木村秋則の名言 一覧

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木村秋則のプロフィール

木村秋則、きむら・あきのり。日本の農業技術者、リンゴ農家。青森県出身。弘前実業高校卒業後、集団就職で川崎市内のメーカーに入社。1年半で退職し、故郷でリンゴ栽培を開始する。妻が農薬で体を壊したことをきっかけに無農薬・無肥料リンゴ栽培の研究をスタートさせる。10年近く無収穫が続き、どん底の貧乏生活を経験。その後、世界で初めて完全無農薬・無肥料でリンゴ栽培に成功した。自然農法を世界に広げるために農業指導を行った。主な著書に『奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家』『奇跡を起こす 見えないものを見る力』『百姓が地球を救う』『木村さんのリンゴ 奇跡のひみつ』『すべては宇宙の采配』など。

いまの時代は大変だな。情報量が多くて答えが氾濫しているからさ。何でも答えがすぐに与えられちゃうから、それ以上考えなくなってしまうし、発見する喜びも感じられない。それじゃあ、脳も活性化しないと思う。


社会に役に立つ一生を送ろうと思って欲しい。みんなが仕事を通して社会に役立つことをしようと考えたら、もっと住みよい、争いもいさかいもない社会になるんじゃないでしょうか。


ほかの人と私が違うところがあったとしたら、それは失敗の数です。私は農薬に対して無知だったから、誰よりもたくさん失敗しました。


私の場合は、答えなんてどこにもなかったから失敗ばかり。でも、失敗が続く限りずっと試行錯誤を続けるから、誰も知らないこともわかるようになるんです。


私は百姓だから、百姓として社会の役に立ちたいんです。具体的には環境問題です。最近の研究で、フロンガスより農業用資材の方がオゾン層を破壊していることがわかった。自分がやってきた自然栽培は、いまはまだ異端かもしれない。でもこれからの地球を考えたとき、これしかないんじゃないかと思います。だからそれをもっと広めて、みんなで知恵を出し合って、最終的にはすべての食に関わる第一次産業を公害のないものに変えたい。それが私の夢なんです。


どうしたら一流になれるかなんて、私にはわからない。ただ人って、「どうかお願いします」と手を合わせてお祈りしたら、自分が限界だと思っている力の何倍もの力が出るんじゃないかな。


自分の仕事に対し感謝の気持ちを持てるようになったら、必ずその仕事が結果で返してくれます。こだまですよ。


お米農家の人に講演をしたとき、私は最初に「誰がお米をつくっているんですか」と質問しました。するとみなさん、「私たち人間に決まっているじゃないですか」という顔をする。それで私は言いました「米をつくっているのは人間じゃない。人間の身体に米一粒実りますか?実らないでしょ。米をつくり、みなさんの生活を支えてくれるのは稲や土なんです。今日ここまで来たクルマもいま着ている服も、稲や土のおかげで買うことができたんでしょ。今年、田んぼに『ありがとうございました』と言った人はいますか?きっと田んぼの土は、『うちの主人は冷たいな。稲を育てたのは私だよ』と言っていますよ。だから今晩の宴会はやめて、そのお酒をもって田んぼにお礼を言いに行ってください」と。


何百年前に宮大工さんたちがつくった建物がいまでも立派に残っているけど、昔は応用力学なんてなかったわけ。だからカンナで削るときも金鎚で叩くときも「どうかこれで長い間の風雪に耐えてくれ」というように、精一杯思いを込めていたはずなんです。そして、その思いが手や道具を通して伝わったから、いまでも壊れないでいる気がするんです。


なんとか稼がなければと、夜キャバレーで働いたり、冬の時期に出稼ぎに行ったりしました。でも、希望はあった。じつは野菜やお米の無農薬栽培にも取り組んでいたんだけど、それが成功していたんです。「リンゴの無農薬栽培は格段に難しい。でも、野菜やお米ができるなら、リンゴだってできるはずだ」。そういう期待があったから頑張れたのだと思います。


リンゴの無農薬栽培を始めたとき、生活はどん底だったね。1カ月の生活費はわずか3000円という時期もありましたし、食卓にはいつも畑でとれた雑草のようなものが並んでいました。家族には何ひとつ買ってあげられなくて。いま振り返るとバカだっただけじゃないかと思う。普通は家族のこととか考えて、途中で諦める。でも私はバカだから、自分が納得するまで、とことん追求しないと気が済まなかったんです。


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