本田宗一郎の名言 一覧

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本田宗一郎のプロフィール

本田宗一郎、ほんだ・そういちろう。日本の経営者。自動車メーカーホンダの創業者。高等小学校卒業後、自動車修理工場のアート商会に丁稚奉公として入り、6年の勤務ののちのれん分けを受け、故郷の浜松で独立。その後、本田技研工業株式会社を設立し二輪車の研究をスタートさせる。ホンダを世界的企業へと育て上げた。

「得手に帆を揚げて」とはよく言ったもので、得意な道を一生懸命に打ち込んでおりさえすれば、チャンスは必ずある。


人生は冒険、仕事も冒険、そして生きるのも冒険。


はんぱな者どうしでも、お互いに認めあい、補いあって仲よくやっていけば、仕事はやっていけるものだ。


失敗したからといって、くよくよしている暇はない。


やってもせんに! とべ!
【覚え書き|本田氏の要求に「難しそうです」と答えた社員に対しての言葉。「やってもいないくせに、いますぐ行け(やれ)」という意味】


人の真似をするな。何を食ってもいいが、自分のクソをしろ!
【覚え書き|そのままコピーするのではなく、自分なりに消化してからアウトプットしろという趣旨の発言】


失敗のない人生なんて面白くないですね。歴史がないようなもんです。


いや、いいんだよ、その油まみれの手がいいんだ。俺は油の匂いが大好きなんだよ。
【覚え書き|本田氏がある社員と握手をするために手を差し出した。その社員は握手をためらった。自分の手が仕事で油まみれなので本田氏の手を汚してしまうと思ったからだった。上記はその社員への言葉】


僕らの若い頃も「いまどきの若い奴らは……」とよく言われたよ。でも、こんなものそれほど気にすることはないよ。結局、若い時に何をしたかが大事なんじゃないか。


不況、不況と言う前に、もう一度自分自身を、あるいは経営者なら会社を「総点検」してみるといい。きっと、何か忘れているものがあるよ。


少しでも問題意識が深まるような日常感覚を磨き、そして、そういう話題を共有しよう。沈黙は金ではなくて泥だ。


どんなに小さくても、気づいたこと、思ったこと、観たことを仲間に話したり伝えてみよう。アイデアはでてくるし、勇気もでてくる。


日本一になるなどと思うな。世界一になるんだ。
【覚書き|ホンダが東京に進出したとき社員に向かって言った言葉】


企業で一番怖いのは社長の無知です。問題は持っている知恵が古くなることです。そうすると、過去がどんなに偉かった経営者でも、会社をつぶすことになります。


創業当時、私が「世界的視野に立ってものを考えよう」と言ったら噴き出した奴がいた。


死んでから来ては、名医もヤブ医者以下だ。


人真似をするな。楽をしたければ人真似をするのも自由だが、そうなると企業は転落と崩壊の道をたどり始める。


技術者だからそこ自重してはならない。技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ。


通産省に言われたことと全部反対のことをやってきた。だから、ホンダの今日がある。


私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。


資本がないから事業が思わしくないとの声をよく聞くが、それは資本がないからではなく、アイデアがないからである。


社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。


やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。


私はうちの会社のみんなに、「自分が幸福になるように働け」っていつもいってるんですよ。会社のためでなく、自分のために働けって。


進歩とは反省のきびしさに正比例する。とかく他人にきびしく、自分自身に寛大なのは凡人の常だ。


嫌いなことをムリしてやったって仕方がないだろう。私は不得手なことは一切やらず、得意なことだけをやるようにしている。金をかせぐよりも時間をかせげ。


当時、一生懸命がやたらと尊ばれた。たんなる一生懸命には何ら価値がないことを為政者は教えなかった。だから国民は一生懸命が価値を持つためには、正しい理論に基づくことが前提条件だということを悟らなかった。


こんなところで遊んでないで、さっさと帰って油まみれになって働け!
(覚書き|経営者向け勉強会に講師として呼ばれたときに発した言葉。理論や勉強は大切だがそれ以上に実務の中で培われるものを大切にし、一生懸命汗水たらして自分の事業を行えと戒めた言葉。)


人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すことである。長い目で見れば人生にはムダがない。


芸術でも技術でも、いい仕事をするには、女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。


発明は恋愛と同じです。苦しいと思えば苦しい。楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。


飾りによってデザインの効果を現そうとする考え方は邪道だということだ。実用品自体が飾りでありデザインであるということでなくてはならない。


日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。


私の現在が成功と言うなら、私の過去はみんな、失敗が土台作りしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。


何かを深く信じれば、誰でも自分の中に大きな力を見つけだし 自分を乗り越えることができる。


これ(クルマ)は、箪笥だの呉服を売るのとは違って、人間の生命に関することなんだから、その点に一番気をつけなければならない。


金のことは任せる。交通手段というものは、形はどう変わろうと、永久になくならないものだ。けれども、何をつくりだすかということについては一切、掣肘(せいちゅう=干渉、口出し)を受けたくない。俺は技術屋なんだから。
【覚書き|ビジネスパートナーの藤沢武夫氏に言った言葉】


世の中で一番素晴らしいものは若者のエネルギーだよ。こりゃあ進歩の原動力だ。社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、老害以外の何物でもないからね。そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。


金なんかなくたって、心が豊かで、誰にも迷惑をかけずに、好きなことをやっていけたら、これが一番幸せな人生なんだろうな。俺は若いころから好きなこととなると無我夢中になった。だって、嫌いなことを無理してやったって仕方がないだろう。人間「得手に帆あげて」生きるのが一番良いからね。ただし、俺が好きなことばかりやってこれたのも、会社でも家庭でもいいパートナーがいたからなんだ。


輸入規制などはとんでもない。オートバイを輸入しろ。輸入して外国製品と競争していくと日本のオートバイ・メーカーがちゃんとしたものを作れるようになる。


アメリカでも成長企業の社長の平均年齢は40代で、60代の社長が率いる会社は活気がなく、停滞する傾向があるといわれている。若いということは、なんと素晴らしいことかとつくづく感じた。私に目を見張らせるような新しい価値観、企業と社会の関わり合いについて新鮮な感覚、こういうものの上に築かれる、フレッシュな経営が必要になってきているのだ。
【覚書き:上記発言は引退のあいさつの中で】


そんなバカなことはないだろう。苦労して城を作ってくれたのだから大事にするなり、せめて情報の隔離ということからすれば島流しくらいがあたりまえで、殺すとは何事だ。
【覚書き:徳川家康が江戸城完成後に情報漏えいを防ぐため、築城にあたった労働者・技術者を全員殺したというエピソードを知った時の発言】


息子や親せきでないと社長にしないとか、東大出でないといかんとか、企業に関係のない条件で社長を選んでいるところがある。みんなが見ているというのに、それでいいと思っているんですかね。会社は大勢が飯を食うところ、大勢の生命の源泉です。そこを忘れたら会社は潰れますよ。
【覚書き:ホンダの社長は2代目以降も能力重視で現場たたき上げの人間が多数を占めている】


藤沢(武夫)は自分にないものを持っている。考え方は違うけれど、違うからこそ組む価値がある。世界には45億も人間がいるが、みんなとつきあうわけにはいかない。藤沢と僕の出会いはその代表みたいなもので、藤沢はいわば45億の代表ですから。
【覚書き:一度会っただけで藤沢武夫氏をホンダの常務に迎え、経理や販売について全権委任したときについて聞かれた時の言葉】


毎日家にいて、やることがなくって困ってますよ。仕事、本当に面白いのは仕事だけ。
【覚書き:引退しホンダの経営から退いたあと、隠居暮らしについて尋ねられたときの発言。】


技術屋ってのは、手でモノを作る商売なんで、しゃべったり、文章を書いたりするのは俺は苦手なんだよ。その俺にかしこまった人生訓だの家庭訓だなんて苦手だね。だいたい、おれにとって家庭訓が一番難しいってことは、世間様のほうがよく知っているよ。それでもまあ、自分の生き方を強いて言うなら「当たり前のことを当たり前にやる」ってことかな。こんなことは人生訓にゃならないかもしれないけど、俺はこれまで当たり前のことを当たり前にやってきたつもりだよ。


創立期に藤沢武夫って経営の名人に巡り合えて、二十数年も一緒に仕事をしてきた。世間の人たちは、俺と藤沢のことを水と油だとか、太陽と月だとかに例えて言っているようだけど、若いころに腹をぶち割って話し合い、互いの長所を心底認め合ったんだ。ちょっとやそっとじゃ壊れる仲じゃない。男同士の友情なんて派手な言葉は好きじゃないが、他人に友情を求めるなら相手の秘密を絶対に守ること。人間親しくなれば当然相手の不可侵領域まで立ち入るようになる。それを軽々しく他人に喋るようじゃ、友情だの信頼だのが成り立つわけがないよね。


本田技研って会社が今日あるのは、パートナーがよかったからってだけじゃない。最大の理由は会社に若さがあったってことだろう。俺も藤沢も若かったけど、周りがみんなもっと若くて、エネルギーのある奴らばかりだったんだ。若い社員たちは、俺がどんなに叱ろうが、怒鳴ろうがびくともしない。かえってやる気を起こすんだ。これが年寄りばかりだったら、そうはいかないよね。


誰か口の悪いのが俺のことを、亭主関白の恐妻家だって言いやがったのが、言いえて妙だねえ。俺は外じゃ誰にも迷惑をかけないが、家じゃ女房に厄介をかけてばかりいる。だから頭が上がらないわけだ。俺にとって女房は昔からセーフティ・バルブの役目だった。


人間死ぬときは、金も名誉も関係ないはずだ。なまじ金持ちになったりするから、家庭や兄弟が悶着を起こしたりする。死ぬまで金に執着したり、金の力に頼らなきゃ何もできない人間は不幸だと思う。別に金持ちになりたくて働いていたわけじゃない。仕事が面白くて仕方がなかったんだし、遊びたいために、一生懸命に働いた結果、会社の若い連中もついてきて、今日まで発展してきたんだ。


年寄りが経営者であり続けるなら、せめて若い人の悪口を言わないという保障をしてほしい。もうひとつの注文は、時代の変化を勉強すること。やってみると、それが年寄りにとっていかに難しいかが良くわかる。徳川時代のように変化がほとんどない時代には、知恵なり経験則を持っている老人が長老として威張っていられた。現代は、あんまり世の中が進みすぎるものだから、わからないことだらけ。


ジョークを言えない人とは付き合えない。仕事だってなめらかにできない。そういうことを案外忘れているのじゃないか。借り着で表現している人は偉い人、自分の個性で表現すると下品だということになる。だから私なんかは、いつでも下品の烙印を押されてしまう。漫才みたいなことを言って、締めるところはきちっと締めるから、みんな安心して平等感を味わってくれる。


身のまわりにいくらでも転がっている幸福から、自分のものを選び出し、それを最高のものに高めることだね。時間だけは神様が平等に与えて下さった。これをいかに有効に使うかはその人の才覚であって、うまく利用した人がこの世の中の成功者なんだ。


人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。拝む心がなければ人は動かない。つねに素直に。


技能というものは、その人一人の性格にこだわるから不安定である。アイデアで解決したものは安定している


人生は『得手に帆あげて』生きるのが最上だと信じている。
【覚書き|得手に帆を上げて=風の流れ時流に沿って生きろ。順風の時はチャンスを逃さず最大限に活用しろという意味合い】


人生は「見たり」「聞いたり」「試したり」の3つの知恵でまとまっているが、多くの人は「見たり」「聞いたり」ばかりで一番重要な「試したり」をほとんどしない。ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。


耐える心に、新たな力が湧くものだ。全てそれからである。心機一転、やり直せばよいのである。長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。


勇気というのは強いからとか、勇ましいから勇気があるというのではない。たとえ、自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である。


発明考案にしても、人より一分でも一秒でも早ければ、特許になる。すべてスピードじゃないですか。だから、スピードを否定したら、発明的創意工夫もないし、そこにウィットもないはずです。


成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである


人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、必要のない人間というのはいないのである。


人間、生をうけた以上どうせ死ぬのだから、やりたいことをやってざっくばらんに生き、しかるのち、諸々の欲に執着せずに枯れ、そして死んでいくべき、という考え方だ


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