岩切章太郎の名言 一覧

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岩切章太郎のプロフィール

岩切章太郎、いわきり・しょうたろう。宮崎県の観光の父と称えられる実業家。東京帝国大学政治学科卒業後、住友総本店で数年実務経験を積み、宮崎県に帰り、故郷の発展に尽力した。宮崎交通の全身である宮崎市街自動車を設立。宮崎商工会議所会頭、宮崎県商工連合会会長、宮崎県観光協会会長、宮崎経済同友会代表幹事など宮崎県の経済界で地元の振興に励んだ人物

難問に解決を与えてくれたのは、東京青バス渡辺訓練課長の一語だった。「若い女の子が乗ったら国から妹が来たと思いなさい。歳とった女の人だったら国からおばさんが来たと考えなさい」。そうだ、身内の者に対する親切心、これなら田舎娘の方が上かもしれない。以来宮崎交通のバスガイドのサービスは営業サービスでなくて純真な娘さんのサービスが本体となっている。


私は最悪のところに腹を据えていたから、何が起ころうとそれほど心配はなかった。そして一生懸命に工夫した。私があの難関をとにかくやり抜きえたのは、このためだと思う。
【覚書き|日向中央銀行の破たん後の難しい整理を成し遂げたことを振り返っての発言】


絵の上手な人は絵描きになるがよく、声のいい人は音楽家にと、それぞれ自分の一番適した方面に向かうのがいいというのが私の考え方の根本にあった。したがって、中央で働くのに適した人は中央で、地方で働く方がいい人は地方に帰るのがいいのではないか。


なんでもいい。どんな小さいことでもいい。私が手掛ける以上はなんとかして日本一とまではいかなくとも、何か日本の新しいモデルになるようなもの、新しい試みをして役立つようなものに作り上げてみたい。


  1. 世の中には中央で働く者と、地方で働く者とがあるが、私はあくまで地方で働く方で終始しよう。
  2. 上に立って旗を振る人と、下にいて旗の動きを見て実際の仕事をする人とがあるが、私は旗を振るのではなく、旗を見て実際に仕事をする側の方の仕事をしよう。
  3. 人のやっていること、やる人の多い仕事はしない。新しい仕事か、行き詰って人のやらぬ仕事だけをやってみよう

【覚書き|上記は氏が東京での仕事を辞め宮崎に帰る前に立てた基本方針。具体的に何をやるかより先に基本方針から明確化を行った】


そのころ宮崎鉄道の社員は一度使った状袋(封筒)を裏返して使う、木炭代わりに石炭ガラを拾ってきて暖をとるといった徹底した節約ぶりだった。私は社長として乗り込んだ第一声として、こんな贅沢をしていては会社は立ち上がれないと言った。みんなビックリしてしまった。人間の使い方が贅沢なのだ。大の男に状袋の裏返しをさせたり、石炭ガラを拾わせたり、これ以上の人間の使い方の贅沢はない。大の男は大の男らしく、もっともっと大事な仕事をしてもらわなければならぬ。
【覚書き|宮崎鉄道の経営再建に乗り出した当時を振り返っての発言】


木津無庵先生(真宗の僧侶)はこう教えてくださった。「それは君が心配と工夫をごっちゃにしているからだ。仏教は覚悟の宗教だから、しっかり腹が決まったら何が起ころうと心配はないはずだ。しかし工夫はしなければならぬ。どんな名医でも自分の子供の重体のときは脈をとる手が乱れる。それは心配があるからだ。ほかの医者は心配をせず工夫だけをするから立派に脈もとれ、病気も治せるのだ。だから、心配するな、工夫せよ」。


初めて中央から田舎に帰るということは大きな重荷、すなわち田舎化と戦うという極めて厄介な重荷を背負うことだということがわかった。まず私はこの戦いに勝たなければならない。どうして勝つか、いろいろと考えてみた結果、そうだ、常に日本の一番新しい傾向から目を離さぬように努力しよう、そうすればいま自分のいる位置がすぐわかる。そしてこれではならぬと立ち上がることができるだろうと考えた。私が幸いに今日まであまり田舎者にならずに来られたのは、まったくこのためだろう。


もし私が「頼まれて引き受けた」のだと考えていると、必ず不平不満が起きるだろう。不平不満が起こったら仕事も上手くいかないし私自身も不愉快だ。そこで、頼まれているのではない、自分から進んで、自分から求めて入ったのだと考えることにした。そしてそのことをしっかり自分自身に言い聞かせた。
【覚書き|破たん寸前の日向中央銀行立て直しを引き受けたときを振り返っての発言。同行はすぐ破たんしてしまい、岩切氏が苦しい長い破たん処理をする羽目になった】


私は金儲けは上手いほうではない。とかく儲かるかどうか二の次になって、必要かどうかで始めるという場合が多い。したがって後からソロバンを合わせていくのに苦労しているが、どうにかこうにか最後にはソロバンが合うようになるので、よくみんなに「あなたでもソロバンははじいていたのですネ」と笑われることがある。


41年の間、考えてみるとずいぶんわがまま勝手な仕事ぶりで、何やかやと手当たり次第にやってきたという気がする。東京で友達に会うとよくこう言われる。「君はとにかく自分の考えた通りのことをやってこられたのだから羨ましいネ」。しかし、私としては必ずしも考え通りにやったわけではなくて、志と違って困ったこともたくさんある。失敗もたくさんある。それでもまあまあ思う存分にやったといっていいかもしれない。その点はまったくありがたいことだったといつも思うのである。


私どもが仕事をするのは生活のためであることに間違いはないが、それだけだろうか。このほかにふたつの目的がある。ひとつは修行のためであり、ひとつは社会のためである。


新事務所が出来上がったところで、創立10周年の記念祝賀会を開催した。そして同時に10周年記念として、市内5銭均一を実施することにした。初めは記念配当をしようとかいろいろ意見があったが、私は株主には十分ながら配当を出している。従業員にも賞与が出してある。利益配当をしていないのはお客様だけだから、この機会にお客様に記念配当という意味で値下げをした。


無事故への祈り、それは私どもの永遠の祈りであり努力目標である。いつ果たせるかわからないけれども、永遠の祈願として絶えざる努力を続けていきたいと思う。


よく世間では、私のことを夢を見る男とか、ユートピアン(夢想家)とかいう。そのとおりだと自分でも思うが、なんでもいいから日本の新しいモデルになるようなものをつくってみたいという気持ちがいつも私を駆り立てるのである。そして柄にもない、大それたことと思いながら田舎住まいのただひとつの生きがいだから、どうか許していただきたいと心の中でお詫びしている次第である。


位階勲等が上がるとか、大会社の社長になるとか、大金持ちになるとか、そういった中央でなければ得難いことや、私のような考え方では獲得の難しいことは捨ててしまわねばならぬことになる。私はそう思って、それらのすべての望みを捨てきってしまった。


人のやっている仕事は私がとって代わってみても、その人と私との栄枯盛衰でしかない。しかし、もし新しい仕事をひとつ付け加えたり、行き詰った仕事を立てなおすならば、それだけ世の中のプラスになる。それは男としてやりがいのある仕事だから、そんな仕事だけをやってみよう。


私を3年間置いていただきたい。私は、住友さんは住友という組織を通じて国家のために尽くしておられると聞いてまいりました。私は3年で田舎に帰りますが、地方を通じて国家のために働くつもりでございますから、失礼ながら住友さんと同じ目的でございます。
【覚書き|住友本社での面接試験での発言。氏は3年実務を経験し故郷宮崎の発展のために仕事したいという夢を持っていた。その情熱は聞き入れられた】


知事さんには任期があるので坪刈りをしておられるような気がする。もしここに一人の男がいて、いつも地方の畑を立派に耕しておく。そしていつ知事さんが種をまかれてもいいようにしておく。まかれた種は大事に育てる。悪い苗は黙ってとって捨てる。こういうことをする男がいたら知事さん、便利だと思いませんか?私は田舎に帰ってそんな仕事がしてみたいのです。
【覚書き|大学生時代、有吉忠一神奈川県知事と会ったときの発言。これは岩切氏のその後の人生を貫く事業哲学となった】


世の中に必要なものなら、きっと世の中が拾い上げてくれるであろう。だから私どもは自分のしていることが、世の中に必要なことかどうか、私自身がその組織の中で必要な人間かどうかを、常に厳しく反省してみなければならない。もし必要でないなら、自ら進んで身を引くべきである。もし必要なら、世の中が大事にしてくれるはずである。


宮崎に帰って地方のために働いてみよう。中央に向かう人はたくさんあるから、私一人くらいは地方に埋もれた方が意義があるのではないかと思うようになっていた。


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