川村六郎の名言 一覧

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川村六郎のプロフィール

川村六郎、かわむら・ろくろう。京王百貨店社長・会長。岩手県出身。中央大学卒業後、京王ストアに入社。その後同社で社長まで務め、京王百貨店に移り社長・会長。百貨店経営に在庫管理をはじめとしたスーパーの経営手法を導入し、同社を再建した経営者。

高島屋の新宿進出をきっかけに、いわゆる新宿百貨店戦争が勃発しました。大方の予想は、一番高島屋に近く、規模も小さい京王百貨店が最も苦戦するだろうというものでした。私は高級路線で真正面からぶつかっても勝ち目はないと考え、「新・大衆百貨店」という路線を打ち出しました。商品の中心価格帯をワンランク下げて提供することにしたのです。結果は、苦戦するライバル店を尻目に、京王百貨店新宿店の同年10月の店頭売上高は前年比8.7%増を達成しました。


最初に体質改善に取り組んだことで、底力がついたのです。とはいえ、他の業界では当たり前のことをやっただけです。危機感のない集団、考えない組織が滅びに至る道は短いのです。
【覚書き|京王百貨店の再建を成し遂げたときを振り返っての言葉】


「2:6:2の法則」というのがあります。2割が反対して、6割が無関心でも、2割の賛同者があれば組織は変わるというものです。改革を始めて3年くらいたったとき、ある部長にこう言われました。「会議で部下に話していてハッと気づきました。自分は社長と同じことをしゃべっていると」。以前は反対派の急先鋒だったこの部長の言葉を聞き、改革の成功を確信しました。


最初は社員の反発が大きかった。幹部連中からしたらまったく別の世界から来た宇宙人にでも見えたでしょう。面と向かって「スーパーの社長に百貨店の経営ができるはずがない」とも言われました。私は5000人の社員と喧嘩してでも改革をやり遂げようと決心しました。


組織の店舗運営も人事もシステムも商品も、すべて根本的に見直すことにしました。百貨店の社長になったら、スーパーのときより5倍くらい忙しくなりました。事業を知らない人には「取引先との接待で忙しいんでしょう」などとからかわれましたが、とんでもない。とにかく私の考えを伝えるためにあらゆる会議に顔を出しました。毎日、朝から夜9時くらいまでの会議です。夜は経費削減で暖房を止めますので、コートを着てやったこともありました。


高度成長期からバブル期と商品を置けば売れた時代が長く続き、ぬるま湯にどっぷりつかっていました。スーパーでは当たり前に行われていた部門別の収益管理ができておらず、売り上げはつかめても利益が見えない状態でした。店舗裏には在庫が山のように積みあがっていて、中にはバブル期に飛ぶように売れたというドレスが150万円の値札を付けたまま放置してある。


百貨店というのは外からは華やかで優雅な世界に見えるようです。私が京王ストアの社長から京王百貨店の社長に転じたとき、周りからはスーパーマーケットの社長からランクが上がってよかったね、みたいなことを言われました。しかし、いざ百貨店の中に入ってみて愕然としました。30年間スーパーの経営に携わった人間の目から見たら、まさに経営の体を成していなかったからです。


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