松木安太郎の名言 一覧

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松木安太郎のプロフィール

松木安太郎、まつき・やすたろう。日本のサッカー選手、コーチ・監督、解説者。東京出身。小学生時代からサッカーを開始。中学進学と同時に読売サッカークラブへ加入。日本体育大学体育学部体育学科へ進学後、3年時に読売サッカークラブの活動に専念するため大学を中退。主将としてチームを牽引し、日本サッカーリーグ優勝3回、天皇杯優勝3回、JSLカップ優勝1回に貢献。32歳で引退し読売サッカークラブ・ユースのコーチ、読売サッカークラブ・トップチームのヘッドコーチなどを務めたのち、ヴェルディ川崎の監督に就任。Jリーグ開幕から2年連続王者に導いた。その後、セレッソ大阪、東京ヴェルディ監督を経てサッカー解説者として活躍した。

人生って不思議なもので、「こうなりたい」という方向にはなかなかいかないものです。でも、僕はその方が幸せかもしれないと思うんです。「ここでやるしかない」と腹を括るからこそ、力が出る。


いまの若い人たちは情報や選択肢が多すぎて、かえって迷うことがあるんじゃないかな。そういうときは、あれこれ考えるより、とにかく突っ走った方がいい。


「こうしたほうがきっと得だ」とか、「これは損だ」とか、そういう計算で動くと、その計算が狂ったときには、途端に動けなくなるものです。最後は、ガムシャラに走り続ける心のエネルギーがものをいうのは、サッカーでも仕事でもきっと同じだと思います。


実は監督をやめたあと、7か月間仕事がなかったんです。やっと来た依頼は、朝4時のニュース番組の、たった1分間の解説でした。それでも、「自分はまだ世の中から必要とされているんだ!」と思えて、めちゃくちゃ嬉しかった。だからもう、その1分間に全力を傾けて解説しました。それからかな、他の仕事がだんだん増えてきたのは。


32歳で現役を引退しコーチになりましたが、決して楽ではなかったですね。ユースのコーチの年俸は、現役時代の約3分の1。若い選手達が相手ですから、掃除のやり方から教えたり、ユニフォームを洗濯したりして、いろいろ世話を焼きながらサッカーの指導をしなくちゃいけない。ついこの間までの選手時代とは、まったく違う生活で、果たしてやっていけるのかと悩みました。でもやっぱりサッカーが好きだから、この道でやっていきたい。環境が十分じゃなくても、なんとか選手と自分が成長できるように、人一倍の熱意で指導しようと決めたんです。


30歳になったときは、まだサッカー選手として現役だったし、結婚して子供もできたころで、公私とも充実していた時期でした。でも不安でした。いまの時代なら現役をもっと続けるという選択も可能でしょうが、当時はある程度以上の年齢になった選手が活躍できる場所はほとんどなかったですから。けれどやっぱり、できるかぎりピッチに近いところにいたい。そんな気持ちから指導者になる道を選んだわけです。


40代くらいになると、「自分は何でも知っている」と思いがちですが、そんなことはありません。僕だって30年もサッカーをやりながら、まだまだわからないことが多い。わからないことは「わからない」と言って大丈夫。


僕もコーチライセンスを持つ監督経験者ですから、専門用語を使って解説することはできます。でも、視聴者の中には「オフサイド」という言葉すら知らない人も多い。もちろん、必要があれば解説をしますが、それが試合の「流れ」を断ち切ってしまうようなら、あえて説明しないことも大事だと思っています。


僕の解説はあくまで自然体でやっています。その瞬間にテレビに映るシーンを、見ている人が楽しめるように伝えることが、テレビでのサッカー解説の仕事だと思っています。だから視聴者と一緒になって応援したり興奮したりする。それでいいと思うんです。


とくにスポーツでは、ケガや不調などで思いどおりにいかないこともあります。だからこそ、困難な状況でも気持ちを前向きに切り替え、次のチャレンジに向けて目の前のことに全力投球することも必要だと思います。


最初に解説の仕事をもらったのは朝4時のニュース番組の、たった1分の解説でした。でも、それがうれしくて、全力投球で解説をしました。そうやって目の前の仕事に全力で取り組んでいくのが、僕の生き方なんだと思いますね。


選手からコーチになるときは、年収は激減しました。その後も監督としてJリーグ優勝を経験したり、一方で思うような成果が上げられなかったりと、何度も浮き沈みがありました。ただ、選手時代から培ってきた「元気」があったからこそ、意気消沈するよりも、「ここでがんばらなきゃ」という想いが強かった。


僕は決して生まれつき明るいわけではありません。僕の明るさや元気はむしろ、サッカー選手時代に後天的に身につけたものです。僕は選手として能力のあったほうではありませんでしたから、強くなるためにいろいろな技術やスキルを身につける必要があった。その方法論として、寡黙に努力するよりも、明るく振る舞っていろいろな人と関わる中で、多くのことを吸収しようとしたわけです。つまり、苦難や壁を乗り越えるためのエネルギーや向上心が僕の場合は「元気」だったのです。


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