小川栄一の名言 一覧

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小川栄一のプロフィール

小川栄一、おがわ・えいいち。藤田観光の実質的創業者。京都帝国大学卒業後、安田信託銀行に入行。本店の貸付係長、貸付課長、営業部次長、豊島園社長、日本曹達役員、日曹鉱業常務、ラサ工業常務などを務めたのち、財閥鈴木商店の破たんの巻き添えを食った藤田財閥の整理を太平洋戦争中から任され、整理再建のために藤田興業を立ち上げ社長に就任。同グループの経営再建をしつつ、新たに観光事業を起こし椿山荘、小涌園などの旅館をオープンさせた。そのほか東海汽船社長、国土総合開発社長なども務めた。

私は現在もなお、借地の上の狭い家に住んでいるが、そのわけは人間には不平がなければ働く意欲を失うからである。不平はエネルギーである。私は人間にある無限の不平とともに歩むことが、大衆とともに歩むことだと思っている。


昔は学問がなくても立派な人間がいた。私はここで世の親御さんにお願いしたいのは、名をあこがれ、無理に子供を有名校に入れて、その魂を殺すよりも、子供の精神がのびのびと成長するよう心がけるべきだということである。私が世に出て感じたことは、いわゆる大学での秀才のみが社会のために尽くしているのではなくて、目に一丁字のない人がいかに世のため、人のためになっているかであった。


運・鈍・根の信念を教えられた。以来、今日まで私は両人の悪口は一切言わないでいる。
【覚書き|日本曹達、ラサ工業の常務時代、両者の社長に大変苦しめられた経験について語った言葉。】


インテリは弱いものである。自分の理論が敗れると即座に退散する。昔の戦国時代の人間は、最後の一兵卒になるまでその城を枕に討ち死にするという執念と深いがめつさがあった。それに比べれば、いまの人の若い強さはインスタントな強さで、自分の理論が崩れたらガタガタと行きやすい。滅びざる過去の20年、30年の伝統が一朝一夕に滅びるはずがないというふうには思わないらしい。


「この伏魔殿をガラス張りにするためにはどうすればいいだろう」私は考えつめた末「日本でいちばん優秀な鉱業技術人を持ってきて根本から生まれ変わらせるほかない」という結論に達した。
【覚書き|日曹鉱業専務として同社の経営再建を任されたときを振り返っての発言】


入社して9年目、私は本店の貸付課長になった。ときに35歳。その間、仕事の関係から酒を飲む機会も多くなったが、酒の席で見た人間は調査に頼らなくとも「これは優良貸しになるかどうか」すぐにわかるようになった。だいたい我々から金を借りながら、自分のめかけ、てかけの芸者をそばに置いて、二次会、三次会をやるような人間にロクな奴はいない。


しょせん月給取りは憎まれる「とり」なんだな。5円、10円、いまならば1000円、2000円という昇給にきゅうきゅうしておっても、それは人生の中のほんのつまらんことじゃないか。そんな月給取りにならずに、俺は月給をあげる人になろう。
【覚書き|安田信託銀行勤務時代を振り返っての発言】


学校は人生の牧場である。その牧場の中で一人恵まれて育った者までが、先に立って悪いことをしたんでは申し訳ない。みんなには悪いが俺は就職して、自分の出世よりもみんなの職場をつくろう。職場をつくってそれをひとつひとつ分けてやろう。


一番素晴らしい人間というものは、父のような冷静さと母のような愛を持たなければならぬ。このふたつが混然として集まってできたものが完全な子供だと思う。キリスト主義だけでもいかん、科学だけでもいかん、愛情だけでも駄目だ。このふたつを持つ人間に私はなりたい。


不平はエネルギーだ。人間は不平がなければ、働く意欲を失ってしまう。


自然の姿は林であり、森なのだ。木が二本で林、三本で森と書く。集団で移せば必ず根付くものだ。これは植物の世界だけでなく、動物の社会でも、人間の社会でも同じことだ。


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