岡崎富夢の名言 一覧

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岡崎富夢のプロフィール

岡崎富夢、おかざき・とむ。日本の経営者。屋上庭園会社「株式会社innovation」社長。山口県出身。下関市立大学経済学部卒業後、断熱材・緑化資材メーカー「東邦レオ」に入社。1年目から最優秀新人賞を受賞。東京支社東京戦略室室長、建築関連事業副部長、取締役事業本部長などを経て木造用屋上庭園「プラスワンリビング」事業を立ち上げる。同事業がヒットし、事業部から子会社化され社長に就任。

与えられたチャンスに、死ぬほど努力して、ホームランを打って認めてもらう。それが次の打席につながる。泥臭いけれど、それが大事。


成果が上がる仕組みをどう作るか、大事なのはその一点。


同じことを繰り返すループからどうしたら抜け出せるか。考えた末に出した解決策は、自分がリーダーになることでした。


無理と諦めない。自分から枠をはめない。それが大事。


成熟した業界でも、「やれる」と思って創意工夫をして、やれるまで努力を続ければ、変えられる。


魚のいない釣り堀で糸を垂らしていても仕方がない。


変えられると思う人間こそが何かを変えられる。


社内で通らないような企画で、独立なんてできないでしょう。独立だろうが、社内事業だろうが、市場で勝てる企画を立てることが大前提。


うちは安いものを安く売るのではなく、いいものをいろいろな工夫で安く売るという発想です。


釣り堀に魚がいるときに他社と取り合って勝つやり方は、MBAで学べます。でも、そもそも魚がいないときにどうするのかということは教えてもらえませんでした。


うちは徹底して話し合います。社員が不満に思うのは、ほとんどの場合、情報が入ってこないからです。だから「僕はこう思っている」ということを、本当にわかってもらうまで話をする。


大切なのはやっぱりビジョンを語ることでしょうか。この事業で会社を変える、さらに住宅業界を変えるというビジョンを語り、リーダーがそれを本気で目指していることが伝わると、仲間も集まります。


好きではない分野での事業の立て直しも経験しましたが、やっぱり僕は家がすごく好き。これからもみんなの住環境をよくする仕事をしていくと思います。


相手に信頼されるために、逆説的ですが、信用されたいと思わないことを心がけています。僕たちのビジネスって、100人に1人ぐらいしか信じて買ってくれないと思うんです。すべての人に信用されるのは最初から無理なので、本当に心の底から思っていることだけを伝えて、わかってもらえる人だけにわかってもらえたらいいかと。


お客さんに喜んでもらえる家を売るという理由を共有できずにお金儲けのためだけに僕らと組んでいるところは、やっぱり口だけで動かない。理念を共有できるパートナーと出会うのは難しいです。


うちの社長(親会社・東邦レオの社長)は、「年寄りが若い人間の可能性を潰したらいかん。おまえらがやることをバックアップするのが俺の仕事だ」とよく言います。だからチャレンジは積極的にさせてくれる。


リーマンショックの翌年、僕に役員保険がかかっていたので、自殺すればなんとかなると考えてしまうくらいに追い込まれていました。木造住宅の屋上庭園と出合ったのは、そのころです。ある社員か木造一戸建てに断熱材を売りにいったとき、お客さんから「おたくはビルの屋上庭園をやっているよね。木造住宅でもできるかなと声をかけられたんです。その報告を聞いて、これだと思いました。翌年は30~40人くらい早期退職してもらわないと利益が出ないところまで追いつめられていたので、もう必死です。通常500万円かかるところを100万円で売るためのプロジェクトを立ち上げて、社内にある知恵をかき集め、なんとか3カ月で実現しました。


社長に直訴し、特販チームを任せてもらったとき、30代、40代、50代の3人の部下をつけてもらいました。当時僕は20代でした。使いやすい後輩を連れてきてもダメです。会社のためになる特販チームなので、やっぱり年齢に関係なく優秀な人間にきてもらわないと。その結果、2年間で、大手からの売上が10倍ぐらいになりました。


入社3年目に大手設計事務所への特販チームができ、そこに抜擢されました。僕だけが大手の設計を攻略できたので、思い切って社長に「年上の優秀な人を3人付けて僕に特販チームを任せてくれたら、絶対に会社として成功させます」と直訴しました。すると、社長も「やってみろ」と言ってくれました。


目標を失って会社を辞めようと思ったとき、僕も自分は何がしたいのかと真剣に考えました。思い当たったのが中学、高校の部活です。体育会のテニス部のキャプテンだったのですが、2回とも弱いチームを市内有数の強豪校にすることができました。振り返ると、僕は高い目標をかかげて、チームを強くしていくことが好きらしい。それを仕事にするなら、プロの経営者。そのころ日産を立て直したカルロス・ゴーンさんが話題になっていて、ああいう経営者になりたいなと。


目標を失って会社を辞めようと思ったとき、上司に「辞めて何かしたいのか」と言われまして。辞めてからやりたいことが明確で、かつ、この会社ではできずにほかの会社でできるのだったら拍手をして送り出すが、現状が不満で辞めたいだけなら、どこの会社に行ってもまた辞めるぞと。


親会社に入社した当時、とにかくハングリーでした。家がそんなに裕福ではなかったので、ビジネスで成功して早く親に家を建ててやりたいという思いがものすごく強いんです。僕が東京の営業所に配属されたとき、家財道具を揃える手伝いのためにおふくろも一緒に上京してきたことがありました。あとで聞いたら、僕は毎晩、「やってやる」「早く一人前になってやる」と、寝言を言っていたとか(笑)。
【覚書き|親会社の東邦レオ入社1年目で最優秀新人賞を得た当時について語った言葉】


僕は「住宅業界のiPhoneをつくりたいんです。iPhoneに使われているCPUやガラスをオーダーして一品ずつつくったら、きっと何十万円もするはずです。だけどアップルは、「これが最高です」という仕様を決めて、何千万台規模でつくることでコストを下げ、多くの人が手にできるようにした。住宅業界でも同じことができるはずだと思って挑戦しているところです。


この間、あるお客さんが、連休中に友達が毎晩来て、屋上でパーティーをしている様子をフェイスブックにあげていました。屋内に人を招いてもいいのですが、リビングだと生活感が出るので、いまは嫌がる人が多いんです。その点、屋上庭園は人を呼びやすい。僕は人が集まるきっかけを屋上庭園が提供することによって日本を明るくすることができると思うし、お客さんもそういう使い方をしてくれている人が多いです。


新しい釣り堀に来て、これまでの釣り方でうまくいかないからやめるという筋はない。


MBA的なアプローチでは、オペレーションの向上とか、どう競合をやっつけるかとか、枠の中でどう勝つかを考える。しかし、現実は、既存の枠を外して考えることを求めている。


今、就活中だったり、転職を考えている人には、「すべて希望通りの会社を求めるな」と言いたい。そんな都合のいい会社なんてないんだから。希望通りに見えても、現実にはそうはいかないことが、いろいろある。それよりも、自分で事業内容を変えればいいんです。例えば、今、いい待遇の会社に入るのは、先輩たちが築いた遺産の分け前を受け取っているわけでしょう。これからどうなるか分からない。それより、自分たちで切り開く方がいいじゃないですか。


かなり年下の上司を持った3人にすれば、複雑な気持ちだったと思いますが、私は自分のマネジメントの力が問われていると思いました。そして、それには誰にも負けない努力をするしかないと思った。朝6時から夜11時まで全力で働きました。後から「あの気迫を見て、こいつと一緒にやってやろうじゃないかと思った」と言ってもらいましたが、必死でした。


入社の決め手だった緑化事業配属がかなわず、もう1つの柱である建材事業の東京営業に配属されました。本社のある大阪と違って、東京は人員が少なく、先輩社員も私に仕事を教える余裕がない……。でも逆に、とにかく1人でやってみろ、という部署だったことが私にはよかった。前例が分からないから、とにかくいろいろ試しながら営業をしていくうちに、どんどん自分なりのノウハウを得ることができた。社内の最優秀新人賞を受賞して、2年目も成績を伸ばしました。


私、独立志向がないんです。ある事業アイデアがあるとして、独立起業する場合、ゼロベースで始めることになる。つまり、リスクだらけです。対して、所属する企業で新規事業として手がけるなら、資金と人材は社内にある。これを使わない手はない。


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