松田憲幸の名言 一覧

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松田憲幸のプロフィール

松田憲幸、まつだ・のりゆき。日本の経営者。パソコンソフトメーカーのソースネクスト創業者。兵庫県出身。大阪府立大学工学部数理工学科卒業後、日本IBMに入社しシステムエンジニアとして金融系システム開発などに携わる。その後独立し、システムコンサルティング会社トリプル・エーを設立。その後、ソースネクストの前身である株式会社ソースを創業。低価格パソコンソフト市場を開拓し同社を急成長させた。

そもそも社長業とは何か、と考えると、社長の最大の仕事とは、より正しい戦略を考え、会社を正しい方向へ導いていくことです。そのために、正しい情報を得る努力は惜しみません。
【覚書き|毎週必ず販売店店頭に立って商品を売ることについて語った言葉】


本質的に重要な仕事は何かを見極め、そこに注力することで、全体の仕事の無駄を省くことができます。


メールを速く返すということを実践していると、いい情報がたくさん集まってくるのです。だれでも、きちんと速く返事をくれる人には、いい情報を教えてあげようという気になるものです。


弊社が商品の販売価格を1980円にしたり、ゲームソフトを増やしたのも、私が店頭で聞いたお客様の声や要望をもとに戦略を考えた結果です。仮に私が社長室に閉じこもって、情報が入ってくるのを待っているだけでは、正しい情報は決して得られませんし、画期的な戦略も立てられなかったでしょう。私が販売店を訪問することは、会社にとって重要かつ当然のことなのです。


メールの返事にしても、夜中の3時に来たメールに3時1分に返信したら、相手は驚くはずです。事業についても同様で、お客様が予想している以上の速さで新商品を出せば、世の中に驚きを与えることができる。いい意味で、サプライズを与えることができるのが、スピードの効用だと思います。


英語だけができる人なら大勢います。私の場合は英語だけではなく、技術でもトップレベルになれるよう努力しました。英語が得意な人は技術が苦手だったり、技術が得意な人はその逆だったりしますが、両方できることでかなり貴重な人材になれました。さらに私は技術の中でも大型汎用機とパソコンの両方をマスターしています。強みが2つだけならまだライバルがいるかもしれませんが、3つ極めると世界でも稀な存在になれるのです。


よくお客様にまで「今日はうちの社長が来ています!」と、アピールするメーカーがありますが、私はそういうことはしたくないのです。お客様の生の声を聞くことも、販売店訪問の重要な目的のひとつですから、社長であることを隠して店頭に立ち、実際に商品を売ります。社長と知って、商品について率直な意見をいう人はいませんから。
【覚書き|毎週必ず販売店店頭に立つことについて語った言葉】


自分の手で販売していると、お客様から、「安いのはいいが、品質は大丈夫なのか」とか、「こういうソフトがあったらいいな」といった、有益なヒントを得ることができるのです。
【覚書き|毎週必ず販売店店頭に立つことについて語った言葉】


社長の私が販売店を回ることで、社員だけではなかなか面談の機会がもらいにくい店長の方にもお会いできます。これも社長の仕事のひとつです。


よく、「仕事にはスピードが大切」といわれますが、スピードはあくまでひとつの手段であって、正しい判断をするための情報収集や、お客様に驚きを与えるという意味において必要なものなのです。しかも、お金を使わずに大きな効果をもたらすことができるのですから、これ以上ない手段だと思っています。


私は、判断力自体に大差がなくても、持っている情報量によって決定的な差が出ると考えています。判断力の優れた人でも、ある重要な情報が抜け落ちていたために、誤った判断を下してしまうことは多々あります。ですから、正しい情報が速く集まる状態にするために、たかがメールでも素早くレスポンスすることが重要なのです。その実践のため、弊社では、私を含めて役員は必ず、24時間以内にメールを返信しなくてはならないというルールを定めています。


父は何かにつけて行動が速い人でした。たとえば、旅先で誰かと一緒に写真を撮り、その写真を相手に送ってあげるとします。普通なら、1週間後か1か月後くらいに届けるという場合が多いと思うのですが、父に言わせると、それでは遅い。父は遅くとも次の日には発送します。それも知り合いだけではなく、旅先で偶然一緒になった人にも、同じように送るのです。きっと、相手は驚くと同時に、強い印象を持ってくれるでしょう。父は「速い」ことは相手への何よりのサプライズと考えているようです。現在父は71歳ですが、この点で私はまだまだ敵いません。


仕事の内容にもよりますが、「速く済ませることは良いこと」と両親から学び、知らず知らずのうちにそのように心がけてきたつもりです。


自分の「売り」を作ってゆくことが大切です。それは当社が店頭で販売する商品のように、自分のパッケージを考えるとよく分かります。例えば、パッケージに「TOEIC800点突破!」と印刷すると「TOEIC700点」よりも、たくさんの商品が並べられている陳列棚のなかでより目立つでしょう。さらに「経理もできます!」などと書けば、より商品としての価値が高まるはず。そう考えれば「性格」だってパッケージに書き込むネタになります。買い手がほしくなるスキルを磨き、その組み合わせを考えながら、自分の価値を高めてください。


どこに行っても役立つ汎用性のあるスキルを身に付けるべきだと思います。私の場合は英語がそうなんですが、学生時代に覚えた英語が、起業してから海外のパッケージソフトを導入するときなどに役立っています。でもそれだけじゃダメです。そういう強みを複数組み合わせ、オリジナリティーを発揮しなければなりません。


エンジニアには「技術オタク」のような人もいますが、私の場合は、母親が親戚の商売を手伝っていたこともあって、自然と商売人の気質が身に付いていたのかもしれません。だからパッケージソフトの販売を始めた当初、自分で秋葉原のパソコンショップの店頭に立ち、「特打」などの街頭デモができたんだと思います。街頭デモを実施するとお客様が喜んでくれるし、売り上げが上がるとお店も喜びます。相手に喜んでもらおうという気持ちが強かったのでしょう。


独立は不安よりも、何事も自分で決めて行動できるメリットの方が大きかったと思います。誰にも命令されないということは、お客様に対する責任をすべて松田個人が負うことができます。確かに独立は厳しい道ですが、フェアだとも思います。お客様が大会社ではなく、松田のほうがトクだと思えば発注する。そうでなければ発注しない。それだけの世界ですからね。


SE(システムエンジニア)は医師に似ています。担当医師でないと患者の病状が分からないように、担当SEでないとお客様のシステムのことは分りません。それだけSEは責任の重い仕事なのですが、私はお客様にご迷惑を掛けたくなかったので、必死で知識を習得していました。


日本IBM時代、とにかく分からないことは、すべてなくそうとしていました。SE(システムエンジニア)という仕事には、サーバーや通信、ハードウェアなど膨大な知識が必要ですが、すべてを覚えるのはとても大変なことなんです。それで多くのSEは、大型汎用機のことは詳しくても、パソコンのことは分からないといった人が多い。それでも私は分からないことがあれば、都度、自分で調べ吸収していました。


独立した理由は3つほどあります。1つは、組織の中で、自分が思うように評価されるのは難しいな、と感じたこと。もう1つが、海外のソフトメーカーと仕事をしたとき、ソースコード(プログラムの設計図)が手元にないつらさを味わったこと。これがないために簡単なバグ1つ直すことができず、お客様に迷惑をかけてしまうケースがありました。「自分たちでソースコードを持ちたい!」。その思いが起業の原動力であり、社名にも込められています。最後の決定打が、IBMの4年目にヘッドハンティングを受けたことです。海外企業が立ち上げる日本法人の支社長という話で、私も興味があったのですが、外資系企業の日本法人は部門マネジャー程度の位置付けなんです。「権限がなければ社員に全責任を負えない」とその話は断り、「それならば自分で会社を作ればいい」と思って起業したのです。


日本IBM入社当時は独立などまったく考えていませんでした。2年目の夏から海外出張するなど、外国人と仕事をする機会が増えました。彼らと話していると、転職や起業は当たり前のことで、私にも「どうして独立しないんだ?」と聞いてくるんです。その影響で自分の考え方が徐々に変化しました。それ以来「自分の価値」に敏感になりました。例えばお客様が自分たちに仕事を発注したとき、それはIBMという看板を信用しているのか、松田という個人を信用してなのかを強く意識するようになりました。


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