山崎種二の名言 一覧

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山崎種二のプロフィール

山崎種二、やまざき・たねじ、相場師・経営者、山種証券(現SMBCフレンド証券)創業者、米問屋の丁稚からスタートし、米相場・株式相場で財を成す、城山三郎が氏の人生を小説化している「百戦百勝 働き一両・考え五両」

私は金儲けのために算盤を外したことのない男であるが、ただひとつ、営利を離れ算盤を外してやっているものに育英事業がある。私の教育方針としては、生徒に将来社会人となるための教育を完全にしなければならぬということである。戦前の女学校は花嫁学校的色彩が強かったが、現在は女性もどしどし社会へ進出しているので、邦文はもちろん英文タイプや、私のモットーとする算盤などの習得も生徒にすすめ、いまでは全生徒がやるようになっている。おかげで就職率も非常にいい。
【覚書き|練馬の富士見女学校(のちの富士見高等学校・中学校)を経営していることについて語った言葉】


競馬の場合、14%は競馬場に、11%は政府に取られ、残り75%が当たった者に返ってくる。相場の社会では、売と買と2つのうち1つでも当たりにくいのに、二対一どころか、競馬は何十対一というような勝負に勝つことは、どうしても算盤に出てこないというのが私の考え方である。また、鉱山は表面に出ているものではなく、地下のものを探し出すのだから、私などにはわかりにくい。


私は「ケチ種」といわれるほどの男であるが、その私にも若いころからひとつの夢があった。徴兵検査で帰京するとき、鏑川の川止めにあった。そこで成功のあかつきには、川に橋をかけたいという念願を抱いた。たまたま、昭和5、6年の金解禁相場で、私は利益を得たので、多年の夢を実現した。私は先輩から「目立つ寄付より目立たぬ寄付、とくに人に踏まれる寄付がいい」と教えられたが、この橋と県道は、後年思わぬときに私の役に立った。太平洋戦争の最中に荷物を疎開するとき、トラックが通れたからである。もし橋がなかったらトラックは通れず、疎開も思うようにできなかったであろう。


相場というものがわかりだしたのはこの頃だ。休みなしに強行軍すると、兵隊はバタバタ倒れる。休みも挟まねばならぬ。「休むも相場」というが、まったくそのとおりである。
【覚書き:1920年の株式市場の大暴落で大損害を受けた時を振り返っての発言】


私は清算取引と名のつくもので勝負をやらないものはない。しかし、いまもって競馬、競輪は一度もやったことがない。兜町の先輩の中に、金山や銅山などを手掛けた人も多いが、私はまったくやったことがない。これは自分の方向を律していく一つの主義である。【覚書き:清算取引とは売買対象になったものの現物を受け渡ししないで行う取引のこと。先物取引やオプション取引などで使われる】


私は、売りによる勝利は、買いによる勝利より価値があると思っている。売りにより利益が出た場合デフレがおきており、買いによって利益が出た場合インフレが起きている。同じ金額の儲けでも売りのほうが、現金の価値があり使いでがある。】


財産無くして 相場を悟る。
天井三日、底三年。
大回り三年、小回り三ヶ月。
採算は実。人気は花。
採算を買い、人気を売る。
奇跡に賭けるな。
休むも相場。


俺は共産党は嫌いだから、組合ができたら社長を辞めるよ。あとはお前に任せる。
【覚書:上記は息子、山崎富治に言った言葉】


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