本多静六の名言 一覧

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本多静六のプロフィール

本多静六、ほんだ・せいろく。日本の林学者、投資家、作家。東京帝国大学(のちの東京大学)教授。薄給の大学教授でありながら億万長者になった人物。専門は林学。作家・コラムニストとしても活躍し、科学や学問を一般人にも分かりやすく紹介する著作を370冊以上執筆した。蓄財について語った『私の財産告白』は現在でも多くの人に読まれている。

手っ取り早く成功せんとする人は、手っとり早く失敗する人である。真の成功には速成もなければ、裏道もない。あせらず怠らず、長い道を辛抱強く進んでいくよりほかはない。


散る花を追うことなかれ、出ずる月を待つべし。くれぐれも過ぎ去った失敗にこだわらぬこと。


金儲けは理屈ではなくて実際である。計画でなくて努力である。予算でなくて結果である。


カネを馬鹿にする者は、カネに馬鹿にされる。これが、世の中のいつわらぬ実情である。
財産を無視する者は、財産権を認める社会に無視される。これが、世の中のいつわらぬ現実である。


人間というものは、カネがなくても、カネができても、得てして偏狭になりやすいものだ。大いに心すべきである。


子孫を本当に幸福ならしめるには、その子孫を努力しやすいように教育し、早くから努力の習慣を与え、かつできるだけ努力の必要な境遇に立たしめることである。


いくら稼いでも節約しなければ駄目。それはちょうどザルに水を盛るかのようなものだ。またいくら節約しても、節約を通り越して吝嗇にすらしても、働かなければ駄目。それはちょうど徳利の中の水を守るかのようなもので、ついには腐って臭気を発するばかりだ。


世俗的な成功の第一義はまずなんとしても経済生活の独立にある。これなくしては何ごとの成功もおぼつかなく、またどんな成功も本当の成功とは世間で認めてくれない。この人生に最も大切な経済生活の独立には、どんな職業であるかにかかわらず、積極的に働いて、消極的に節約耐貧するよりほかに道はない。


(扶養家族)9人を抱えていた私は、これではいつまでたっても貧乏から抜けられない、貧乏を征服するには、まず貧乏をこちらから進んでやっつけなければならぬと考えた。貧乏に強いられてやむを得ず生活を詰めるのではなく、自発的に積極的に勤倹貯蓄を努めて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた


貯蓄生活を続けて行く上に、一番の障りになるものは虚栄心である。いたずらに家柄を誇ったり、いままでのしきたりや習慣にとらわれることなく、一切の見栄さえなくせば(収入の25%を強制的に貯金する)四分の一天引き生活くらいは誰でもできるものだ。


人間の一生を見るに、誰でも早いか遅いか、一度は必ず貧乏を体験すべきものである。子供の時、若いころに贅沢に育った人は必ず貧乏する。その反対に早く貧乏を体験した人は必ずあとがよくなる。どうせ一度は通る貧乏ならできるだけ早くこれを通り越すようにしたい。ハシカと同じようなものだ。


とにかく金というものは雪だるまのようなもので、はじめはほんの小さな玉でも、その中心になる玉ができるとあとは面白いように大きくなってくる。少なくとも四分の一天引き貯金ではじめた私の場合はそうであった。だから私は確信を持って人にも勧めてきた。どんなにつらい思いをしても、まずは千円をお貯めなさい。【覚書き|当時の千円=現在の100万円前後】


投資戦に必ず勝利をおさめようと思う人は、いつも静かに景気の循環を洞察して好景気には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず巧みに繰り返すよう私はお勧めする。


ケチと節約とはまったく別物である。ケチは当然出すべきものを出さず、義理人情を欠いてまで欲張ることで節約とは似て非なるもの。節約は出すべきものをちゃんと出し、義理人情も立派に尽くすが、ただ自分に対してだけは足るを知り、分に安んじ、一切の無駄を排して自己を抑制する生活を指す。ところがこの両者が世間から往々同一視され、節約がいかにもしみったれなケチであるかのように罵られやすい。ここでたいていの人には節約の辛抱ができなくなり、辛抱ができにくいことの口実になってしまう。世間からケチと笑われ金を残すか、世間から気前がよいとおだてられつつ一生ピイピイして過ごすかふたつの中、ひとつを選ばなければならない。


何人も貯金の門をくぐらずに巨富には至りえない
【覚書き|本多静六博士は収入の25%と、特別収入(給料以外のボーナスや印税・講演料)のすべてを貯金し、さらにたまった金を土地と株に投資して億万長者になった。種銭を作る一番確実な方法は収入を貯金すること。貯金をするとキャッシュフローのコントロール法も会得することができる】


いかに有為有能な人材であっても、一つの仕事に打ち込んで、それを大成せぬ間に他の仕事に目を移したり、途中で放り出したまま他へ転ずるというようなことでは、精力の分散となって自然無駄も多く、ついにその初めの一事をだにしがたいことになるのである。


世の人の成功不成功といった事績を調べてみると、大体その両者の努力には大差がないにもかかわらず、不成功者はいずれもいま一息というところで肝心な打ち込み方が足らない。山登りにたとえるならば、八合目、九合目あたりで苦しくなり、嫌になり、ついにその登山をあきらめるか、思いかえして他のコースに転じたりするからである。


相当な財産の分与などはまったく顧慮する必要がなく、これはかえって子孫を不幸に陥れるものだ。


何事に成功するにも、理性を持って感情を抑えることが極めて重要である。しかし、場合により、理性はどこまでも曲げてはならないが、その理性をむきだしに現さないで、愛嬌というか、人情というか、ともかくそうしたたぐいの衣装を着せて出すことが必要である。言葉を換えて言えば、幾分か理性を抑えて情に負けることが大切である。


資産不相応な融資をしたり無理算段の投資をしたり、おのれの器量以上に大きな仕事や不慣れな事業に手を染めたり、いたずらに成功を焦ったり、堅実を欠くに至った人たちが失敗に帰している。


少しばかりカネができても、早く金持ちになろうとか、急に財産を殖やそうと焦るのは、たとえ一時の小成功を収めることはあっても必ず最後はつまずきを招くものである。よくよく注意しなければならない。


バカに儲かる仕事は、バカに損する仕事でもある。バカに儲かって、そして決して損をしない事業なんて、常識から考えてもまったくあり得ないことである。しかも、そんなにウマイことがあるのなら、誰しもこっそり独りで始めてしまう。そうそう他人に説き歩くものではない。


幸福とは決して親から譲ろうと思っても譲れるものでなく、またもらおうと思ってももらえるものでもない。幸福は各自、自分自身の努力と修養によって得られ、感じられるもので、ただ教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。


勤労生活者がカネを作るには、単なる消費面の節約といった消極策ばかりでは十分でない。本職に差し支えない限り、否、本職の足しになり、勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトに勉めることである。私のアルバイトは、「1日1頁」の文章執筆の「行」によって始められた。


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