山内宏の名言 一覧

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山内宏のプロフィール

山内宏、やまうち・ひろし。日本の経営者、官僚(大蔵省)。大蔵省証券局長、大阪証券取引所理事長、北海道拓殖銀行頭取。

公にコンプレックスを持つ年代には期待はできません。日本再生には、新しい国家意識を身につけた若い世代、つまり、政治も行政も企業も終戦直後と同様に40代に任せる。そんな徹底した若返りしかないと思います。


戦後、経済では大成功したが、その影で進行していたのが政治の硬直化です。国で一番偉いのが国会でしょうが、同じ議員が何十年と居座ると、代変わりしても出て来るのはその息子、後援会が甘い汁を吸う。国家の未来図が描けず、既得権、無責任という澱(おり)がたまってしまったのが、いまの日本です。このままでは、前途はせいぜい「優雅な衰退」でしょう。


現在、籍を置くコナミで、トップの決断が何事に関しても速いのを見るにつけ、組織の若さの重要性を痛感します。


私がかつて大阪証券取引所で全国に先駆けて先物やオプション取引を導入し、一応の再生をはたせたのは、当時の大証は余計なことを考えていては生き残れなかったからです。古い組織だけれど、打ち続く経営不振で、先輩、老人どもにほとんど発言の力が失われていたことが幸いした。


かつての大蔵省が敗者復活があり、つまり組織が柔軟で、「国のため」という価値観を貫くことができたのは、終戦後のパージ(公職追放)などで、組織に様々なしがらみがなかったのも一因です。事務次官もほぼ毎年交代し、その人的影響力も長続きしないから、上司部下の間柄を引きずらなくても済んだ。ところが、組織ができてから時間がたち、同じ人間なりそのグループが何十年も権力を握り続けると、現役が先輩に遠慮したり、仕事や人事が人脈に左右されたりして、澱(おり)のようなものが組織にたまりがちで、大胆なことができなくなる。


かつての大蔵省では仕事の価値観も「国のためになるか」だけで十分でした。余計なことは考えなくてよかった。政治家や上司の機嫌が悪かろうが、自分が「国にとって良い」と考えれば、その仕事をやり遂げる。そんなことが許されたのです。
【覚書き|太平洋戦争敗戦直後の大蔵省での仕事について語った言葉】


狷介(けんかい。頑固)で人付き合いの悪い私にとって大蔵省は働きやすい場所でした。20代のころ、上司とのちょっとした言葉の行き違いが元で、一週間の間に3つの課をたらい回しにされたり、地方の出先で中央の徴税方針と違うことを強行したりした私でも、結局局長まで居させてくれた。敗者復活有の組織でした。


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