松本正義の名言 一覧

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松本正義のプロフィール

松本正義、まつもと・まさよし。日本の経営者。「住友電気工業(住友電工)」社長。兵庫県出身。一橋大学法学部卒業後、住友電気工業に入社。同社のヨーロッパ法人社長、本社自動車企画部長、中部支社長、常務、専務を経て社長に就任。一橋大学の後援会の如水会理事長なども務めた経営者。

誠意は世界共通の価値。


基礎技術の研究を継続することは、住友電工の生命線です。この努力を怠れば永続できる会社ではなくなってしまう。


未来は想像できても予知はできません。そこで歴代の経営陣は、研究開発テーマの「選択と集中」を意識的にやらないようにしてきました。


基礎研究の事業化がなかなか成功しないのは、多くの技術者が研究テーマと利益を結びつけていないため。


BtoBが中心の研究は時間がかかりますが、未来の地図を思い浮かべて出口戦略を描かなければならない。


亀井(正夫・会長)さんは、人を見るとき肩書きに関係なく「将来性がある」と思った若手に声をかけて育てる。私も大いに薫陶を受けました。


パソコンを使った報告書は字も読みやすく、見た目も綺麗に仕上がっているため、立派なことが書いてあるように思えますが、幹部の文章でもじっくり読むと内容がよくわからないものがあります。報告書に限らず、徹底的に熟考して書くことを忘れてはいけません。


手書きは大変な頭の訓練になります。ワープロで書いたからといって、考えていないわけではありませんが、簡単に修正ができるため、頭の中で思考を醸成させて文章化する作業は少なくなっているはずです。私もつたない字で報告書や起案書を何度も書き直したものですが、書きはじめる前には構成をしっかり考えていました。


仕事の文書は上司に読ませ、自分の考え方に賛同してもらい、支援を得るのが目的です。読む人の気持ちに立って書くのでなければ、日記を書いているのと同じことです。


私が報告書で鍛えられたのは、5年間のシカゴ駐在でアメリカ中西部を一人で担当したときのことです。当時、日本とのコミュニケーション手段は手紙、国際電話、テレックスの3つしかありません。国際電話は料金が非常に高く、ローマ字表記のテレックスは、ちょっとした連絡でもロール紙が長々と吐き出され、膨大な量になりました。そのためほとんどが手紙の往復でした。そこで無駄を省き、長文にならぬよう心がけました。


報告書の必須条件は、仕事の成果である出口と日程の時間軸がきちんと書かれていること。ストーリー展開にメリハリがきいて起承転結がハッキリしていること。そして簡潔なことです。この条件は報告書であれ、研究発表や経営会議での報告であれ、重要なポイントになります。報告を受ける側は忙しい立場の人が多く、ダラダラと報告されてはかないません。


私はトップと部下の距離は短ければ短いほどいいという信念があります。距離が開けば関心も薄れます。馴れ合いはいけませんが、近い距離で話をすることは大切です。


部下にとっても、毎月差しでやるわけですから、与えられた仕事の計画を忠実に守ろうとする雰囲気が生まれます。
【覚書き|部下の定例報告を毎月一対一で行うことについて語った言葉】


私は仕事で失敗したことがありません。秘訣は萬事入精(誠心誠意立ち向かい、日夜奮闘して成功させること。初代住友当主、住友政友が残した住友事業精神の中の一節)です。あらゆる方法論を検討し、多角的にものを見るのです。もちろん苦悩はありますが、それを機会ととらえるかピンチととらえるかは心の問題です。


こういう真っ暗闇の時期に不安がっていては何も始まりません。トップが綿密な計画を立て、それをきちっと守らせることが重要なのです。


最悪期と言われて思い出すのは、2000年初めに起こったITバブルです。もともと住友電工は歴史的に多角化・多様化を柱とする会社で、それが当社のDNAなのです。ところが、ITバブル期に情報通信があまりに大きな存在となり、住友電工も選択と集中に傾き、光ファイバーなどの情報通信向けに走ってしまいました。そしてITバブルの崩壊。赤字に転落しました。集中と選択はこれほど恐ろしいものかと痛感しました。


トップにはゴーイングコンサーン(継続企業)としての責任があり、そのときだけ良ければいいという判断はまずいのです。当時、私は常務の立場から、住友電工のDNAにある多角化、多様化を前面に押し出すべきだと主張していました。いまでこそワイヤーハーネスなど自動車向けが売上の半分以上を占めていますが、あのままITに突っ走っていたら住友電工の今はなかったかもしれません。


会社が縮小する中、唯一、変えなかったものが研究開発費です。企業の成長の源泉は研究開発にあります。研究開発費を削れば、その分利益は増えますが、次の世代に引き継いでも困らないようにしなければならない。自分がトップのときに利益を出そうと県kっ幽開発費を削るわけにはいきません。


一橋大学の恩師である著名な経済学者の都留重人先生に「強い意志、高い志を持って、決めたことを絶対に成し遂げろ」「変化が起こったときには目的をある程度モディファイ(修正)せよ」といつも叱咤激励されました。都留先生はただ「やれ」と言いっぱなしではなく、必ずチェックし、フォローしていました。やれと言うだけなら、リーダーとして責任を果たしたことにならないのです。


最悪の時期を脱するため、あるいは最悪の状況に陥らないためには、自分の精神のインフラ、下部構造をしっかりしておくことが肝心です。いまのビジネスマンはあまりに多忙ですが、金融はともかくメーカーは1秒、2秒を争うことに本当に意味があるのか。それよりも自分を陶冶(とうや。人間形成や教育)する時間が大切だと思います。


敵がどれだけあってもブレイクスルーする馬力を持った「気骨ある異端児」であれ。そのためには、簡単に揺るがない「心のインフラ(心の基礎部分)」を整え、様々な角度から問題解決法を出さなければなりません。


非定常的、非日常的な事態に的確に対応できる精神の基礎は教養、とくに古典に学ぶことです。歴史の中で何度も起こったことが格調高い形で蓄積されたもの、それが古典だからです。小説でも絵画でもいいから対峙し、それが持つテーゼに自問自答しながら自分の教養を深めるプロセスがあれば、自分が抱えている課題に何らかのヒントが得られます。


私がトップになって始めた活動に本部長対話があります。事業本部、営業本部、研究開発本部のトップを毎月呼び、私と一対一で事業報告させます。人事、設備投資、海外戦略などの問題を聞き、できなかったことについては反省を聞きます。「顔色悪いけど、風邪ひいてるんとちゃうんか」などと声をかけることもあります。差しで話せば気づくこともあります。住友電工のような規模の大きい会社だからこそ、こういう場で早め早めに問題を見極めていく必要があります。


厳しい環境でも研究開発費を削らなかったのは、住友家初代住友政友が残した住友事業精神があったからです。住友の一員として経営を任された者にとって、困ったときにはこの基本原則に戻ることが大切なのです。


住友家初代の住友政友が残し、400年にわたって受け継がれている「住友事業精神」の中に「遠大なる企画」という教えがあります。自分がある企画をつくっても、自分の世代だけでは実現できない場合は、次の世代が引き継ぎ完成度を高めていく。2代、3代にわたってひとつのプログラムを完成させるくらいの大きな志を持って企画せよという教えです。


質、コスト、納期、開発)が大切です。忙しさにかこつけて放っておいたものもありました。これを解消し、SQCDDを徹底追及しました。
【覚書き|リーマンショック後の経営立て直し時を振り返っての発言】


社長になってから一番苦しかったのは、リーマンショックです。直前の2008年3月期は過去最高の業績で、水ぶくれのように大きくなっていただけに、落ち込み方も激しく、受注が大きく減少しました。いくらうちが多様化していても、全産業が低迷となればどうにもなりません。そこでまず身の丈に合った組織とコスト構造の再構築を目指しました。


最初は英語を聞いているだけで頭が痛くなる有様でしたが、誰も助けてはくれません。仕方がないので、自動車に工具を積んで手当たり次第に工場を回りました。うまくしゃべれないから、とにかく実演。目の前で工具をセットし、実際に削ってみせる。後は誠意です。言葉はしゃべれなくても、卑屈にならず一生懸命やる。
【覚え書き|米国赴任時を振り返っての発言】


現在、数十種類に及ぶ基礎研究が続いていますが、成果が花開くには少なくとも10年はかかるでしょう。待つ時間は必要ですが、時間がかかることを「良し」とする文化は改めなければなりません。「事業化までに20年かかりました」と研究者が誇らしげに言うなら、「20年もかかって申し訳ないと思え」といさめる必要がある。


経営陣が一度ゴーサインを出した研究については、「技術者が自ら白旗を揚げるまで撤退をしない」と、腹をくくる経営姿勢が今日まで受け継がれています。


長期にわたる基礎研究のスタート時点では、市場のニーズが顕在化していない場合が多い。目先のニーズを満たすために、基礎研究を始めるわけではないのです。だからこそ、技術者と経営陣が「この技術はいつか必ず世の中に必要とされる」と信じて、続ける覚悟が必要だと思います。


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