宮田玲(経営者)の名言 一覧

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宮田玲(経営者)のプロフィール

宮田玲、みやた・あきら。日本の経営者。フレキソ製版システムの「渡辺護三堂」社長。大阪出身。富山大学経済学部卒業後、大同生命に入社。その後、明治23年から続く家業の「渡辺護三堂」に入社。専務取締などを経て社長に就任。

やはり私は「企業は人」だと思います。大半の時間を会社で過ごすのですから、「人」が楽しさとか生きがいを感じられないと、結局は企業の力にもなりません。だからフレンドリーでチームワークのいい、厳しくても根底に愛情を持った組織でありたいと思っています。


私は、若い人たちにも思い切って自由にやらせて、少々の脱線は見守るという、祖父以来の伝統を踏襲していきたいと思っています。ただし、本当にダメな局面になったら自分が出ていかないといけない。ですから、しっかり見守って、責任だけは私がちゃんと取るという姿勢を崩さずにいたいと思うのです。


入社後数年は、父は私に、かなりいろいろなことを言いました。ときには、なにもそんなことまで……ということまで注意や指示をされたものです。でも、「おまえの好きにせえ」と言われた社長就任一年前からは、一転して父は私に何も言わなくなり、本当に好きにさせてくれました。それは見捨てているというのではなく、私が失敗しても我慢して見守るという態度だったように思います。失敗だらけでしたが、あきらめずに見ていてくれたことに、私はとても感謝しています。


社長になって7年、ようやく経営も安定してきて思うのは、経営というのは慎重にやらないといけないということです。安易にお取引先や従業員を切り捨てるというのは、根本的に間違っているということに気がついたのです。そして、人と人の心のつながりを大切にすることがいかに大変でいかに重要なことかという、子どものころからの祖父の教えが、やっと実感として理解できるようになりました。


技術を高め、どこまでも追求していくことは、ものづくりの会社として忘れてはならないことでしょう。ドカンと大きな技術革新を狙うのもいいですが、そういうものはえてして消えるのも早かったりします。泥臭いかもしれませんが、ひとつのことを、ずっと諦めずに極めていく地道な努力のほうが、私たちのような基礎技術系の中小企業は大事なのだと思います。そうした努力が、信頼につながっていくのだと思います。


私から父に「ぼくが継ぐべきなのか」と聞いても、「自分の好きにしたらええ」と言うばかりでした。結局、私は継ぐつもりなど、まったくなかったというのが、正直なところです。でも最終的には、私は自分の意思で家業を継ぐと決め、自分から父に「やらせて(入社させて)ください」と言いました。だから、絶対にやり通さなければいけない、少なくとも次の代にきちんと引き継ぐまでは、この会社の火を灯し続けないといけない、という使命のようなものは感じています。これが、親に「継げ」と言われて継いでいたとしたら、「この事業は成長しなくてもしかたない」などという逃げの意識が、もしかしたらあったかもしれません。その意味では、父から継げと言われなかったのはよかったと思います。


祖父は、私が物心つくころから商売の基本を教えてくれました。祖父とは別居ながら家が近かったので、よく会っていました。というよりむしろ、将来の跡取りとして祖父が積極的に私を連れ出してくれていた面が多かつたようにも思います。跡取り、商売の基本と言っても、祖父が教えてくれたのは、帝王学とか、ビジネスの基礎知識とか、そういうものとはちょっと違いました。人としての礼儀であったり、仕事やお客様に対する考え方であったりです。


私の会社は印刷用の「版」を製造する、ものづくりの会社です。しかし代々、「商売人」としての意識も強い会社でした。大阪生まれ、大阪育ちの企業ということは、理由のひとつかもしれません。つくることも売ることと同じで、「お客様のために」に尽きるということなのでしょう。だから、ものづくり(工業)の会社でありながら、商売人(商業)の感覚も多分に持ち合わせているのだと思います。


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