川又克二の名言 一覧

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川又克二のプロフィール

川又克二、かわまた・かつじ。日本の経営者。「日産自動車」社長、会長。茨城県出身。東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、日本興業銀行(のちのみずほ銀行)に入行。大日本帝国陸軍主計幹部候補生、日本興業銀行大阪支店長代理、融資事業部長、太平洋戦争後、広島支店長などを務めたのち、日産重工業(のちの日産自動車)に移り、常務、専務を経て社長に就任。プリンス自動車との合併を成功させ、同社を日本二位の自動車メーカーへ成長させた。「セドリック」「フェアレディ」「ブルーバード」「バイオレット」の名付け親。そのほか、日産ディーゼル会長、日本自動車工業会初代会長、経団連副会長なども務めた。

私の経験では、なにか小さなジャンプがいいヒントになることがある。だから小さなジャンプも、私は大事にして経営に活かすようにしている。


このままでは皆共倒れになってしまう。会社がつぶれてはトータル・ロスじゃないか。人員整理は決して好ましくないが、会社を立て直すためには大乗的立場に立って蛮勇をふるうべきだ。
【覚書き|日産自動車の財務担当役員時代、役員会での発言。赤字続きで人員削減しなければいけなくなっているのに強い労組を恐れて決断できない役員たちに言った言葉】


労働をすぐ金銭と結びつける今の考え方からすれば馬鹿なことのようだが、私は勤務と給料は別に考えていた。現在でもこういう人は皆無ではないだろうが、やはり少しはこんな気持ちも残しておきたいものである。
【覚書き|残業代をもらわずに家に仕事を持ち帰って深夜まで仕事をし、朝は出勤に間に合わないのでわざわざタクシーを使って出社していた時代を振り返っての発言】


富士山ろくの演習場まで、炎天の下に5人に1丁の軽機関銃を担ぎながら歩いたときに知った、一本の木陰のありがたさ。習志野の夜行軍のとき、近くに赤痢が発生して一杯の水も禁じられたときの苦しさ。私の場合は、いまでもこの経験が自由という理念の裏付けとなっている。


いまのように自由、自由と言いながら、不自由の何かを知らない人間では、自由の限度がわからない。一歩営門を入れば、精神的にも肉体的にも拘束され、自分の意思は全体に吸収されてしまって行動がとれぬ。そういう拘束状態を体験すると、はじめて自由とはどんなに嬉しく価値あるものかがわかるのである。軍隊とは言わぬが、国民訓練所のようなものをつくって、半年でも一年でもいいから、若い者が集団生活をすれば、社会秩序を保つための教育訓練にもなるであろう。


相手が信頼するに足れば、自らも信頼に値するものにならねばならぬとする努力。これが相互信頼の真髄である。
【覚書き:日産自動車社長時の発言。労組との交渉について語った時の言葉】


小さなジャンプをヒントにして、大きなジャンプに変えていくことが大切という気持ちをもって、未来に目を向ける積極的な若者に話をすることが多かった。


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