小林喜光の名言 一覧

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小林喜光のプロフィール

小林喜光、こばやし・よしみつ。日本の経営者。三菱ケミカルホールディングス社長。山梨県出身。東京大学大学院相関理化学修士課程修了後、イスラエルのヘブライ大学物理化学科、イタリアのピサ大学化学科にそれぞれ国費留学。その後、三菱化成工業(のちの三菱化学)に入社。同社中央研究所研究開発室研究員、同社情報電子カンパニー記憶材料事業部グループマネジャー、情報電子カンパニー記憶材料事業部事業部長、三菱化学メディア社長、三菱化学執行役員、常務、三菱化学科学技術研究センター社長、三菱ケミカルホールディングス取締役などを経て、三菱ケミカルホールディングスおよび三菱化学社長に就任。

企業文化を根本から変えるのに10年はかかる。


経営者の大量生産時代は終わった。今は多様性の時代で、とんがった人をいかに作るかが重要になる。


昔も今も経営者の能力はそれほど変わりません。けれど、地獄を見たかどうかで変わるんですよ、経営者の強さは。


企業は何でも政治に頼ってはダメ。役所の反発から緩和が難しい「岩盤規制」ではなく、経営者は「心の岩盤」を崩そう。


我々は勝たなければいけない。勝つためには利益をあげなければならない。これは当然の基本。


新規事業というものをやめてしまえば、企業も成長は終わり。


最後は、いかに付加価値を上げるかということに行き着く。そのためにも、コトづくり、ストーリーづくりが大切。


パラメーターや数値をすべて真実として見る、ということに疑問を持たなければいけない。


景気が「気」であるように、事業というのも「気」。


私は常に、原理原則で考えていきたい。


世界一の技術、世界一のシェア、世界一のチャネルを持っているものは別として、二番手、三番手の事業からは撤退すべき。


中庸バランスであると思うんですよね。ひとつの指標だけをよくしようというような考え方では、程度が低いのではないかと思います。


一番重要なのは、時代の風を感じ、捨てるものは捨て、果敢に新しいものに乗り換えていく。そういうサーフィンのセンスだと思います。


組織というのはポジティブな結果(黒字)を出さない限り、組織である必然性がない、存在意義がない。


目立ち過ぎる事業はなるべく避ける。新規参入が相次ぎ、価格競争が激しくなりますから。


散文的な表現や冗長な文章は、わかりにくいし人に訴えかける力も弱い。


業態も超えて、製造業とIT、サービス企業などが一緒に取り組まないとビジネスにならない。


データに基づいて考えればスピーディに判断できますし、従業員の納得感も高めやすい。


三菱化学メディア社長時代に行ったの改革については後に、同業他社から「誰でもできる」と言われました。確かにその通りですよ。ただ、「早くできるか」は別です。


化学産業は事業の定義はありません。何を手がけてもいい分、「何を捨て、何を選ぶ」のかが経営の最重要テーマになります。


まずは自分にプレッシャーをかけ逃げられないようにして、社員にもプレッシャーをかける。そんな順序で考えています。


私は社長就任以降、経営課題の定量化に注力してきました。経営状況の把握などに定性的な曖昧さが多いと、何も決められないからです。


イノベーションに偶然はありません。セレンディピティー(偶然の発見)という議論が通用するのは超基礎的な研究組織くらいでしょう。天才がいれば話は別ですが、当社にはいても秀才程度しかいません。その秀才にセレンディピティーを認めて自由に研究させると、永遠に成果が出ない可能性がある。


開発競争はマラソンではありません。全速力で走り続けないとあっという間に追いつかれます。開発に20年以上かかるとしても、100m走の繰り返しなのです。


私は時間にはうるさくて、家の中には時計が27個あります。集合場所には時間の10分前には到着していないと気が済まないたちです。


時間内に一定の成果を上げようとすると、自分たちだけでは達成できない場合があることに気がつきます。おのずと自前主義では難しいということを理解できるようになるんです。時間軸や市場のニーズを考えれば、「自前主義」を貫くことは通用しません。


自分たちで稼いでいく、という意識をもっと強く持て。
【覚書き|社員に語った言葉】


なにがあってもやるんだ。やらなきゃ潰れるんだよ。
【覚書き|経営再建策について社員から無理だという声があがったときに言った言葉。この後同社はV字回復し倒産の危機を脱した】


会長にも相談していません。「やめておけ」と言われるのはわかっていましたから。
【覚書き|三菱化学の過去の中核部門を含めた抜本的リストラを開始した当時を振り返っての発言。約2500億円規模の事業から撤退を行った】


社長業の7割は、人事じゃないのかな。少なくとも私は、いつも人事のことが頭から離れない。


蛇を投げ込めばいい。一瞬にして目覚め、逃げますよ。
【覚書き|「企業がゆでガエルにならないためにはどうしたらいいか」という質問に対しての発言】


私は偶然に自分が生まれたということが悔しくて仕方がない人間です。望んで生まれてきたのではないということは、神か、自然の法則かはわかりませんが、何者かによって自分の人生がコントロールされていることを意味します。にもかかわらず、人間には生きる目的すらわからない。これが悔しいのです。この悔しさゆえに、私はこの世で徹底的に自分の思負うことを試してやろう、徹底的に自己を打ち出して死ぬまで暴れてやろうと思うのです。


私がこの時代に求める社員像とは、目の前の存在に対する情緒的な優しさを持った「羊のような人間」ではなく、怒りの感情と同時に、論理的思考に根ざしたグローバルな愛、ジェネラルな愛にあふれあ「あぶないやつ」なのです。


私はこれまでの会社生活の中で、やりたくないことにはNOを言い続け、やりたいことには手を挙げ続けてきました。なぜそれができたかと言えば、捨てることができるからです。そして、捨てられない男はダメな男だと私は思っています。


日本人は「優しい」という言葉が大好きです。この大競争の時代に、この言葉ほど始末の悪い言葉はありません。手近なもの、目の前のものに対する優しさほど危険なものはありません。グローバルな世界には、危険な狼がうようよしています。その中に優しい子羊を放してみても餌食になるだけです。


人は、いくつになっても「怒れる人間」でないとダメだと思います。怒り、悔しさがあるから変えよう、変わろうとするのです。


進化論ではありませんが、強いものが生き残るのではなく、状況に合わせて変化できたものだけが生き残るのです。会社が自分の変化を許容しないのならば、会社を捨てればいいだけのことです。


自分が手掛けている仕事の将来価値を冷徹な知性と論理によって吟味し、見限るべきものはなるべく早く見限り、過去にこだわってはいけません。そして、自分はこうしたい、これがやりたいということを強く前面に押し出していくのです。そういう人間だけが、変われるのです。


自分の人生を主体的に決めるためには、捨てる勇気を持つことが不可欠です。技術屋は往々にして自分が手掛けた技術を愛するあまり、その技術に将来性がないことが見通せていても、捨てることができません。そして、目の前のものしか愛せない人間は、変わることができません。


三菱化成工業に入社する前、イスラエルのヘブライ大学に留学していた時代があります。この時期私は、砂漠に足を運びました。そこで受け取ったのは、「この世には何もないということがある」という感覚でした。そして、何もない砂漠の中に立っていると、心臓の鼓動を明瞭に感じるのです。自己の存在を非常に重く、濃密に感じました。満員電車に揺られて何百人の中の一人である状態では、絶対に受け取ることのできない感覚です。


誰もが変わらなくてはならない大転換の時代に、変わろうとはしない、変われない人々が数多く存在します。彼らは、なぜ変われないのでしょう?それは、なぜ生きるのかということを、真剣に問うていないからです。生きることを真剣に向き合っていれば、人間はおのずと変わっていく存在なのです。


ビジネス社会では時間は命であり、時間を守ることはビジネスの正義です。会議の時間設定も、その時間まで会議ができるという意味ではなく、遅くともそれまでには終わっていなければならないと考えるべきであり、30分の予定を20分で切り上げれば、参加者全員の生産性は1.5倍に上がります。


会議は「何を、誰が、いつまでに」を決めます。つまり、「行うべきアイテム」「実行責任者」「デューデイト(締め切り)」のアクションプランを決めさえすればいい場です。これが曖昧だから長引くのです。


ひらめいたアイデアは大きめのサイズの付箋に書きとめます。そして手帳に貼り付け、仕事へとつなげます。以前は手帳に直接書き込んでいましたが、貼り付ける方式の方がはるかに手軽です。


私はもともと、時間を守ることに関しては強迫観念に近いものを持っていました。待ち合わせも必ず5分前に着き、クルマで1時間で行ける所へも交通渋滞を考え、1時間半前には出るのが習性です。自宅にも時計がトイレ、洗面台、階段、そのほかいたるところに置かれ、家内が数えたら全部で22個もありました。朝、歯磨きをしながら時計を見て、出勤時間に間に合うよう段取りを調整します。腕時計も何個も持っていて、どれも時刻は正確に合わせてあります。これも性格なのでしょう。いまでも入学試験に遅刻する夢を見て、ハッと飛び起きることがあるほどです。


アクションプランで重要なのがデューデイト(締め切り期限)の決め方です。本人に決めさせると、サプライヤー(供給)サイドの都合で余白を取ろうとします。そうではなく、いつまでにマーケットに投入すべきか、ディマンド(需要)サイドの視点で上司が主導権を取って決めなければなりません。そして期限を決めたら、進捗具合のモニタリングを適時行うのは言うまでもありません。


私が東大の修士課程を修了後、放射線科学の勉強をしに留学したイスラエルにはシャバットと呼ばれるユダヤ教の安息日があり、毎週金曜日の日没から土曜日の日没まで、人々は一切の労働をせずに過ごしていました。安息日は宗教上の理由とは別に、時間管理の視点から見ると、精神を活性化するための人間の知恵ではないかと思います。というのも、安息日モードのときほど、いろいろなアイデアがひらめくからです。


休日は仕事メカから人間に戻る安息モードです。取引先などとゴルフの予定が入ることも多いですが、そうでなければ、特に何もせず、庭の植木や盆栽に水をやったり、飼っている金魚やメダカを眺めたりしてぼんやりと過ごします。


平日は、朝7時半に出社し9時まで、よほど緊急な要件以外、何があっても予定入れず、情報収集、会議の予習、メール返信などにあてます。この時間帯は1日で唯一の自分の時間です。以降は秘書がグループウェア時間管理ソフトで作成し、プリントアウトしたスケジュール表に沿って、仕事メカとなって予定をこなしていきます。


三菱化学メディアの社長として同社の再建に挑んだ際、赤字の事業を一年後までにROS(売上高純利益率)5%にするという不可能に近い目標を掲げました。ぬるま湯に浸かったカエルを跳びあがらせるには、ヘビを見せる必要があったのです。ROSは翌年、15%に急伸しました。ウォーム・ハートとクール・ヘッドは、両方とも不可欠なのです。


事業部長だったころは、収益をあげろといった単純な指示でよかったのですが、レイヤー(階層、役職)が上がるにつれ、指示する相手の数も場面も増えるため、明確さや論理性に加えて、カリスマ性や情緒性が必要となります。


どんなに明確な指示を出しても響かない人は必ずいますが、関わるだけ無駄です。パッと響く人に指示を集中させるのです。そのためには、ときに組織のラインを無視してもいい。自分の頭越しに指示が飛ぶようなら、怒るよりも自分が信頼を得ていないことを恥ずべきです。


例外をつくらないことは、指示をする際に重要なことです。しかし、勝負と感じたときは、当人なりに解釈させて、たとえば接待費も大きく使わせればいいのです。


論理のない情緒は、組織の中では意味を成しません。指示は、いかに論理的かつクールであるかが肝心で、数字も明確であるべきです。


37歳で光ディスクなどを製造するメディア部門のグループリーダーだったとき、2億円を調達して射出成型機を買うべく事業計画を書きました。ところが、一読した当時の研究所長は「おい、これじゃ全共闘の文章だ」と言いました。文面には「絶対やるべし」などと感情的な言葉が並んでいました。所長は、「本社の官僚的な組織にいる人間にこんなのを読ませたら、経営会議にあげてもらえるわけがないだろう。あくまで淡々と、真実だけを書け」と、計画書に赤字を入れてくれました。


いまは、グループの総勢3万900人に向けてイントラネットで月数回、文章を載せています。そのときも、「あなたたちはこの会社で何のために働いているのか」「この会社に何のために存在しているのか」をどう問いかければいいかに腐心しています。いまのような厳しい時代ならなおのこと、魂の入ったキャッチコピーを頭の中でつくる技術が必要です。


私は会議では思ったことを率直に遠慮なく発言するようにしています。激しい指摘も怒りの言葉もズバズバ口にします。CEO(最高経営責任者)としては会議を通して理念や指針を示し、意識の共有化を図ることも大切です。そのためにも、遠慮なく私の思いを伝えるようにしているのです。


いま当社は生き残るために崖っぷち感覚を持って、変わらなければならない時期です。上の方の人間が変わらない限り、全体は変わりません。ぬるま湯に浸かっているカエルは徐々に水温が上がっても感じないで、気づいたときには茹でガエルになってしまいます。そうなってはならないのです。「会社を変えるのだ」というメッセージをこめて、私は社長室にカエルを飼っています。


私は会議に関しては根回し不要論者です。論理に裏付けされた結果があればOKです。


グローバルな展開で諸外国と交渉で渡り合うことも必要です。そのためにも、まずは社内の会議が、無駄な儀式を排した自由闊達な議論の場でなければならないと思います。


私はこういう弱い人間の一人だけど、本気で命がけで戦っているという姿を社員に見てもらうことこそ、現代のカリスマ性につながると私は信じています。


現代のカリスマ性は、かつてのそれとは異なります。私が若いころ、社長は雲の上の存在でした。発言など何も聞こえてこない。そういう形でカリスマ性が醸し出されていたわけです。ところが現代では、IR活動なども含め、自分を知らしめようとしないのは、むしろ無能の証拠です。だから無理をしてでも真っ裸な自分をさらけ出して、こういう俺と一緒にやろうと呼びかけているのです。


人を動かすためには論理が大切です。とくに若いころはそう考えていました。いまでも基本は同じですが、年齢を重ね、ポジションが上がってくるにつれて、カリスマ性や情緒性も必要だと感じるようになってきました。企業やグループというひとつの組織の中には、頭にあたる部分から手足までいろいろあるので、私の目指す方向やメッセージを全部の人に理解し納得してもらうには、ある程度、感性的な面も必要だということです。つまり、カリスマ性で人を動かし、組織を引っ張っていくのです。


私が国際会議で実感しているのは日本人の交渉能力の貧弱さです。欧米人に比べて圧倒的に弱いのです。日本の教育にディベートの訓練がほとんど皆無なのは日本として大きな問題だと思います。


経営の問題を討議する会議では、ひたすら怒ります。とくに発言に意識のズレや甘さを発見したときは許しませんし、逃がしません。たとえば、何年間も赤字なのに、黒字にする努力計画や意欲も示さないまま、「こういう状況なので、予測では今後もこの程度になるでしょう」などと平気な顔でプレゼンする事業部長クラスには「もう一回、頭に汗をかいて出直してこい」と、ガツンとやります。会議でガツンと叱ったあとには爽やかにフォローします。そういう点も心がけているつもりです。


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