新関八洲太郎の名言 一覧

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新関八洲太郎のプロフィール

新関八洲太郎、にいぜき・やすたろう。三井物産社長。東京高商(現:一橋大学)卒業後、三井物産に入社。主要海外支店長を歴任後、常務。戦後は財閥解体された三井系列企業の合併を行い、再出発した三井物産の社長として同社を日本トップの商社に育て上げた

今日までの第一物産を築いてきた社員諸君は、建設期の苦労をいやというほど味わってきた人たちばかりである。これらの人たちの同志的な結びつきが今日の力を培いえたのだと思うし、将来に対してもこの信念は変わらない。
【覚書き|第一物産はGHQにより解体された三井物産の一部。その後、旧三井物産系会社と大合同し、現在の三井物産になる】


日が経つにつれてソ連軍はどんどん国境から押し寄せてきた。すでに軍人の家族や官吏はみな満鉄で逃げてしまい、もう汽車もない。万事休す。私たちはソ連軍を迎える準備をしなければならなかった。私は古本屋から辞書を買ってきてロシア語の勉強を始めた。
【覚書き|第二次大戦終結時、三井物産奉天支店長として満州に駐在していたときを振り返っての発言】


私はまだ、過去を語る年代ではないと承知している。事実、赤いチャンチャンコを着る還暦には、まだ、そこばくの間があり、いまだに人並みの娑婆気も抜けず、将来にも少なからず夢を描いているといった私は、人を頷かせるに足るだけの処世訓の用意もなければ、枯れた人生観の持ち合わせもない。


ひたいを集めて相談したのがウィスキーの製造だった。つまり松花江工業の計画でジェット燃料をつくるのに蒸溜の工程があったが、それから思いついたのが白酒を蒸留して、96から97度くらいの純粋アルコールにし、これをウィスキーに化けさせようとの算段である。


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