山本寛斎の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

山本寛斎のプロフィール

山本寛斎、やまもと・かんさい。日本のファッションデザイナー、イベントプロデューサー。神奈川県生まれ、岐阜県育ち。日本大学文理学部英文科中退。コシノジュンコ、細野久などのデザイナーの下で働いたのち独立。日本人として初めて、ロンドンでファッションショーを開催した。

これまで出会って優秀だと思う人は、みんな変わっていた。


私は人が持つ力を信じています。私たち一人ひとりには、まだ出し切っていない才能や隠れた力があるんじゃないか。それを一緒になって引き出そうよと、ずっと呼びかけてきた。


私はこれまで、一貫して自分が日本人であることを意識し、作風でもかたくなに日本にこだわってきました。


人生の7割は葛藤でした。危機に直面して、どう乗り越えようかと遮二無二走ってきた。


西洋のモノマネでは勝てません。よって立つものは何かと考えると、日本人を前面に打ち出すことが一番です。だから私は日本というものを発信し続けている。


和服とは着る人の着こなしで加算され、完成する衣服。


日本人は昔から無個性かというと、そんなことはなくて、信長、秀吉の時代は色使いもすごく奔放でした。それが徳川時代になって士農工商の身分制度が定着するにつれて、没個性になっていった。しかし、婆娑羅という言葉もあるように、日本人はもっと自由奔放に近かったと思います。私はそのDNAを色濃く受け継いでいるのです。


デザイナーの中でも、私は日本人だということを非常に強く意識しています。西洋の人と日本人のものの考え方には差がある。欧米人は「個性=素晴らしい」という考えがありますが、日本は抜きん出た風体をすることはあまり感心しないという文化圏に属している。だから私に対する評価は、欧米の方が高かったのだと思います。


「山本寛斎はいつも元気で明るい」と言われますが、これまで順調に歩んできたわけではありません。人生の7割は葛藤でした。危機に直面してもだえ、どう乗り越えようかということばかり。いつもこれでいいんだろうかと迷いつつ、でもやはり自分はこれがやりたいんだと、遮二無二走ってきました。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ