日野原重明の名言 一覧

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日野原重明のプロフィール

日野原重明、ひのはら・しげあき。日本の医師、医学博士。聖路加国際病院理事長。京都帝国大学医学部を卒業し、以後、聖路加国際病院の内科医として活動し続ける。90歳のときに出版した著書『生き方上手』は120万部以上のセールスを記録し、日本最高齢のミリオンセラー作家となった。そのほか、医学書、医療関係本の執筆、同ジャンル書の翻訳を多数行っている。

医者に頼りきりではいけません。皆さんの健康は皆さん自身が守るのです。


人間にとって最も大切なのは、命の長さだと思っている人は多い。しかし重要なのは、いかにして、命を使ったか、すなわち人生の質である。


死はグッバイではなく、シー・ユー・アゲインなのです。天国でまたお会いしましょう、というしばしのお別れです。


人は耐えなくてはならない。嘆くばかりでなく、耐えなくてはなりません。一人で耐えられない悲しみも、仲間がいれば耐えられる。


いのちとは君たち一人一人に与えられた時間のことだ。今は自分の時間を自分のために使っていい。でも大人になったら、いつか他人のために時間を使ってください。


私には使命がありますから、疲れている暇などありません。前進、前進、前進です。


今までやったことのないことをする。会ったことのない人に会う。これが若さを保つ一番の秘訣。


国民の意識を変えるためには、上からお説教をするのではなく、実際に行動を起こして国民に見せることが大切。


生物的な「老化」は避けられない現象ですが、自ら新しいことを始めていれば精神的な「老い」は避けられる。


僕はいつも考えている。考えるヒントはいたるところにある。


実際に戦争を体験した我々は、その悲惨さを語り継ぎ、いのちの尊さを次の世代に伝えなくてはなりません。


私自身、結核という対病を経験したことで、ちょっとした健康を喜ぶことができるようになりました。幸福というものは、失われかけてはじめて気が付くものなのです。


人間とはそもそも「病む」生き物であり、必ず欠陥を抱えて生きています。そのことを踏まえたうえで、今日という日を健やかに生きればいいのです。人間ドックで調べてもらえば、多くの人はどこかに悪いところが見つかるでしょう。しかし検査で指摘されるようなあれこれの病を抱えていても、今日の仕事を快く終えることができればありがたいと思う。そして、翌朝、さわやかに目覚めることができれば、それが健康ということではないでしょうか。


83歳まで生きた貝原益軒は「腹八分」といいましたが、私はそれよりも少ない「腹七分」がいいと実感しています。とりわけ65歳を過ぎると、若いころとは違って運動量が少なくなります。ですから、年をとればとるほど節食を心がけるようにすべきです。


病気になるのは辛いことですが、のちのちの健康を考えれば悪いことばかりではありません。たとえば私は医学生のころ結核にかかりましたが、長く病床に伏した経験があるために、患者さんの気持ちがよくわかるようになりました。90歳を過ぎたいま、他人の何倍もの仕事をこなしていられるのは、結核を克服することで病気全般に対する免疫力、抵抗力が高まったからだと思っています。


今年で93歳になりますが、いまできることに、いまこの瞬間に全力で取り組むという気持ちは少しも薄れていません。


マルティン・ブーバーという著名な哲学者は、「人は始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くある」という言葉を残しました。新しいことへの挑戦を続ければ、体は老い衰えても、心の若さはいつまでも続く。私なりに「創(はじ)める」という字を当てて座右の銘にしています。


戦後60年近くが経ち、企業や経済のシステムにも老いが目立ってきました。予算がない、人材がいない、経済が悪い、政府が悪いなどと不満を並べていても何も変わりません。いまある資源でなんとか突破口を見出すしかありません。ビジネスのために人間があるのではなく、人間が人間らしく生きるためにビジネスがある。こんな時代にこそ原点に戻って再出発することが必要でしょう。環境の変化に老練な知恵で適応する生き方上手な企業の登場に期待したいと思います。


ものすごく忙しい。健康のために睡眠をたっぷりとり、三食きちんと食べて、適度に運動するなんていうことは私には到底できない。絵に描いた餅です。本業の医療、病院経営の仕事のほかに、物書きをしたり、1日18時間ぐらい働いています。それでも私は毎日が爽快なんです。老いて弱った体と、不規則で過密なスケジュールにうまく適応して精一杯生きる。それが私の生き方上手です。


実は、90歳のときに10年計画の遺伝子解析プロジェクトに着手したんです。結果が出ることには私は100歳になっている計算です。無理だろうと考える人が多いでしょう(笑)。でも、日本の100歳以上のお年寄りの人口は、40年前は百数十人でしたが、いまでは2万人以上に増えている。可能性はあります。もし許されてプロジェクトを全うできるなら本当に幸福だなと思います。


教会には「退修会」という言葉があります。世俗を離れ森の中に入って身を清めながら祈りをささげる。置かれた環境や立場の違う人たちと、一緒になって沈思黙考していると、世の中には自分よりもいろいろな制約を受けながらそれでも懸命に生きている人たちがいることに気付かされる。明日への勇気がわいてくる。


無理な延命治療は患者を苦しめ、家族や社会にも重い負担を強いている。必要以上に延命治療をやりたがる医師は、医療行為を営業行為と勘違いしている。


これは大変なことになった、と思い、とっさに頭に浮かんだのは、こうした緊急事態で人間の脈拍はどうなるだろうか、という疑問でした。隣に座っていたご婦人の脈を取ろうと思ったのですが、妙な疑いをかけられても困ると思いとどまり、自分の脈を測りました。するとやはり、いつもより脈が速くなっていて、ああ、私はいま興奮しているんだなあ、と納得したのです。つくづく医者なんですね。
【覚え書き|よど号ハイジャック事件に巻き込まれたときを振り返っての発言】


他人の価値観や尊厳を否定するという意味において、いじめと戦争は同じ。互いに許し合えば、平和がやってくるはず。


老人も、若い人たちに面倒をみてもらうばかりでなく、自ら生きがいを見いだす努力をしなければなりません。私は若い人たちと手を携えて、前に進みたい。


私は先日、103歳で初めて馬に乗りました。あぶみを踏んで辺りを見回すと、天下を取った気分になりました。今年の104歳の誕生日には104つの俳句を収めた初めての句集を出版しましたが、俳句を創めたのは100歳の時です。わざわざ講演会に来てもらわなくても、私の話が聞けるようにフェイスブックも創めました。


老人には生き生きと生きる権利と、自分たちにできることをやる使命があります。周りから、何かをしてもらうだけでなく、自ら行動するのです。社会もそうした老人たちを温かい心で包み、交わりの中に迎え入れなくてはなりません。


老人はリタイアすればいい、という今の考え方では日本は行き詰まってしまう。


昔は糖尿病や心疾患、脳血管疾患のことを「成人病」と呼びましたね。そう呼ぶと患者さんたちが「成人になったのだから、成人病にかかるのは仕方ない」と思ってしまう。しかし、こうした病気は食生活や日頃の運動によって予防できるし、治癒もできる。生活習慣が原因なら、それを改めればよいのです。「成人病」を「生活習慣病」と呼び換えるだけで、人々の意識は変わるのです。だから公的な文書でもそう呼び換えるよう、政府に働きかけました。


政府は75歳以上のお年寄りを後期高齢者などと呼びますがね、あれはダメです。高齢者という言葉には「物理的に年を取った人」という意味しかない。おまけに「後期」などと線引きをする。あれはお役人の発想ですよ。そう呼ばれた人たちがどう感じるか、人の気持ちを考えていない


90歳になったとき「新しいことを創めたい」と思いました。そこで立ち上けたのが「新老人の会」です。老人が慰め合うだけの会ではありません。自分たちの社会に対するミッションを見つけ、それを実践する集まりです。


私は疲労というものを感じたことがない。この歳ですから、そりゃあ肉体的な疲労はありますよ。でも一晩寝ると、朝はすっきりして、「さあ、今日もやるぞー!」とフレッシュな気持ちで目覚めるわけです。なぜなら、果たすべき使命があるから。


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