川村隆の名言 一覧

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川村隆のプロフィール

川村隆、かわむら・たかし。日本の経営者。日立製作所会長兼社長。北海道出身。東京大学工学部電気工学科卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長、取締役、常務、副社長、子会社の日立ソフトウェアエンジニアリング会長、同子会社日立マクセル会長などを歴任したのち、日立本社の会長兼社長に就任。世界金融危機によって7873億円という巨額な赤字を計上した同社を2年でV字回復させた。経団連副会長なども務めた経営者。

会社は、どうしても緩むものです。だからこそ、常に改革しなければならない。


当たり前のことをきちんと、しかし楽観的にやり抜いてみることが大事。


日々の小さなことでも、自分が最終意思決定者であることを意識しながら、会社や人生の様々な場面で、経験を積むことが大事。


人はいつ死ぬか分からないのだから、一日一日を大切に生きなければ。


ずっと同じ会社の中にいると、会社の課題はなかなか分からない。


今は放っておいたら利益率が下がる時代。だから痛みを伴う努力や改革を怠ってはいけない。


何か悪いことがあってから急いで改革するのではなく、普段から事業の組み替えはやっておくべき。


幸福になるためには、意志と自己克服がいります。勇気と楽観こそがリーダーの条件です。


日立の社内が、ちょっと緩んでいる気はする。もう少しピシッとやらないと。マスコミなどから過去最高益更新と騒がれていい気になっていてはダメだ。


リーダーは慎重なる楽観主義者であるべき。楽観主義は志に属す。


僕の仕事は、前を批判することではありません。この4月以降をどうやってやろうかということです。


年寄りが長い間居座っている会社はダメですね。


OBのことは考えませんでした。考えられない。そこまで考えていると何もできない。


苦しいときほど楽観は意志に属す。困難に直面するいまの日本に求められているのも、リーダーの強い意志と明確な意思決定ではないだろうか。


人事というものは、モノの考え方を社内外に示す非常によい手段です。


平時の改革がどれだけ難しいか。でもそれをしなければならない。


社内外の知見を横断的に集めて、徹底的に議論を戦わすことで、変革は絶え間なく実行される。


日本は島国だから、つい日本の中の評価でもって安心してしまうのが問題。


人には、どうしても好き嫌いの感情があります。しかし、ビジネスの現場では、嫌いな人も使っていかなければならない。


マニュアルを守っても、機体が墜落してしまってはどうしようもない。緊急事態では、自分の頭で考え、判断し、自分の責任で行動しないといけない。


意識の問題は相当大事。結局、会社は人でできてますから。


経営再建のときに本当に大事だったのは、我々はこの後どうやって生きていくのか、会社の方向性を全社員に示す、ということでした。


悪い事業は悪くはっきり見せて、直すか潰すかしなきゃいけない。良い事業がそれを補っちゃって、何となく、そこそこいいような格好にしておくのが一番良くない。


ダイバーシティー(多様性)はなぜ必要なのでしょうか? それは構造改革を常態化させるために最も有効な手段だからです。


今どき、バランス人事などをするようなトップではダメ。社長がそうなってしまうと、全体に緊張感がなくなり、組織黄断的な変革の意識はなくなってしまいます。


大事な案件については個人的には相談を受けています。私は取締役会議長としてガバナンスがメインの役目なのできちんとチェックをする。もちろん、最終的な意思決定は全部社長である中西(宏明)に任せています。会社というのは二人三脚ではダメ。部下から見て、親玉が二人いたら絶対にスピードが出ない。いくら仲がよくたって、微妙なところは違う。


日立の改革が数年で急速に進んだ理由は、意識改革をやったこと。一番大きかったのは、自分の事業をきちっと黒字にしようと各事業責任者の意識を変えたことです。どんぶり勘定でやっていた事業を社内カンパニーに区切り、収益はもちろんバランスシートにまで責任を持たせた。毎年IR説明会を行い、「ここはできました」「できません」「次はどうします」と言え、と。社内格付けを導入し、格付けが悪いからもうカネを貸さないというのをやった。


総合電機という方針は、悪くなかったと思うんですよ、当時としては。いろんなものが伸び盛りでしたから。一本足打法よりはるかによかったと思います。ところが、世の中が変わってきて、総合電機路線で並列運転をしていると、「これはもう事業をたたんだ方がいい」というのが、かなり早くから出てきているわけです。それに対する手当てが、遅かったとしか言いようがありません。
【覚書き|日立マクセルから呼び戻され、経営再建を託されたときを振り返っての発言。この後同社は構造改革でV字回復する】


非常に大きなリスクに耐え、立ち向かうというとき、その本質がわかっていて対応できるやつは、ほんの少ししかいないでしょう。


ラストマン(決断する人)になると、意識が大きく変わる。ある小さなグループ会社の社長からこんな話を聞いた。彼は営業出身で本社時代は交際費も期末には全部使い切るものと思っていた。それが社長に転じてからはトイレットペーパーの値段にも目を配るほどコスト意識が強くなった。赤字が出れば、バック(責任)を回す相手はいない。それがラストマンの役割だ。


ボラタイル(価格変動が大きいもの)な分野からは距離を置くことも明言した。一例が薄型テレビだ。日立はなぜ得意とは思えない分野に注力するのかと社外から指摘されていた。テレビ事業はその後、海外工場を閉鎖し、電子機器受託製造サービス(EMS)へと切り替えていった。


私が経営再建の最初に注力したのは、すべての社員の気持ちを揃えることだった。それには自分たちのアイデンティティを明確に打ち出す必要があった。日立は創業者小平浪平が国産電気機械の量産を目指し、五馬力電動機を製作したところから出発した。創業の原点は社会インフラの事業や技術にある。日立の事業の基本は電力や鉄道や水事業などの社会インフラにある。そこで、ITで高度化された社会インフラの実現を「社会イノベーション」と呼び、「総合電機」から「世界有数の社会イノベーション企業」になることを新たなアイデンティティとして掲げた。


「ザ・バック・ストップス・ヒア(責任のどん詰まり)」という言葉がある。第二次世界大戦時のアメリカ大統領のトルーマンがラストマン(決断する人)の重責を表した言葉だ。バックはポーカーで親の位置を示す印で、転じて「責任」の意味で使われている。部下は上司にバックを回すことができる。しかし、トップの前でバックは完全に止まる。


異例の人事で本社に戻ったときは、私は企業再生について「やればできる」と思っていた。ただの楽観ではない。リーダーは「慎重なる楽観主義」であるべきだとの持論からだ。この一見矛盾した言い方は「幸福論」で有名なフランスの哲学者アランの「楽観は意志に属す」という言葉に由来する。未来の筋道を示し、みんなを引っ張っていくリーダーは強い意志を持たなければならない。


組織もリーダーがラストマン(決断する人)の意識を持てば、必ず復活する。日立も再生に着手してから2年、構造改革の成果とともに、社会インフラ事業が新興国を中心とした需要増を背景に好調に推移し、2011年3月期は20年ぶりに最高益を更新した。


私はあるラストマン(決断する人)の命がけの判断と行動により、命を救われたことがあった。本社副社長だった1999年、搭乗した国内線旅客機がハイジャックされ、刃物を持った犯人が操縦室に乗り込んだ。機体は地上300メートルまで急降下。そのとき、乗り合わせていた非番のパイロットが操縦席に突入し、操縦桿を奪い返したのだ。彼は傑出したラストマンだった。


従来、最終的な決定は本体の社長にゆだねることができたが、システム社(疑似的に分社化した事業部門)では自分が最終意思決定者であり、ラストマンとして決断し判断しなければならない。


日立本体には電力、水、情報などの事業が並列に並ぶ。従来は「寄らば大樹」で、ある事業の収益が悪くても大きな財布の中でカバーされ、いわば「どんぶり勘定」の面があった。これを根本的に変えるため、各事業部門を疑似会社化し「○○システム社」と呼んで、独立企業のように経営に責任を持たせた。各システム社の社長は機関投資家やメディアを集めて説明会を開き、売上目標や事業方針を公約しなければならない。業績に応じて格付けも行い、格付けが高ければ、本体から受ける事業資金の融資も金利面で優遇されるようにした。


社内ウェブでグループの全社員36万人に向けて新しいアイデンティティを発信し、全世界95ヵ所の事業所をまわり、とくに若い30代の課長クラスと語り合った。こうして日立のアイデンティティを明確にすると同時に、事業の収益を改善させる手も打った。それぞれの事業責任者にラストマン(決断する人)の意識を持たせる仕組みを導入したのだ。


なぜ、アイデンティティを重視したのか。再生には財政再建も急務であり、赤字事業を分社化するなど、構造改革の方針を決めていた。ただ、財政再建だけでは、社員たちは日立がどこに向かっているのかわからない。事実、若手から届くメールは、現状への失望が読み取れた。自分は何のために仕事をするのか。必要なのは未来の道筋を示すことだった。


外から見たほうが問題点が良くわかる。日立本社は連結売上高が10兆円前後と巨大だが、グループ企業は大きくても20分の1の規模だ。財布の中身を見ながら戦略を立てて決断できる。本社は戦略の明確さも決断の迅速さも遅れていた。


一晩考えて、会長兼社長就任を受けたのは大きく二つの理由からだ。50年近く世話になった日立が未曽有の危機に瀕している。馳せ参じなければならないという思いがまずあった。もうひとつは、グループ会社に出ていた経験が逆に生かせると考えたからだ。
【覚書き|2008年の世界金融危機で7873億円という巨額赤字を出した日立本社から会長就任要請を受けたときを振り返っての発言】


情報が100%揃って意思決定するなんてことはまずありません。集まる情報は、せいぜい7割くらい。それを基に、物事を決めなければならない。


企業が大きくなってくると、存続すること自体が社会的意義につながってきます。健全な形で存続することは、企業にとって最も大切なことです。日立グループは今、全世界で約33万人の従業員を雇い、約37万人の株主に支えられています。社会的責任は非常に重い。会社の健全性を保つためにも、事業の再構築が欠かせない。


ノートは今も使い続けています。何でも書いていますね。書くことで、頭が整理される。人の言葉で「いいな」「大切だな」と思う箇所をメモしたり、仕事でアイデアを思いついた時などにも、ノートに書き留めます。


辞めたい人は、辞めた方がいい。今は、「1つの場所」で働く時代ではありません。財務やマーケティングなど「ある分野の専門家」になることが、会社員になる1つの目的になると思います。例えば、日立で財務の仕事をしていても、次は海外の別会社の財務部門で働いてもいい。上司がいい仕事をくれなかったら、パッと辞められるくらいの実力を磨けばいいと思います。


昨年までは良かったのですが、今は少ししんどくなっています。悪い数字ではないのですが、会社全体に緩みが出ている。「改革疲れ」かもしれません。それがすぐに数字に出てくるのが怖いところです。これは何かのサインでもありますから、注意すべき時です。ここでサボってしまうと、また「沈みゆく巨艦」の時代に戻ってしまいかねません。


社内の内部論理だけで意思決定していると、「本当の姿」は案外見えないものです。だからこそ、外から自分たちを眺める必要がある。その1つが、外から目を光らせる機関投資家や、社外取締役でグローバル経営の経験者なら、話を聞けばすぐに、その会社の欠点が分かるものです。社内の人間は「ろくに会社のことも知らないくせに」と批判するでしょうが、実は彼らの指摘は当たっていることが多い。


社長に就任した最初の1年は、時間との勝負でした。だから、社長である私と副社長5人の、計6人で物事を決めることにした。しかしこれは、決定がスピーディーに下される半面、危険なことでもあります。あまりにトップダウンすぎるからです。でもその時は、仕方がないと思い実行した。


日本の経営者は「捨てる」ことが苦手な人が多い。人材の再配置といった場面では、特にそうした傾向が強いようです。しかしそのまま放置しておくと、会社は潰れてしまう。


お客様のニーズは、時代とともに常に変わる。それに合わせて、事業も変わっていかねばなりません。ヒト、モノ、カネを適切な事業に振り替えることが必要です。


特に、海外は鍛えられます。海外で小さい会社のトップをやっていると、いろいろなことが起きる。年末にキャッシュが足りずにボーナスが払えない、でも銀行はカネを貸してくれない。そんな厳しい環境を経験した後、本社に帰ってくればいいのです。「タフアサインメント(困難な課題を割り当てられること)」を経験していないと、社長は務まりません。


大組織の中で専門分野だけをやってきた人には、トップは務まりません。これからの人材育成では、若いうちに一度社外に出て、外の世界から自分の会社を眺め、30代後半から40代半ばにかけて、グループ内の小企業の社長を数年経験させることが必要。


日本の会社は社内の意識が、閉鎖的になりがち。最近、いい方向に向かってきたのは、日本の会社の2割ぐらいがグローバル企業となったからではないでしょうか。海外とのやり取りが多くなり、自然に変わり始めている部分もある。


日立もいろいろとポートフォリオ組み替えをしていますが、部分最適より全体最適という考え方で進めてきました。部分的にはこの事業は小さくなってしまうが、全体の成長にはやむなし、という論理でやっているわけです。


成長が止まった古い事業に見切りを付け、そこに投資していたヒト・モノ・カネを、伸びる事業に移していくということを継続的にやっていくことが必要。


創業者がまだ経営している会社はいいんだけれど。創業から100年近く経過して創業者がもういない会社は世代が代わっても、リスクを取って成長を模索できる人を組織的に育てる仕組みが必要。


将来の経営者候補は、あえて厳しい環境で鍛えようとしています。つまり、海外で小規模な会社の社長を早く経験させよ、ということです。訓練になるような、タフな環境の会社にね。


自分がプロフェッショナルになれるように、会社という場を使って自分を磨くべきだ。財務のプロでも資材調達のプロでも、何でもいい。専門家になるんだと考えて、会社はその道具として使う。


面白い仕事があって、自分も伸びると思ったらそこにいればいいし。上司がろくな奴じゃなくさっぱりいい仕事をさせてくれないとなったら、そこから飛び出せばいい。


幸い私の前の社長も、その前の社長も、その前の社長も100%任せてくれた。社長と会長を兼務させてもらったから、スピードが出せた。絶対に1年間で止血しようと思った。まさに出血している、金庫から毎日カネが流れ出ている感じでね。ものすごく怖かった。


社長就任当時、テレビや半導体を完全には切り離していなかった。それら事業はある時期すごく儲けたが、捨てる時期を間違えたために生涯収支はみんな赤字。本当は、ある事業が一時期稼いだカネを次の投資に回して新事業を立ち上げ、稼げなくなった事業を捨ててきたのが日立の歴史だ。


ずっと社内にいた人間には改革は難しい。自分がその瞬間にやっているものに情が移っているから。もちろん情が移らないと仕事はできないが……。日立の中でも、財務の人間は冷静に見ているほうだが、それでもどこかの事業を切って捨てることはできない。私は外に出てから、日立はどうして自分たちが不得意な事業に執着しているんだろうと思っていた。


69歳で社長になったら、「何を血迷っているのか」とマスコミの皆さんにいっぱい書かれた。ソニーは外国人社長。若い人を社長にしている会社もある。年寄りの日本人男性を社長にするとはいったい何を考えているのか、と袋だたきです。でも、改革への抵抗を押し切るために年寄りを社長にしたわけ。グループ会社の社長で僕より年長の者はもう数人しかいなかった。


僕は本社から外れていたからよくはわからないが、本社に戻ってきたら、社員たちから「沈む巨艦と言われています。たいへん悔しいことに私たちはそれに慣れてしまいました」ってメールが来た。「慣れてしまった」に惜然とした。絶対に立て直さないといけないと思った。


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