弘兼憲史の名言 一覧

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弘兼憲史のプロフィール

弘兼憲史、ひろかね・けんし。日本の漫画家。山口県出身。早稲田大学法学部卒業。松下電器産業(現:パナソニック)を経て漫画家へ。代表作に『課長島耕作シリーズ』『人間交差点』『黄昏流星群』『加治隆介の議』『ハロー張りネズミ』『ラストニュース』など。ビジネス書の執筆も行っている。

何でもやってみる。そうすれば、強烈な「好き」が見つかる。それが人生を豊かにする。


何かに情熱を傾けられない人に、上達はない。


一目置かれるようなオリジナルティー溢れるアイデアを生むためには、他人にはない「自分の強みを持つ」ことが大事。


僕には信条が3つあります。「ま、いいか」「それがどうした」「人それぞれ」。この3つがあれば、たいていの苦難も乗り越えられます。


夢があれば、前に進む力が生まれる。


いま地方が取り組むべきなのは、夢を掲げて、才能ある人間を巻き込むこと。


あらゆる仕事はチームワーク。漫画家も、本人の才能だけでは連載は続けられません。周囲の助けが必要です。


自分たちが手がけることでどこにも負けない商品やサービスが生まれ、消費者に喜んでもらえるという自負が、やりがいにつながる。


僕が長く仕事を続けられているのは、いわゆる代表作を軌道に乗せたら10年を目安に自分から連載を終わらせたことにあるのかもしれません。それが、作家としての新陳代謝をよくすることになった気がします。おかげでマンネリに陥らずに済んだところがあります。


ストーリーをつくるときにポイントにしているのは、まだ誰もやっていない分野のストーリーを開拓することです。僕が中高年の性を描き始めたのも、これまで映画や小説ではテーマとしてすでに表現されていたけれども、まだ漫画ではあまり描かれていなかった分野だから。


結局、漫画を描くって、過去の経験も何もかもを活かして、これまでなかったストーリーを……と四六時中、懸命に案を練ることでしかないんですよ。ですからいまでも、年に休みはせいぜい3日で、5分間のトイレの時間だって読書にあててネタを吸収する、なんて生活を30年以上も続けているわけです。


島耕作シリーズにはオフタイムの描写はあまりありませんが、島耕作がキャリアを重ね、平社員から社長にまでなれた裏には、走りながら休むという生き方、プラス思考があったからだと思います。


僕の一日は、朝9時に自宅を出て午後1時に仕事場に入るまで、近所のファミリーレストランで過ごします。コーヒーと一緒にブランチをとりながら、アイデアを練ったり、原稿を書いたり、資料を読んだり。仕事場に入ったら夜中の1時、2時まで漫画の執筆に集中します。


サラリーマンは会議で自分の意見が通らなかったり、上からのプレッシャー、下からの突き上げなどで、日々タフであることを強いられています。でもだからこそ、やるときは思いっきり仕事し、遊ぶときは徹底的に遊ぶ。サラリーマンにもそんなメリハリが必要ではないでしょうか。


僕は昔から「こうでなくてはいけない」というこだわりはありませんでした。他人の休日を羨ましいと思ったこともありません。


旅行が1週間ともなると、漫画を描けなくなるのがかえって辛くなります。ついホテルの部屋にあるメモパッドに漫画を描いたりしてしまったり。日本に帰って仕事場で漫画を描きはじめると、心が落ち着くのは、もう漫画家の性というほかありません。


海外旅行もほとんどが取材旅行ですが、そこに遊び感覚を取り入れるようにしています。たとえば成長する中国経済の最前線を取材しようと上海に行ったときは、効率よく取材するためにアシスタント銘々にデジカメを持たせ、一か所を基点に「よーい、ドン」で各方面に散らばって撮影をして集合時間に戻ってくるということもやりました。何か小学校時代にやった鬼ごっこみたいですよね。


僕は漫画を描いているとき以外は、すべてオフと考えています。自分にはオフがない、という恨み辛みもまったくありません。ラジオの収録もオフですし、取材を受けているときもオフ。仕事の合間にオフをどんどん挟み込む、遊びを取り入れる。それを意識しているのが僕のスタイルです。


僕には、はっきりとオフタイムと呼べるものはありません。もちろん土日はなし。年末年始は3日休めればいい方で、紅白歌合戦などは見る暇もありません。正月も小学館漫画賞の審査委員を引き受けているので、候補作を山のように読まなければならないし、箱根駅伝の復路を見たらすぐに仕事。はた目から見ればなんと無茶な、と感じられるかもしれませんが、それを僕は辛いとは思いませんし、ストレスを感じたこともありません。この生活スタイルをほぼ30年間続けています。


年上のお局様が部下になったとき、こんなケースだととかく肩書でものを言おうとしがちになる。だがそれは最後の切り札だ。礼儀正しく誠意を持って接する。相手のプライドを優しく守れるのもこれからのいい上司の条件になると思う。その気がなくても「えらそうに」と思われたら損だ。逆に年上の部下に丁寧な言葉使いをするだけで、いい人柄だと思ってもらえる。どちらが得かはおわかりだろう。


おそらくいい上司というのは出来上がった姿ではない。悪戦苦闘してもがいている状態が、周りから見るといい上司に見えるのだ。その意味で気持ちの上では発展途上上司であり続けることがより大事なのではないのかとぼくは思う。「転石、こけを生ぜず」ということわざがある。だからいい上司になんてなろうと思わなくていい。ぼくはそう思う。


上司がやっていけないことをあげておきたい。たとえば一人の部下をみんなの前で褒める。このときに、つい口をすべらせて「それにひきかえ○○くんの成績はどうだ、トップの人の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ」などと言ってはいけない。絶対にいけない。褒めるときは純粋に褒める。他人と比較したり、他人をこき下ろしたりしてはいけない。


絶好のタイミングとはいつなのか。褒めたいと思ったときに直ちにということだと思う。叱るときはぐっとこらえる時間がいるが、褒めるときはすぐに褒める。そうすれば、感情の赴くままに言葉が出てくるはずだ。何を言ったかが問題ではない。それ以上に、自分の感情をどう素直に出すかが大切になる。叱るときと正反対の行動をとればいいと思っていればいいのではないか。


部下を叱るとか、注意するときはよほど慎重にした方が良い。間違えれば失敗することもある。褒めるのはこれに比べればはるかに簡単だ。タイミングさえ間違えなければどう褒めてもいい。部下を褒めるとき考えなくてはならないのはタイミングだけ。注意を与えるときはひそかに、褒めるときはみんなの前でというぐらいに思っておけばいい。


人を褒めるのが苦手な人がいる。損な人だと思う。損なタイプはふたつある。ひとつは「やって当然」「できて当たり前」と考えるタイプ。挫折を知らないエリート管理職にこのタイプが多い。もうひとつはひたすらシャイなタイプ。恥ずかしくて言葉に出して褒められないというタイプだ。前者のタイプの管理職は部下を褒めるのも仕事の内と心得て褒め方を学んでみる。後者のタイプは役者になったつもりで多少大げさに褒める練習をしてみるといい。


能力とは個性なのだと思えれば、その能力を伸ばすことに力を注げる。部下の短所を責めるより、能力を伸ばす方が上司にとってもやりがいのある仕事になるはずだ。鬼軍曹を気取るより、個性を伸ばすコーチ役を選ぶ方が、仕事のストレスもたまりにくいと思うのだ。


部下にやる気を起こさせる手っ取り早い方法は、まず自分のやる気を起こすことだ。やる気のある人間には誰でも引きつけられる。リーダーも部下に見られていると思えば、いやでもやる気を出さざるを得ない。テレビタレントや役者がいつも生き生きしているのは、多くの人に見られているからだ。見られるということを意識しているからだ。あなたが思っている以上に部下はあなたのことを良く見ていると意識した方がいい。しかも隠したいと思う部分ほど・・・


部下との関係が密に保たれていると、何を悩んでいるのかどこに問題を抱えているのかなどが見えてくるはずだ。そうなれば、さりげなくアドバイスもできるだろう。ぼくが知っている魅力的な上司というのはみんな人間通だ。しかし、退職して一気に生彩を欠いてしまった人もいる。そんな人たちを見てつくづく思うことがある。それは継続は力なりということだ。失敗を繰り返し億劫がらずに人間関係の中にまみれている間だけ魅力的な人間通の上司でいられるのだろう。


人間関係も体と同じなのだ。鍛えればそれだけ強くなる。怖がって大事にしすぎると、骨はもろくなり、足腰が立たなくなる。鍛えると言っても荒療治が体を壊してしまうのと同じでそこにはおのずと限度がある。叱る、褒める、労をねぎらう、それぞれの場面で人間関係を大切にしようと思っているのだという自分の気持ちを正面に出す。毎日少しずつ鍛えれば体も丈夫になる。人間関係も同じだ。普段は放っておいて、一週間に一度とか月に一度ジムに行ってもやらないよりはましという程度にしかならないだろう。


時代は変わった。ビジネスのやり方もよりドライになった。しかし何でもかんでも変わったわけじゃない。変わらないものもある。変えてはいけないものもある。変えてはいけないのは部下に対する思いやり。植物学者の牧野富太郎博士の言葉に「雑草という名の草はない」というのがある。同じように考えれば部下という名の人間はいない。あなたの下で働く人々はそれぞれが個性を持ってたくましく伸びようとしている。


もしあなたが自分の手柄などという目先の利益を捨て、チーム力をつけることに全力を傾けたとする。すると部下の中に必ずあなたに将来を託してみようという人材が現れてくる。これは親分子分の関係とは違うものだ。部下と競い合ってあなた自身の実力を高めていけるということだ。義理とか人情とは異質の世界で、部下と上司の信頼関係が築ける。そんな時代がもうそこまで来ているように思えるのである。


下から突き上げられ、上から抑えられるという中間管理職の宿命は変わらずに続くということだろうか。ぼくは必ずしもそうとは思わない。部下を競わせて仕事の相乗効果を高めていく。それがチームの力をつけるということなのだと思う。中間管理職はそれを学ぶ絶好のポジションになるはずだ。もっと言えばここで何ごとかをつかめなければ上にはいけない。個人の手柄にこだわっているようではもう一つ上は目指せないということなのだ


中間管理職は部下のほうをきちんと向いてほしい。それがチームをまとめる力になる。少なくともこれからの時代は与えられたポジションをソツなくこなしていればトコロテン式に役職が上がるなどということは考えられない。次のステップを目指すには部下の後押しが必要になるかもしれない。出世の踏み台として部下を使う。反対に出世のために部下に迎合する。どちらも駄目上司の烙印を押されることは間違いない


叱るというと声を荒げて部下を怒鳴りつけることだと思っている人がいる。そんなことはない。冷静に部下の非を責めるのが叱るということだ。乱暴な言葉を使わなくてもいいし、こぶしを振り上げなくてもいい。というよりもそんなことはしないことだ。怒りに任せて部下を叱ると、あとのフォローができなくなる。短くわっと叱って突き放す。じっくり反省しろ。あとで話を聞くということを言っておく。これがフォローのための布石だ。叱るのとフォローを分けるのがいい


システムは思惑通りには動かないという言い方がある。だからこそつねに手直しや微調整が欠かせない。部下に対する指示も同じように考えておいた方がいいかもしれない。完璧な指示などないということだ。よく上司が部下に、そんな指示は出していないぞという。あるいは部下が上司に、え、そんなこと聞いてませんよという。どちらの場合にも指示のプロセスをおろそかにしたことが原因になっていると言えるだろう。


部下が上司に最も望むことは、的確な指示を出してほしいということだった。上司はどうか。いや自分は的確な指示を出していると思っているはずだ。確かに部下には甘えがあるかもしれない。しかし厳しい言い方をあえてすれば、伝わらなければ的確な指示とはならないのだ。指示は的確に伝わらないものと心していたほうがいいかもしれない。


部下がいて欲しいと思う場所にいるのは、一つのことを意識すればいい。それは部下に対する思いやりである。自分がいたい場所にいるのではなく、部下がいて欲しい場所にいる。そのポジションは状況によって変わるはずだ。仕事がうまくいっている時は遠くで見守る。ピンチの時は一番近くで適切なアドバイスを行う。


アメリカのビジネス社会で管理職の優劣を決めるのは、部下に対する思いやりのあるなしだそうだ。マネジャーとしての専門能力は、競争社会の中で鍛えられている。言わばこれは当たり前の能力。みんなが持っているから差は出ない。ではさらに高いポジションを目指す管理職が必要とする能力は何かというと愛情を持って部下に接し、チーム全体を活性化させていくことだという。人を動かすのは人間なのだ。


あなたは他人に見られていることを意識して仕事をしているだろうか。もしあまり意識していなければいますぐ意識してほしい。あなたはいつも部下に見られて仕事をしている。上司とは部下に見られる存在なのである。見られたくないところを見られる存在だと思っていたほうがいい。手を抜かず、気を抜かずに仕事をする。それでいいのだ。


ものを言わなくなった部下を注意深く見守ることだ。言ってもわかってもらえないと思うと人はものを言わなくなる。部下に残された道は言われたことを言われたようにやることだ。見方を変えれば上司が部下をそこに追い込んだということもできる。もし上司が黙って俺について来いと言えば、部下は黙りこむしかない。自信を持った上司が暴君のごとくふるまうと、部下の間に不満が広がる。


管理職にあるものの必須条件は公正さだと思う。複数の部下を持つ管理職は何はなくとも公正であってほしい。公正とは偏りがなく、正しい事だ。同じ二人の部下とはいえ、キャリア半年の新人とキャリア3年の部下を公平に扱うのは問題がある。だから公正に扱う。相手に合わせて対応するがなぜ対応に違いがあるかを理論的に説明できるのが公正さだと思う。


チームで動こうとするときに見られる典型的な3つの行動パターンがある。やるべきことを理解して積極的にチームを引っ張るタイプ。とにかく言われたことだけはちゃんとやろうとするタイプ。できればやりたくないと思っていて、やたらに不満を述べ立ててチームの足を引っ張るタイプ。一見するとチームをまとめる上で一番厄介なのは3番目のタイプのように見える。しかし、不満があると言ってくれればそれを解消する方法を考えることができる。


部下に接する上司が基本にしてほしい事がある。それは性善説だ。すべての人間は生まれながらにして善い性質を持っている。根っからの悪人はいない。これを基本にするだけで部下とはうまく付き合える。反抗的な部下がいても根はよい人間なのだと思えば付き合い方の工夫ができる。あいつは悪人だなどと決めつけてしまえば一緒に仕事をするのも嫌になる。そう考えるのは上司としての責任を放棄するに等しい。


大きな失敗を犯さず、誰もが次のステップに向けての通過点として安心して過ごせるようになっている。それが前例踏襲主義だ。このシステムの最大の欠陥は失敗に関する責任の所在があいまいになるという点だ。前任者も前前任者もその前も、同じことをしている。自分の順番でたまたまうまくいかなくても責任をとる必要はない。これではどこが間違っているのか原因の究明もできない。


いまはむしろ前例がないからやってみる時代だ。激しい変化は前例踏襲では乗り切れない。いままでの上司のやり方は手本にならないということになる。何を受け継いで、どこを変えるのか。取捨選択する能力が問われるのではないだろうか。思い切って変えていかなくてはならないものとは何か。それは前例踏襲主義だ


これからの時代に求められる上司は、個性派ぞろいの部下を上手に束ね、力を一つの方向にまとめ上げることだろう。パソコンが得意な部下にはパソコンについて聞けばいい。なるほどそんな裏技もあるのかと興味がわけば、自分の仕事に生かしていける。つまり部下から取材するのだ。知りたいことは取材する。わからないことは相談する。大切なのは方向を示すことなのだ。そのための素材は多ければ多いほどいい。


生き残れる上司と生き残れない上司。その差を決めるものは何だろう。ずっと突き詰めていくと、好奇心ということになると思う。それもそこそこの好奇心ではなく、極めて旺盛な好奇心だ。意欲とかやる気というのは煎じつめていけば好奇心と責任感という要素から成っていると思う。旺盛な好奇心があれば知らない分野に取り組んでいける


多少きつい言い方になるかもしれない。しかし本気で自己啓発に取り組めない管理職はどこかで落ちこぼれる。時代はいつも変化している。変化に対応するためには自分自身を変えていく必要がある。そこそこできればいいと思っていると、ある程度のところで満足してしまう。自己啓発はそこで終わる。大切なのは自分に満足しないということなのだ。


物わかりのいい上司を演じたがる。その気持ちはよくわかる。自分を良く見せたいというのは悪い事ではない。でも演じるなら最後までだ。責任は俺がとると言ったら、とるのだ。間違った方向に進んでいれば軌道修正する。迷っていればアドバイスする。そういうケアをしてこそ最後に責任がとれる。責任をとるとは具体的にどうすることだろう。部下の失敗を自分の失敗として謝りに行くことだ。


国際化の時代、ビジネスで付き合う相手の国のマナーは知っておくべきですが、そのときは、マナーの裏側にある理由もセットで学びましょう。形だけ取り入れるよりも、ずっと身につきます。


今の時代、すべての物事において、昔とは比べ物にならないほど選択肢が増えている。だから、全ジャンルを検証するには時間が足りないかもしれません。でも、だからと言って、少ししか試さずに、「これが好き」と決めつけるのはもったいない。好奇心を失わずに、どんどん試してほしい。


年齢や経験とともについてくるプライドは、貴重な成長の機会を逃す恐れがあります。時には、そんなプライドを肩から下ろして新しいことに挑戦することが、成長し続けるカギかもしれない。


「納期は必ず守る」どいうことが僕のプライドの1つ。当たり前だ、と思うかもしれませんが、とても大事なことです。「納期を守る」ことは、編集者との「Win-Win」の関係を築くために大事です。もちろん、締め切りまでに満足度の高い作品になるよう粘りますが、それが大満足の作品に仕上がらなくても、締め切りが来れば必ず提出する。「絶対に妥協できない」などと変にプライドを持ちすぎると、編集者や印刷会社に迷惑をかけ、信頼を失います。妥協しない仕事ぶりは素晴らしいですが、他人に迷惑をかけ、信頼を失うぐらいなら、それは「捨てるべきプライド」のように思います。


漫画家として駆け出しの頃は、未経験のテーマを編集者に提案し、描かせてもらっていました。最初の連載は、喧嘩シーンの多い学園もの。宇宙船でいろいろな星に行き、異星人と戦うSF漫画や野球漫画、恐竜が登場する漫画も描きました。苦手な分野を作らず、何でもやってみようという気構えで仕事に取り組んでいた。そうしていろいろ描いているうちに、「少年漫画は向いてないな」「色気のある話の方が向いているのかも」「国際的な組織やビジネスの話がもっと描きたい」などと、核となる方向性が定まってきたのです。


スーパーに行くのも大好きです。経済は語れても、ホウレンソウの値段を言えるビジネスパーソンは少ないでしょう。スーパーに行くだけで、世の中の生きた事象の1つに触れることができ、そこから経済の話につなげることだってできる。料理をしない男性も、たまにはスーパーで食材を手にとって、値段を見ながら選んでみてはいかがでしょう。これまで見えていなかった世界が、見えてくるかもしれません。


今、私が銀座でお酒をご一緒するような巨匠たちは、どなたも癖はあるんですが、基本的には人格者で、飲んでいても楽しい。ものすごく実力があっても、人との付き合い方が悪く、編集者から嫌われている作家は、何となく消えていく気がします。


自分のことだけを考えるサラリーマンには、自分の生活を守るためには、会社が業績をあげていかなくてはいけないことを理解してもらいたいですね。経営者のつもりで会社の業績を考えていれば、結果として自分の生活も守られる。


自分の会社が危なくなっていることにすら気づかず、このままやり過ごそうとしているサラリーマンがたくさんいますよね。もっと危機感を持ったほうがいい。


同級生に会うと、何となく話が合いませんね。定年を迎えて、魚釣りや山登りぐらいしかやることがない。だから話題は「昔はこうだったよな」という話ばかり。こっちは次の連載をどうするかとか、考えることがいっぱいあって、昔を思い出している暇はありません。


一人ひとりが経営者と同じような危機感を持たなければいけないはず。


僕は昔から、自分の耳と目で、漫画以外の世界から情報を収集し、それをストーリーのアイデアにしてきました。情報源は、「映画」「ラジオとテレビ」「異業種の人との交流」の3つ。


アイデアの種を増やすために、特別なことをしているわけではありません。好きなことや心に、引っかかることを、徹底的に掘り下げるだけ。その探求心こそが得意分野を生み、独自のアイデアを生みます。


『加治隆介の議』の取材で、ときには報道さえ入り込めない暗部を知ることができたのは、ひとえに取材現場での仁義を通したからでしょう。当時もすでに報道の世界では週刊誌ばかりか新聞社もオフレコの談話を漏らすなど「何でもあり」の状況だったけれど、こちらは一回限りのスクープをもぎ取るなんてことはせずに、信頼関係を築いて何度も話を聞くというタイプの取材をしていたんです。掲載許可も丁寧にとり、多少面白さが削がれても先方からの訂正の要求は愚直に反映させて情報は確実に秘匿する。そのことで「あいつはちゃんとしてくれる」ようだぞ」と相手に認めてもらえれば、数回会ううちに、報道関係者に対するよりもグッと踏み込んだ内容を聞かせてもらえるようになるんです。


『加治隆介の議』で政治をテーマにした際、その前の『島耕作』でディティールの重要性は痛感していましたから、国会議員への直接取材ではまず「朝食に何を食うか」「国会が休みのときはどこへ行くか、何をしているのか」という日常の取材から始めました。そのうえで、いま、日本で起きている問題は何かを考え、いくつかの柱をつくって、現実にリンクするようなストーリーを練り上げていったんです。


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