山岡孫吉の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

山岡孫吉のプロフィール

山岡孫吉、やまおか・まごきち。農機具メーカー大手のヤンマー創業者。滋賀県出身。高等小学校卒業後、奉公に出る。大阪瓦斯の工事人夫に採用されたのをきっかけにガスエンジンの技術を学ぶ。その後独立し、中古ガスエンジン屋を開業。その後、ヤンマーを創業し、石油エンジンメーカーとなる。その後ドイツでディーゼルエンジンに出合い、世界初の小型冷水ディーゼルエンジンを開発。ディーゼルエンジンの小型化に成功した。ドイツ発明協会ディーゼル金賞牌、ドイツ大功労十字章などを受賞している

私は学歴がなく、十分の学問を積むことができなかったので、実地の見聞でそれをカバーしようとした。機会あるごとに積極的に各地を歩き回っていたので、かなり地方の事情に詳しかった。


人生というものは、運、不運に左右されることも大きかろうが、それでも誠実さと感謝の心を失わないで努力しておれば、よき協力者を得て道も開け、人から感謝もされて、美しい世界が自ずから展開してくるのではないだろうか。


それにつけても思うのは、門地も学歴もなかった私を、よく拾い上げ、恐ろしい危機から救い出してくれた、いくたりかの恩人のことである。終始ヘマばかりやり、気も変われば、くじけそうになった私を助けて、今日まで押し上げてくれた、よき協力者のことである。私はいま感謝の念をひとしお深くするとともに、わが身の幸せをつくづく感じている。


乗鞍岳の東大宇宙線研究所に納入する自動発停式の自家発電用ディーゼルを製作して、一部の同業者間に流布されていた「ヤンマーは技術の低い百姓のエンジン屋だ」という悪口を完全に封じた。


太平洋戦争が敗戦に終わったとき、本社工場は90%、神崎工場も70%焼失し、わずかに長浜工場が残っていただけだった。私はただちに事業復興に立ち上がった。すでに60歳に近い私は、もはやエンジンを離れて生きる術を知らなかったので、先がどうなろうと、生きるためには一日も早く事業を再開しなければならなかった。


自分でものをつくって、誰はばかるところなく値段をつけ、「この値段で嫌なら買ってくれなくても結構です」と言えるような、自信のある仕事がしたい。メーカーになろう。それも百姓生まれの私にふさわしい、この農業用の石油エンジンメーカーに。こう決心した。
【覚書き|ガスエンジンブローカーから石油エンジン製造に事業を切り替えたときを振り返っての発言】


私の一生は、そのまま私の仕事履歴であって、華やかな遊びも道楽もなかった。他人からは仕事気違いのようにいわれることもあるが、これは仕方のないことである。気楽なことをしていたのでは、とても今日の成功を見ることはできなかっただろう。


私の青春時代、文明開化したばかりの日本が次第に世界の強国へのし上がっていった力に満ちた時代であった。こんな時代の流れの中で、有力な後援者もなく学歴もない田舎出のエンジンブローカーが、大きな渦や波を乗り越えて生きていくには、ただひたすらに力を尽くして泳ぎぬかねばならなかった。
【覚書き|中古ガスエンジンブローカーとして商売の道に入った当時を振り返っての発言】


ブローカー商売はもう御免だ。自分は汗を流さないでおいて、口先だけで中間利潤をむさぼる商売は、いわば詐欺と同類である。


私に取り柄があるとすれば、ただエンジンが好きで好きでたまらず、それに没頭できたことだ。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ