小野田寛郎(小野田少尉)の名言 一覧

このエントリーをはてなブックマークに追加

小野田寛郎(小野田少尉)のプロフィール

小野田寛郎、おのだ・ひろお。日本の陸軍軍人(情報将校)、階級は陸軍少尉。フィリピン・ルバング島で約30年間戦った日本兵。和歌山県出身。旧制中学卒業後、漆専門の貿易商社「田島洋行」に入社。同社社員として中国大陸に渡り、貿易業務を行った。その後、召集され陸軍予備士官学校卒業後、情報将校を育成する陸軍中野学校二俣分校で諜報とゲリラ戦について学ぶ。遊撃戦指導の任務を受けフィリピンに派遣される。太平洋戦争終結後も含めてルバング島で約30年間戦い抜いた。その後帰国したのち、ブラジルに移住し、農場主として苦労の末成功を勝ち取った。主な著書に『わがルバン島の30年戦争』など。

どうか悩むことなしに、自分にはやれるはずだと思って生きてください。生きていくのには苦労はつきもの、それが当たり前という前提に立てば苦しくない。


できない理由がわかればしめたもの。それを解決すればよいのだから。


遊んでいるように見える小鳥だって、天敵から逃げたり戦ったり、食べるために必死で餌を探して営々と努力しながら生きてきているのです。人間も同じことだと思います。のほほんとしてはいれられないと思うのです。


先のこと、毎日ことは自分で何とかしなくちゃいけない。だって、自分以外は誰も何もしてくれないんですから。


火種は下、薪は上。反対にしては火はつかない。


地図ばかり見ていると、迷子になってしまう。


済んだことは済んだことで、愚痴を言っても始まらない。愚痴を言えば前に進む力が減るだけでしょ。だから、愚痴を言うのは大嫌いなんです。愚痴や泣きごとを言う人も大嫌い。


目的がはっきりしていると、いろいろ切り捨てられる。「思い切り」というけど、目的があれば人間は思い切れるんです。


どうせ終わりが来るなら早く死んだ方が楽といって自決する気にもならなかった。やってみなくちゃわからないんだから。


(世論では)私は「軍人精神の権化」か、「軍国主義の亡霊」かのどちらかに色分けされていた。私はそのどちらでもないと思っていた。私は平凡で、小さな男である。命じられるまま戦って、死に残った一人の敗軍の兵である。私はただ、少し遅れて帰ってきただけの男である。
【覚書き|帰国後、メディアや人々から称賛と誹謗中傷の両極端の反応をされたことについて語った言葉】


死というものを考えたうえで、毎日毎日を自分らしく力いっぱい生きていくということで、自分が思っている以上の大きな力が出るものです。そうすれば、自分でも納得できる生涯が送れるのではないでしょうか。


兵隊のときは兵隊らしく、ブラジルへ行ったら、ブラジルの社会で牧場主らしくやってきました。私は「らしく」ということがいまの日本に少し欠けているんじゃないかと思います。いつでも、自分として精一杯やるということが必要なんじゃないでしょうか。


戦いは相手次第。生き方は自分次第。


強くなければ、優しくできない。


何をやるにも3つの「ど」。努力、度胸、度量。


今日は食べられなくても、明日も食べられなくても、明後日には何とかなる。死にはしない。


コンパスは方向は教えてくれる。でも、川や谷の越え方は教えてくれない。


貧しくたっていいじゃないか。乏しくたっていいじゃないか。卑しくなければ。


できてもやってはいけないこと、できなそうでもやらなければいけないこと、これで善悪が決まってしまう。


僕が言うと僭越かもしれないけれど、後ろを振り向いても仕方ないんですね。ルバング島はルバング島で、それで終わり。苦しかろうと何だろうと、その分いろいろな教訓を得ました。今度は、それを上手く利用していく。あのときはどうしたのこうしたのと、後ろは絶対に振り向かない。牧場をつくるときは必死で牧場をつくる。牧場が何とかここまでできたから、次は日本の子供たちのために何か役立ちたいと思って、そのことを懸命にやる。


とにかく生きなきゃいけないし、勝たなきゃいけない。負けたら死ぬんですから。小さいことで悩んで、そこで止まっていたら生きられない。自分の中で目的がはっきりしていないと、そうなっちゃうんです。


(ブラジルに移住して)最初はイライラすることもありました。たとえば、こちらの人は時間を守らない。だから、二段構えで予定を立てるようにしていったんです。もし来なかったら何をすると予定を立てておけば、すっぽかされてもやることがあるから気にしないで待っていられる。町に行っても、相手が現れなかったら別のやることをやって戻ってくる。いつも副目的を持っていれば、相手に振り回されずに済むんです。


少数精鋭なら、その人間たちに相当のことを任すことができるし、また、任せなくちゃこんな仕事はできません。任されるほうにも責任が生まれるし、やりがいも出てくるだろうし。自分のことは自分でやるのが基本ですけど、他人に任せっるということもできなくちゃだめですね。その両方がないと。
【覚書き|ブラジルでの農業経営について語った言葉】


若い、一番意気盛んな時期を、全身を打ち込んでやれたことは幸福だったと思う。


中野学校で、何がないからできないというのは自分の能力のなさを自白したようなものだと教えられました。サバイバルするためには、何がないからでは通らない。どんな手段を使ってでも何とかしなければいけない。何がないからできないとは、自分の不備不明の致すところと心得よというのは、いい教えだと思います。


中野学校の教官は、誰も信用するな、ただ自分の判断だけを信用しろと教えました。そう、自分の判断だけなんです、信用できるのは。


力いっぱいの努力をしたことは確かですが、それは僕の持っていた力であって、持っていない力が出るはずはありません。


いつ死ぬかは誰もコントロールできない。これはもう、しょうがないですね。「命は天にあり」です。でも、「体は我にあり」で健康管理は疎かにできません。


人名ランダムピックアップ


経営・ビジネス・投資・仕事・お金・経済的な分野で成功を収めた人たちの名言を収録しています。

ページの先頭へ