川村誠の名言 一覧

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川村誠のプロフィール

川村誠、かわむら・まこと。日本の経営者。京セラ社長。愛知県出身。静岡大学工学部卒業後、京都セラミック(のちの京セラ)に入社。ソーラーエネルギー事業部副事業部長、機械工具部長、取締役、機械工具統括事業部長、執行役員常務などを経て社長に就任。

50歳を過ぎたら、新しいことを覚えるのは難しいという話をよく耳にします。あれは間違いですね。必死になってやれば、アルファベット3文字の業界用語も頭に入ってくるものです。


私は、経営は駅伝と同じだと考えています。経営者はある期間を全力で走る。それを終えたら、後任にたすきを渡す。このたすきが経営理念です。


リーマンショックの後、京セラは人員削減をすることなく難局を乗り切ることができました。経営理念のひとつに「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」とあったからです。おかげで、動じることなく雇用を守り続けることができました。社員に安心感を与えることもできたと考えています。


リーマンショックの時は、2008年の後半から翌年の春まで受注高が急減。ある月の受注額は前年の半分くらいに落ち込み、工場では余剰人員も生まれました。本当につらかった。どちらの時も稲盛が作った経営理念が支えになりました。


経験したことのない事業がたくさんあったため、社長になって最初の1年間は休日返上で勉強に取り組みました。週末も資料を家に持ち帰り、読み続けました。ほかにも、工場の現場に足を運んだり、それぞれの事業を担当する部長から話を聞いたり。この時、常に重視したのは、各事業の「現状」「課題」「今後どうしたいのか」を押さえることです。


80近くある理念の中で「私心のない決断をする」を重視しました。すべてをこなすのは難しい。なので、このひとつにとことん取り組むことにしました。最も応用範囲が広く、自分自身はもちろん周囲も良い方向に導く効果があると考えたからです。とはいえ、これを貫き通すのは、言うは易く、行うは難しです。でも、逃げないで取り組むことが大事と考えました。


社長に就任して最も意識したのは、これまで経験したことのない事業の投資案件などを決裁しなければならないことでした。京セラの事業領域は電子部品から医療クルマまでとても広い。私自身は機械工具事業部が長かったので、経験したことのない事業がたくさんありました。であるにもかかわらず、私が決断しないと事業が進まないのです。


社長になったばかりの私に稟議を上げてくる社員は、私がその事業に詳しくないことを知っています。最初は、判断を仰ぐことに不安を感じた人もいたでしょう。しかし、私が京セラの経営理念に基づいて判断することが分かっていたので、その分は不安が少し軽くなったのではないでしょうか。


会長に退いて以来、私はそれまで以上に現場を回り、受注が落ち込んで元気をなくしていたさまざまな職場を励ますように心掛けました。行く先々で「コンパ」(京セラ独自の社内懇親会)を開いては、社員の決意や悩みに耳を傾け、「自分はこう思う。経験ではこうや」とアドバイスしています。


稲盛(和夫)から間接的に学んだことは数えきれません。たとえば「高い目標を持つ」ということ。私は入社2年目の後半から機械工具の部署に移り、生産管理を担当しました。当時、この業界は財閥系の名門企業が市場を握っていて、あとは小規模メーカーと海外メーカーでした。当時社長だった稲盛は「世界一の工具メーカーになるんや!」と、繰り返し叱吃激励していました。ベンチャーである我々が、伝統ある財閥系に立ち向かうという構図です。燃えましたね。「ひと泡吹かせてやろう」という気持ちでした。結果、国内シェアの10%近くを占める業界トップクラスに育ったのですが、これも稲盛が最初に高い目標を掲げたからだと思います。


社長になって最初に稲盛(和夫)から言われたのは「あなたは見てきた領域が小さいから、全社的に学びなさい」ということです。私の管轄だった機械工具事業の売上高は約300億円。全社の3%程度です。自分でも「3%社長」と言っていたほどです。そこで、まずは現場をくまなく回って、全事業の把握に努めました。


部下が自分の役割として、すべきことをしていないとき、いい加減に取り組んで判断を間違えたときは、真剣に叱りました。チームとしていい方向に導き、目標を達成するという使命がありますから。当時の部下から「怖かった」と言われます。


私は入社後に鹿児島県の川内工場に配属され、入社2カ月で「アメーバリーダー」に任命されました。資材の発注、納期の管理、経費項目の按分、他部署との調整なども任きれましたが、若造の言うことなど誰も聞いてくれません。どうやったら人に動いてもらえるか。自問自答しながら、他者との接し方を学びました。比較対象がない中で、ごく素直に京セラ流を吸収していったのです。


私の社長就任と同時に、稲盛は京セラ取締役を退任しました。以後、毎日出社するということはなくなり、意識して京セラから離れ、後進に任せようとしたのではないかと思っています。


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