイコーの服部一郎元社長は本当に恩人でね。「自立自助」がモットーの服部さんらしく「うちに頼らず、多角化して自立しなさい」とハッパをかけてくれました。それでうちは1970年前後に中小企業としては早めに研究所を設立したのですが、これがのちのち役にたってくれたんですよ。


放射性物質を使わない夜光塗料「N夜光」の発明は、周到に準備した結果のものとはとても言えなくて、危機から生まれたんです。大口の取引先において、放射性物質を使った夜光塗料を加工することが制限されるようになり、その時代の流れに対応しなければ廃業というところまで追いこまれたことがありました。そういう危機がなければ、新しい塗料を開発しようという発想は生まれなかったですから。事業をやめたいと思ったことは何回もありましたが、やめて借金が減るわけでもないからやめられなくて頑張って、それだけでしたね。


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