根岸孝旨の名言 一覧

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根岸孝旨のプロフィール

根岸孝旨、ねぎし・たかむね。日本のベーシスト、音楽プロデューサー、作曲家。埼玉県出身。日本大学芸術学部で音楽を学びながらバンドマンとして活動。大学卒業後、アルバイトをしながらバンド活動をしたのち、アイドルやアニメ関連の音楽の作曲・編曲の仕事に携わる。映画『稲村ジェーン』のサウンドトラックの仕事をきっかけに桑田佳祐と知り合い、サザンオールスターズのベースを3年間担当。その後、多くのバンドにベーシストとして参加しながら、音楽プロデューサーとして活躍した。

いま振り返ってみれば、まったくの無名で仕事に絶望していた頃の自分というのは、状況が悪かったわけではないんですよね。周りに流されて卑屈になっていた自分自身が駄目だったんです。だって、「俺なんて……」と思っている奴の演奏を聴きたい人なんていませんから。「聴いて欲しい!」という真剣な思いがなければ、音楽は伝わりません。


僕は、頭の回転が早くて器用なタイプのプロデューサーではないですから、なおさら、音楽少年だったころのような不器用な「これが好きなんだ」という気持ちを大切にしているんです。


いまはただでさえデジタルの時代で、「失敗したらはじめからやり直し」というアナログ時代の集中力や緊張感を失いかけているのですから、よほどの熱意を込めるべきでしょう。


いまは、音楽をつくる側には「お金がない」とか「流行している音楽をやらなければ受けない」とか、とにかく愚痴が多い時代です。でも、そうやってスレたりいじけたりしている場合ではないと思います。音楽のマーケット自体も縮小しています。しかし、そんな時代だからこそ「これが好きなんだ」「これを伝えたいんだ」という気持ちを大切にしなければならないのではないでしょうか。


時間がたてば、人間関係も変わるし、蜜月も終わることがあります。


関口(和之)さんが復帰されるまでの3年間、サザンのベースをやらせてもらいました。サザンのベースとしての役割を終えたあとには奥田民生さんのバックバンドに参加することになるんですけど、そのころに友達から「お前、最近天狗になってないか」と事実を指摘されてしまいました。あ、その通りだ、真剣に自分の仕事を立てなおさなければと思ったんです。引退を覚悟しながら自分のやりたい音楽に飢えていたという感覚を忘れてしまっていたな、と。


僕は曲を仕上げるときの最後の最後、これとあれのどっちにしようという場面で、ミュージシャンに「どちらでも……」と言われると怒ってしまうんです。「いままで、お互いいろいろ言ったかもしれないけど、最後こそ、自分のワガママや伝え得たいことを通してくれよ!」と。それこそ、音楽の本質なのですから。


中学生のころに、学年で10番以内の成績だったらフォークギターを買っていいよと母に言われて、猛勉強しました。学年で3番になれたので買ってもらって、そこからは楽器中心の生活になりました。でも、そのせいで次の学年で50番台の成績になってしまい、半年はギター禁止になっちゃいましたけれど。


自分のバンドである「ドクター・ストレンジラブ」はあったけれど、多忙を隠れ蓑に、本気で向かい合ってはいませんでした。市場に求められているかどうかではなく、一回タガを外して思い切りやってみよう、とバンドの新作をつくることにしました。


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