松下正幸の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

松下正幸のプロフィール

松下正幸、まつした・まさゆき。日本の経営者。PHP研究所会長、パナソニック副会長。創業者松下幸之助の孫。大阪出身。慶應義塾大学経済学部を卒業し、松下電器産業(のちのパナソニック)に入社。米国ウォートン・スクールでMBAを取得。卒業後、米国の現地法人で働いたのち、洗濯機事業部長、取締役、常務、専務、副社長などを歴任。そのほか、関西経済同友会代表幹事、関西経済連合会副会長、慶應義塾評議員などを務めた。

祖父(松下幸之助)からは「人の話をよく聞きなさい」と教えられましたが、それ以外には、ああせえこうせえとはあまり言われませんでした。


大学院に受かったときは、よかったなと言ってくれましたが、それで終わりです。幸之助からしてみれぱ、そのころの私はまだまだ人生が始まったばかりですから、あまり褒めて有頂天にさせてもいけないと思ったんじゃないかと思います。会社に入って部門を任されて、それなりの業績をあげたときにも、あまり褒められた覚えはありません。それよりも、そのあと、これからどうしていくのだということについては、非常にたくさんの質問をされました。


「自分自身をもっと高いところから見下ろしている自分」というものを意識し、その高いところから見下ろしている自分の気持ちをみずからに取り入れていけば、少しは素直になれるのではないかなという思いがしています。


いわゆる、「結果としての素直な心」にはそう簡単になれるものではないし、死ぬまでなれないかもしれないけれど、常に「もう少し、より素直な心になりたい」と思い、心がけ、努力することが非常に大切なのではないかと思います。そういうことで、私自身が心がけていることとしては、できるだけ広い視野に立とう、できるだけ長期的な観点を持とう、できるだけ公の心を持とう、ということであります。


私は幸之助の遣した言葉として、この「素直な心」というのは非常に好きですし、なんとか素直な心の持ち主になりたいなという思いを常に抱いております。ただ、素直な心というのはどういう心なのかということになりますと、なかなか奥が深い。「これで自分は少し素直になれたかな」と思っても、まだまだそれは浅い段階だったりします。「とらわれない心」とか、「私(わたくし)の心をなくして公の心を持つ」とか、幸之助自身もいろいろな解説を加えておりますけれども、これは突き詰めれば、「神様の心になれ」というぐらいのことになってしまうのではないかなとも思います。神様といっても、もちろんギリシャ神話や日本の神話時代の神様ではなくて、いわゆる至高の存在としての、誤りのない神様のことです。そういう神様の心に近づかないと、なかなか素直な心にはなれないのではないかなと思っております。ただ、我々は人間ですから、神様になることはできません。したがって、本当の素直な心というものにはなりきれないわけですけれども、その、なろうとする気持ち、これが非常に大切なのではないでしょうか。


今の大学生のかたがたというのは、レポートを出せということになりますと、インターネットで調べて、そこからいろんなものを引っ張り出してきてギュッと合わせて、レポートをまとめるというかたが多いようです。その組み合わせ方ぐらいには少し創意工夫はあるけれど、そのもとになるものについては、あまり自分自身で考えていないのではないかなと思うことが、結構あります。私は若い皆さんがたには、自分自身の考え方を持つということを、もっともっとやってほしいと思います。


経営上のさまざまな困難に際したときに、幸之助はわりと的確な判断を下したと、世間様からは言われております。あれは動物的な勘が非常に冴えていたのではないかというふうに思われているフシもございますが、それも常日頃から、あらゆる国の、あらゆる地域の、あらゆる階層の、あらゆる地位の人に、分け隔てなく、いろんな話を聞いていたからだと思います。そういった蓄積から総合判断して、「この場合はこういう方向に進めばいいのではないか」というふうに判断を下していた。単なる勘ではなくて、そういう総合的で、非常に奥の深い、生の現場の知識を自分のものにしていたからこそできたことでしょう。


私の大学時代、友だちが夏休みに、わが家に10日間ほど泊まったことがありました。私は日曜日ごとに祖父のところに行っておりましたので、その友だちを連れていきましたら、彼を1時間ぐらい質問攻めにするわけです。ようやく尽きたかなと思ったら、今度は、「ところで、きみのお父さんは何をしていらっしゃるんだ」と聞く。彼のお父上は浅草で産婦人科の開業医をやっていたので、今度は浅草での開業医の生活について、いろいろ質問攻めにするわけです。それほど、あらゆることに好奇心を持っていた人でした。


いわゆる聞き上手というと、本当はさほど聞きたくない場合でも、さも興味を持っているように装って人から話を聞き出すというようなニュアンスがつきまとうかと思うのですが、幸之助というのは、そういう意味での聞き上手ではなかったと思います。常に好奇心に満ちあふれていて、なんとかこの人から最大限吸収したいという思いでいっぱいだったのではないでしょうか。


幸之助と会って話をした人にとっては、幸之助のような人が自分に非常に興味を持って、いろいろなことを聞いてくれる。すると、大変嬉しい。だから自分の持っている、ありったけを幸之助に伝えようとします。聞くほうはもちろん、話すほうも意欲に満ちているわけですね。したがって、話は非常にはずみ、また、中身の濃いものになる、そういうことであったのではないかと思います。


一般に、人の話をよく聞くことは非常に大切なことと言われていますし、幸之助は聞き上手と言われることも多くありました。確かに聞き上手といえば聞き上手でしたが、私はちょっと別のとらえ方をしています。幸之助は聞き上手だったのではなくて、聞くことに人一倍の好奇心を持っていた、また、学びたいという意欲が人よりもはるかに大きくあったと思っているのです。幸之助みずからが言っていますように、自身は体系的な学問を学校で習うことはありませんでした。したがって会う人会う人、どんな人でも自分より知識が豊富に違いない、その人の知識をできる限り吸収したい、そういう好奇心にあふれていました。


松下電器(現パナソニック)に入って、それなりの部門の経営を任されるようになってからは、年に二回ほど祖父(松下幸之助)に報告にまいりました。私は、「いま、私の部門はこういう状況で、次はこういうことを狙っています」ということを報告するわけですが、そのときにも、報告内容について、「そんなことはするべきではない」とか、「もっとこういうことを考えろ」というような指導は一切ございませんでした。ただ、ひたすらいろんな質問が出てくるのです。たいていの質問には答えられるのですが、なかには私が、「えっ、そんなこと聞くの?」と言いたくなるような思ってもみない質問が出てくることもあるわけです。こちらも一応、その部門の責任者として、あまり知らない知らないと言うわけにもいかないので、多少うろ覚えの数字を言ってみたりするわけです。そういうときは、「こいつ、このあたりは勉強不足だな、よく理解していないな」ということを、祖父は分かったと思うのですけれども、それについて叱られることもなく、そのときはそのときで済むわけです。ところが次に報告にいったとき、また同じ質問が繰り返されます。こちらも、前回答えられなかったところはしっかりと勉強していっていますので、そのときは答えられるわけです。一回目に答えられなかったとき、その場で叱ってしまえば、それまでのこと。そこを、私自身が答えられなかったと自覚し、その部分を勉強して今度は答えられるように仕向けてくれたのです。いわば、みずから気づかせ、悟らせる教育を、祖父はしてくれたのではないかと思っております。


私は祖父から様々な教えを受けたと、皆様がたは思われているかもしれません。しかし私自身、祖父・幸之助からこれはこうしたほうがいいとか、そういうことをするのはやめるとか、そういう直接の教えを受けたことはありません。私は国内の大学を出たあと、アメリカの大学院に留学いたしました。大学院入学許可の通知をもらったとき、その報告のために、祖父のところへまいりまして、「こういう素晴らしい大学院に留学をしてきます」と言いました。そのとき祖父は、「それはよかったな」と言ったあと、「ただ、経営というのは学校で学べるものではないよ」という一言がつきました。皆様がたも祖父の言葉として、「経営のコツここなりと気づいた価値は百万両」という言葉をご記憶かと思いますが、まさにそういうことだと思います。みずから気づくことが大事だということを言いたかったのでしょう。それが祖父の教えであったのではないかと思っております。


祖父(松下幸之助)はどんな人の話もとても熱心に聞きました。相手は、「自分のような者の話を熱心に聞いてくれる」と自分の持っているすべてを伝えようとする。祖父は、そうした人たちの生の経験を聞き込んで引き出しにしまっておき、非常に難しい判断を迫られる時に、その引き出しを開けて参考にしました。


新しい事業を始めることはできても、今までやってきた事業をやめるという考えは、なかなか下からは上がってこない。トップにしか決断できないことです。それに、その事業に長いあいだ携わってきた人たちの苦労を考えると、撤退すると言い出しにくい点もありますね。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ