板東英二の名言 一覧

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板東英二のプロフィール

板東英二、ばんどう・えいじ。日本のプロ野球選手(投手)、野球解説者、タレント。第二次世界大戦前、旧満州と朝鮮の国境に近い吉林省の図們市で生まれる。戦後、徳島県に引き上げ、極貧生活を送る。徳島県立徳島商業高等学校に入学し、甲子園に出場。3年時に一大会83奪三振という甲子園最多記録を樹立。高校卒業後、中日ドラゴンズに入団し、投手として活躍。11年間プレーしたのち、肘の故障で引退。以後、野球解説者やタレントとしてテレビなどで活躍した。

「ウサギとカメ」じゃないけど、ゆっくりした足どりでも働かないよりはマシです。カメだって人の倍働いたら、絶対差がつけられるはずです。


プロスポーツの世界にいた僕からみれば、トップアスリートの身体能力というのは、もって生まれた要素が大きいと思います。オリンピックの金メダリストと普通の人とでは、努力では埋められない圧倒的な差があるでしょう。でも、頭のなかの知恵については、それほど人によって違わないと僕は思うんです。知識不足は勉強によって補えますから。


プロ野球では失敗すれば交替させられますから、たとえるなら派遣社員や契約社員のような不安定な立場です。いまは派遣切りが問題になっていますが、もともと不安定な雇用だとわかっているはずなのに、いざ解雇されたら会社を悪者扱いするなんて、僕にいわせれば、ただの甘えにしかみえない。もちろん頑張っている人もたくさんいるのでしょうが、文句をいう前に、最大限努力することが大切じゃないかな。


決して甘くみているわけではないけれど、芸能界はプロ野球に比べればそれほど大変だとは思いません。まず、収録ならやり直しがきく。それに、協力して面白いものをつくらねばなりませんから、同じ番組に出れば仲間です。それに対して、野球はワンチャンス。投げて打たれたら終わりです。それに、控えのピッチャーが何人もいて、チームのなかもライバルだらけです。


小さいころから人様の食べ物を盗ってでも生き残ってきましたから、食べ物があるだけで幸せ。爆弾が飛んでこないだけで幸せですわ。だから、どんな仕事でも喜んでやりました。そうして30代を過ごしたところ、東京からもオファーがたくさんきて、いろいろな番組に出演できるようになったんです。
【覚書き|戦中・戦後の貧しかった少年時代を振り返っての発言】


僕はね、危機に直面したときにこそ、力を発揮するんですよ。つねに危機感をもっていますから。その根底には、プロ野球という、いつクビになってもおかしくない世界にいたことと、幼いころに戦争という極限状態を経験したことが関わっていると思います。


解説者というのは、偉そうに野球を語るのが一般的だったんですが、僕はそれよりも、聞いている人にわかりやすく伝えたい、楽しませたいという気持ちがありましてね。観ている人にとっては娯楽なんだから、選手はどんなことを考えているかとか、どんな裏があるかとか、そういう情報を織り交ぜた。そのほうが面白いじゃないですか。


僕らが30代のころは、日本が発展途上だったから、みな死に物狂いで頑張っていました。いまは経済がこんなにも低迷していて、成功するには千載一遇のチャンス。


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