新藤兼人の名言 一覧

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新藤兼人のプロフィール

新藤兼人、しんどう・かねと。日本の映画監督、脚本家。広島県出身。21歳のころ、山中貞雄の映画『盤嶽の一生』に感動し、映画監督を志す。その後京都に出て、新興キネマの現像部の雑用からキャリアをスタートさせる。同部の東京事務所に移り、美術部門に潜り込み、美術監督水谷浩から教えを受ける。脚本家としても活動したのち、39歳にして『愛妻物語』で監督デビュー。『原爆の子』『第五福竜丸』『裸の島』『鬼婆』『藪の中の黒猫』『賛歌』『午後の遺言状』など多くの名作を残し、国内外の数多くの賞を得た。近代映画協会会長なども務めた。

人は皆、仕事をして生きてきました。私みたいな映画監督であろうが、ビジネスマンや農民、医者であろうが、技術を磨き、仕事をすることで、結婚したり子供をつくったりしてきました。家族を養うために仕事をし、仕事をしてきたから過程を作ることができたという意味で、仕事とは生き方そのものです。


私は間もなく89歳になりますが、これからも映画を撮り続けようと思っています。年を取ったら取ったなりに、新たな素材との出会いがありますから、常に企画を何本か用意して、準備しています。準備をしているということが生きていることなんです。その途中で死んでも構いません。準備しながら生きること、それは自分の安定感になります。約束された安息ではなくて、どうなるかわからないという安定感です。


私は仕事をして生きてきた。その仕事の中に私自身が含まれていると私は思います。仕事とは、私であり続けること、私とは何かを考え続けることなんです。


企業の定年退職は、人間の能力について想像力を欠如させた悪しき制度ですね。社会制度、つまり人間の生き方に対する社会的な観念が、寿命の延びに追いついていないのがいまの大きな問題だと思いますが、定年制度はそのひとつです。60歳を超えたら引退して静かに暮らすべきだというのは、老人を理解していません。


私自身を例に挙げれば、シナリオを書き、映画を撮っていますが、私に何ら能力がなかったら世間は受け入れてくれません。現実は厳しいから、お前は年を取ってしまってもう駄目だけれど、仕方がないから認めてあげようなどということは絶対にない。価値がなければ認めてもらえないんです。


かつて人生50年と言いました。医学が進歩し、環境が整備されたいまは、人生80年です。それも枯れ木のように老いた期間が長引いたのではなく、才能や知識、見識、経験が頂点に達した期間が引き伸ばされました。いまの80歳といったら、昔の60歳くらいでしょう。まだまだ能力はあります。しかも、それは挫折と闘い、それを乗り越えてきた能力だから、覚悟とか勇気とか生き方とか若い人にはないものが含まれます。そういう年齢自体がひとつの才能です。


人は老いれば、老いというものの中にいろんな問題を抱えます。金銭的に恵まれないとか、健康を害するといったことです。しかし、生き方の成り行きの中でそれらにまみれて自滅していくのはやはり悲しい。できれば、闘いながら終わっていきたい。そのためには何のために生きるかという自分の意志や個性、生き方をしっかり持っていなければならないと私は思います。


人は一生仕事をして生きる。何人もそうである。君は何のために生きているかと問われれば、躊躇なく、私は仕事のために生きていると答える。


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