徳光正子の名言 一覧

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徳光正子のプロフィール

徳光正子、とくみつ・まさこ。江戸時代から続く老舗料亭「花外楼(かがいろう)」5代目女将。甲南大学文学部社会学科卒業後、家業に従事。支店の店長、企画室室長などを経て5代目女将に就任。

私、川の流れが好きなんです。湖のように留まっているのではなく、ずっと流れ続けていますよね。水の流れのように、ごく自然でありたいんです。


「老舗はいつも新しい」の言葉のように、時代に合わせて形を変える勇気やチャレンジ精神を失わないことが大切なのだと思います。


他人をうらやまず、ほかのことを考えず、あなたはここで精進しなさい。小さなことに忠実でありなさい。そう言われているような気がします。また、そうしてきたからこそ、私のような人間が、ここまでやってこられたのだとしみじみ思います。すべてが感謝のひと言です。


実は、女将になって2年目のとき、心底「この仕事を辞めたい」と思ったことがありました。そのことを、高校時代から通っていた教会の牧師さんに相談すると、「もしあなたが、この仕事は神様から与えられたのではないと自信を持って言えるなら、お辞めなさい」とおっしゃいました。ただ、その一方で、「これがあなたに与えられた仕事なら、どんなに自分ができない、苦手だと思っても、やり遂げられるよう、必要なものが与えられます。だからやってごらんなさい」と言ってくださったのです。女将を続けるなかで「もうダメだ」と思ったこともありました。特にこの十数年は、苦労しました。でも不思議と、すべてが守られてきたことを実感しています。それを思い返すと、感謝の涙でいつぱいになります。


百年以上も続くうちのような店は、リーダーが優秀だから皆がついてくるというわけではないと思います。脈々と息づく、「継続は力なり」という精神性がよりどころとなっています。それが、能力のない私を立たせてくれているのです。


長い歴史の中では、よい時代もあれば、辛抱が必要な時代もあります。花外楼も、初代のときは追い風が吹き、百畳敷きの大広間をつくったりしましたが、2代目になると、昔からあった店以外、すべて手放す事態に陥りました。180年、ずっと好調だったわけではないのです。ですが、そんななかでも、絶えず余力を残しながらやってまいりました。もちろん、会社だから儲けなければなりませんが、自分たちの仕事をとおして、できる範囲で、社会や支えてくださっている皆様にご恩返しをさせていただきたいと、常々思っております。


父はよく「80パーセントの稼働でいい」とも言っていました。力をその程度に抑えておけば、あと20パーセントも余裕があります。でも目いっぱい力を出し切っていたら、これでもか、これでもかとやり続けなければなりません。


父の口癖に、こんな言葉があります。「儲からへんから、続くんや」。ものすごく儲かるおいしい仕事というのは、みんなが「これはいける!」と思って躍起になるので、競争もまた熾烈です。でも、儲からない仕事は、過酷でない分、長続きします。


あるホテルへの出店が決まっていたのに、別の会社に取られてしまったとき、ご縁がなかったのだと思って、こちらからすぐに引き下がりました。人が辞めてしまうのもご縁。辞めた人が、何かの拍子に戻ってきてくれることもあります。それが自然の理なのだと思います。


私の父は、従業員やお取引先の皆様を「一緒に働くパートナー」だと言っていました。若いころか私が、「そんなつもりでいたら、いつかだまされるかもしれないよ」と反発したら、「そんなに信頼できない相手なら、一緒に仕事をするな」と叱られました。仕事をする以上、相手を信じ尽くせということです。


花外楼には、今のところ明文化された経営理念はありません。店を継ぐときも、私が両親から言われたのは「自分のうちにお客様をお迎えするように」というひと言だけです。あるフォーラムで、講師の方が「親子であっても、哲学やコンセプトを伝えるのは一番むずかしい」とおっしゃっていましたが、本当にそのとおりだと思います。


私が女将を継ぐとき、心の糧にしたことは、伊助(創業者)が身をもって示した「誠実」でした。いかに歴史を背負っているとはいえ、私には、自分の能力以上のことはできません。立派なことを言ったところで、メッキは剥がれます。そうなるともう、ただ「誠実」にやっていくということしかない。結局、そこに戻ってくるんです。


初代伊助のころから、花外楼に受け継がれてきた料亭の理念。それは「誠実」というひと言に尽きると思います。伊助はとても実直な人で、ごひいきの政治家の方が「これ、お前にやろう」と戦利品を譲ってくださろうとしても、いっさい受け取らなかったといいます。そんな物をいただいたら遺恨が残るだろうと。ふつう権力を持つ人と知り合ったら、それを利用し、便宜を図ってもらおうとするものですが、伊助はそれが嫌いだったのです。反骨精神もあったかと思うのですが、とにかく潔癖で誠実。そうであったから、維新の志士たちも心を許し、ここなら大丈夫と、花外楼を常宿にしてくださったのでしょう。


よく従業員に伝えているのは、ずるいことや人を騙すことはしない、ということです。他人の事業を邪魔してまで自分が儲けるという、商道に反するようなことをしてはいけない。私はそのことを、祖母や両親の後ろ姿にずっと教えられてきました。正規の値段を付け、商売をさせていただいているのも、他人のお客様まで奪ってはいけない、という考えのもとです。


お客様には公平に接する、心をこめる、礼儀作法やごあいさつなどを徹底するといった基本的なマニュアルはありますが、それを踏まえた上で形や型にこだわりすぎるよりも、自分のキャラクターを活かしたほうが、誠実な接客ができると思います。


暖簾には、いろいろな継ぎ方があると思います。正直、私も暖簾を継いだときは思い悩みましたが、船場(せんば)のある方から「自分には父親のような商売人の器はないが、ものづくりならできるかもしれない。その思いで家業を継いだ」という話を聞いたとき、納得できたのです。「私にとっての料理屋って何だろう」。そう自分に問いかけるきっかけにもなりました。


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