小池利和の名言 一覧

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小池利和のプロフィール

小池利和、こいけ・としかず。日本の経営者。ブラザー工業社長。愛知県出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、ブラザー工業に入社。入社2年目から同社アメリカ法人に出向。23年間アメリカに駐在し、現地でのプリンター事業の拡大に貢献。アメリカ法人社長を務めたのち、ブラザー工業の社長に就任した。

商品開発において成功する確率はそれほど高くないが、失敗経験こそが人材を作る。


しつこさのある仕事には、いつか挽回のチャンスが巡ってくる。


多彩な人材がぶつかり合わなければ、新しい事業は生まれない。


どんなに時代が変わっても、触れ合いや付き合いは大切にした方がいい。それが経営者としての私の哲学でもあります。


安売りばかりしていると、ブランドも毀損してしまう。


性格の明るい奴、暗い奴、ニヒルな奴と様々な個性が異彩を放っているからこそ、急激な変化に耐える強い組織が続いていく。


開発には失敗がつきものです。自由な発想で開発し、時代を先取りした新商品が生まれる一方、市場投入が早過ぎてうまくいかなかった例も数え切れないほどある。


企業も成長しなければ存在意義がありません。余裕がある時こそ、気を緩めず次の一手を打つことが大切です。


一度失敗しても懲りないところが、うちの会社のいいところですね。


企業には、余裕とか遊びって必要だと思うんです。完璧な企業が出来上がって、明日から改善の余地もないほど立派というのは、つまらない。


うちはニッチでいいじゃないかと思います。成長分野だから追えとか、成熟しつつあるからやめておけということも言いません。


今の商品だけに頼っていては、明るい未来はありません。会社の業態を何とか変えていきたい。八方美人かもしれませんが、少しずつ事業ポートフォリオを変えながら成長したい。


今、課題と思っているのは人材です。我々がリタイアするときに、後継として20人ぐらいのリーダーがいないとダメ。そういう人たちを育成していきたいですね。


いろいろなことがものすごいスピードで変わる。経験、知識、体力、様々なものを持っていないと、なかなか経営者は務まらない時代です。


いいことをやって、褒められるのは一番うれしい。自分が会社を支えているとか、自分が利益を生んでいると思い込めるって幸せじゃないですか。失敗しても左遷されたり辞めさせられたりしないように、信賞必罰になっていない部分は確かにある。だけど萎縮しちゃって、出てこなくなるよりはいいと思うので。


当社で失敗して左遷されたり、辞させられたりした人はいない。くじけずに頑張ったから執行役員になっている。


私は入社2年目から23年間米国にいて、商品企画もたくさんやってきた。「これをやったら絶対売れる」と言って、3つに2つは大失敗でした(笑)。新規事業なんてだいたい1000に3つしか当たらないから、あまり大きく期待しても仕方ないけれど、可能性があればやったらいい。ただ、諦めるときは早く諦めようと。


他社さんがやっている言葉の肌触りがよくて、成長しているみたいなイメージだけでその事業に突っ込むのは、当社の場合は身の程知らずかなと思います。その分、競争が激しいわけだから、逆にダメだと思うんです。みんなが参入するから、結局は思ったほど儲からない世界です。


経営者として最初に考えるのは損切りです。損した時に、財務的に耐え得るか。あとは、案件を持ってくる人がどれだけプロジェクトと心中する気があるか。情熱がなければ、いくら良さそうな案件でもダメです。


1500億円の新規事業創設やM&Aなどに使う社長直轄予算を公言したのは、社外以上に社内に訴えるためなんです。会社としてはこれだけ投資してでも成長したいから、皆で新しい事業を考えようということです。


売上高に占める開発費の割合は8%。企業たるもの、ある程度は新規事業に開発投資をするのは当たり前だと考えています。悪く言えば贅肉かもしれないが、それがないと先行きが真っ暗になっちゃう。負のスパイラルに陥らないようにするため、新規事業開発費は増やすぐらいのつもりでやっています。


うちの会社は悪く言えば、ちょっと甘いのだけれど、いい言い方をすると、人に優しい部分があります。従業員の意識調査を見ても、高評価なのは、上司が優しい、職場の雰囲気がいい、悪意のないミスに対しては寛容である、といった部分です。女性の育児休暇からの復帰率は100%です。


後の世代に会社を引き継いでいくには、新しい事業を今の世代が生み出す必要があります。その旗振り役は務めますが、時代の変化を敏感に感じて会社の先行きに危機感を持たなければならないのは、成功体験にとらわれない若い世代なのです。


過去10年ほどは特に恵まれた時期で業績が順調だったため、私は逆に危機感を覚え始めました。ゆでガエル状態になってしまうことで、多くの社員が難題にチャレンジしなくなっているように思えるのです。


若手から中堅の社員に向けて人事部は「ブラザービジネスマインド塾」といった仕組みで人材教育に取り組んでいます。財務諸表の読み方をはじめ、ブラザーならではの商品開発や販売の仕組みなどを身に付けてもらう計15の講座を設けています。講座では、中堅社員が講師を務めます。つまり、講座によって生徒と先生が入れ替わり、お互いに教え合うのです。教える立場になればこれまで当然と考えていた常識が揺らぐこともあるでしょう。こうした経験を繰り返すことで専門領域への理解を一層深めます。


私自身、昔から高尚な物言いや高い目線で話をする人間が好きではありませんでした。それよりも、楽しく自然に人生を生きている方がいい。


ブラジルでの成功は、販売代理店との信頼関係が醸成されていたからこそ成し遂げられたものです。海外の販売代理店との信頼関係を作り上げるには長い時間が必要です。時にはトラブルもありますが、ブラザーが世界の競合と海外市場で伍していくためには、現地の代理店が応援して売ってくれる強い絆が必要になります。


新興国での事業では売掛金を何らかのインセンティブを付けてでも早く回収する必要があります。例えば、60日で回収していた売掛金について、「30日以内に納めてくれれば、支払いの数%分を割り引く」と取引先に伝えて売掛金の回収を早め、売上債権回転率を向上させること。それが新興国での鉄則です。取引先ではなく国力破綻するリスクもあるのですから。さらに、様々な制度が整備されていない新興国では、売掛金の回収期間が伸びるほど、「書類がなくなった」「別の商品が届いた」などトラブルが増える傾向にあります。


海外販売会社の資産は、「ヒト」「在庫」「売掛金」の3つに絞られる。特に、どれほど古い商品の在庫を抱えているか、売掛金の支払い遅延は発生していないかどうか。この2つは、新興国で生き残る上で欠かせない指標になります。


私のブログには、心がけてきたモットーが掲げてあります。最初は「明るく・楽しく・元気に」過ごすこと。2つ目は「人とのつながりを大切にすること」。最後は「常に何事にも好奇心を持つこと」です。


海外事業では難題にぶつかる確率も高い。ただ、ブラザーの社員はそうした厳しい経験を通じて鍛えられてきました。


私が米国販売会社の社長に就任した年、アルゼンチン政府がデフォルト宣言しました。米ドル建てで納品しているため、在庫品の価値は一気に4分の1に下がりました。アルゼンチン販社の社長は「早めに事業を畳んでこれ以上の損失を抑えよう」という考えでした。しかし、私は「売掛金を回収して、在庫の品を1円でも高く売れ。兵糧が絶えるまで耐えろ」と檄を飛ばした。これが奏功しました。競合するメーカーが相次いでアルゼンチンから撤退したため、同国ではプリンターや複合機などでブラザーのものしか買えなくなったのです。アルゼンチン政府が変動相場制を導入して市場の混乱が沈静化してくると、トナーなどの消耗品はある程度高くても買ってもらえるようになりました。


外国に腰を据えて暮らし、現地の人と飯を食い、酒を飲んで、一緒に仕事をしていく。そうして赴任した国や地域で暮らす人たちの心の機微まで分かるような社員をどれだけ抱えているか。それによって、グローバルカンパニーの強さは決まるのではないでしょうか。


外国人と渡り合っていく上で本当に大切なのは「人間力」です。躊躇することなく人の輪に飛び込み、言うべきことを言う。ここまで腹の据わった人間を育成するには時間がかかります。異国での生活や言葉仕事に慣れるには、2~3年は必要でしょう。ですから、最近では赴任期間が5年ほどに及ぶケースが増えています。


インドに出張した技術者は砂塵が舞う町の店先でプリンターが使われている様子を目にして驚いたと話していました。先進国ではあり得ない使い方だったからです。こうした現場での痛切な体験は、お客様が本当に欲している商品は何かを真剣に考えるきっかけになります。


ブラザーが扱う事業や商品には、常に国内外の大手電機メーカーとの競争が待っています。生き残るには、資本をニッチ分野に集中投下する経営が求められます。これは小が大を倒すには欠かせない戦略です。


お客様のニーズを十分に把握して、自分たちの持つ技術の中から提供できそうな商品を企画する。営業担当者はお客様が支払ってくれるギリギリの価格帯を考え、生産担当者は工場でのコストを勘案して不必要な機能を削る。このように、各部署がお客様の目線で考えることで、企業側の独り善がりとならない商品作りを心がけています。


当社には新商品の開発を開発担当者だけに任せず、生産や販売などすべての部門でお客様の声を反映する仕組みがあります。例えば、中小企業向けの新商品なら、実際に企業に持っていって利用してもらいます。その様子を各部署の担当者が調査するのです。分かりやすく作ったはずなのに、利用者が誤ったスイッチを押している姿を見ると、社員は衝撃を受けるようです。


研究開発する際に必要なのは、全社を挙げてお客様の視点に立っているかどうかを突き詰めて考えることだと思います。


メーカーは消費者に提供する商品を作っていますが、自分たちが商品について一番詳しいという「知り過ぎ」の常識から脱却しなければいけません。


好奇心が強く、頑固な技術者は上司が何を言っても考えを変えません。ならば早い段階で失敗を味わわせるのが理解を深めさせる一番の方法です。効率は良くありませんが、必要なものだと考えています。


市場投入が早過ぎてうまくいかなかった例も数え切れないほどある。86年に取り扱いを始めたパソコン用ゲームソフトの自動販売機「TAKERU」は、その代表例です。インターネットが普及した今なら当たり前の技術すが、80年代ではまだ投入が早過ぎた。ところがこの時に張り巡らせた通信網が後に新しいビジネスにつながります。「通信カラオケ」です。


優れた試作品は社内で話題になり、自然と使われるようになる。開発者が思いもしなかった使い方が意見として寄せられることで、ヒット商品になった例もあります。


開発部門では、業務時間の15%を自分のやりたい研究に充ててよいことになっています。モノ作りが好きな技術者は趣味で開発をしても叱られません。熱意のある人間はこのルールを利用して、アイデアの有用性を検証するため試作品を作ってしまうほどです。


4代目社長・安井正義さんは常々、「部下が何か新しいことをやりたいと言ってきたら3回はNOと言え」と管理職に言い聞かせていたそうです。3回ダメ出しをしたにもかかわらず、まだ挑戦してくる技術者は、自分のためではなく会社や社会を良くするために真剣に考えているから、GOサインを出す。この教えは現在まで受け継がれています。


プレッシャーに耐えて改良を重ねるだけの粘り腰があるか。我々経営陣は技術者に厳しく問います。技術者が少々の失敗でへこたれないかを試すため、新しいアイデアをあえて突っぱねる。当社にはそうした文化があるのです。


先進的な新商品でも、売れなければビジネスとして成立しません。技術者は強い好奇心を動機に技術開発に挑みますが、熱意だけで開発した商品では世の中に認められないのです。


新しい商品が生まれる仕組みは、経営陣が指揮する「トップダウン型」より、現場からアイデアが湧き上がる「ボトムアップ型」が目立ちます。


インターネットが発達した現代では正しい判断を下すための知識の集積が容易になりました。しかし、実際に現場に出て自分の手足を動かしてみると思い通りにいかないことが多い。その「うまくいかない経験」を積ませるために、若手社員を海外市場に放り出す必要があると考えています。


失敗を恐れずに行動し、会社のために必要ならしっかりと発言をする。そうした人材を生み出す組織をいかに維持するか。悩ましい問題です。


次世代や次々世代に向けて事業を転換し続けていくためには、異質な人間を排除せず、むしろ活躍できる環境を整えなければならない。それが経営者に与えられた課題だと肝に銘じています。


未開拓の市場で商品を売る苦労や、新しい顧客層が望む技術を開発する難しさを体験させる。そうして修羅場をくぐらせる中から、異才を持つ人材を見いだし、育成していくことが求められています。


当社には失敗を許容するおおらかな社風があります。役員にも成功より失敗の方が多い人間が目立ちます。未知の分野に挑めば失敗の確率が高くなる。信念を持ってビジネスの必要性を訴え、最終的に会社がゴーサインを出した事業で失敗したなら、その責任は言い出した本人ではなく経営者にあります。


爆発的にヒットした399ドルのファクスは通常の半分の期間で開発しました。大きなプレッシャーがのしかかる中でそれを成し遂げることができたのは、画像システム事業部が「燃える集団」になったからだと安井さん(安井義博社長)は回想していました。


一部の根強い反対を押し切って、情報通信機器事業に生き残りを懸けるために、安井さん(安井義博社長)は一計を案じます。90年のことです。社内に「21世紀委員会」を設置して、ブラザーの将来あるべき姿や事業構造について社員に議論してもらったのです。ここで絶妙だったのは、委員会の中に30代、40代、50代の世代別に3つのチームを作って、それぞれのチームが議論した結果を提言してもらう形にした点でした。時代の変化に敏感な人が多い若手で構成される30代社員のチームが、現状を否定する大胆な提言をしてくれると期待してのことだったそうです。実際、3つのチームで最も大胆な提言をまとめたのが、30代のチームでした。


80年代前半は米アップルがパソコンを世に送り出した時期です。国内の技術者はいち早く時代の変化に気付き、パソコンの画面を印刷する機器の必要性を訴えてプリンターを開発しました。しかし、米国販売会社は「売れる見込みがない」と営業を断ったのです。81年、私は入社3年目でしたが自ら手を挙げて渡米。翌年、プリンターを拡販するために販売会社のブラザーインターナショナルコーポレーション(米国法人)に出向しました。


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