宮永俊一の名言 一覧

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宮永俊一のプロフィール

宮永俊一、みやなが・しゅんいち。日本の経営者。三菱重工業社長。福岡県出身。東京大学法学部卒業後、三菱重工業に入社。日立との合弁会社エムエイチアイ日立製鉄機械社長、三菱重工業執行役員、機械事業本部副事業本部長、機械・鉄構事業本部副事業本部長、取締役常務機械・鉄構事業本部長、副社長執行役員、社長室長などを経て社長に就任。

すべてうまくいくわけじゃないし、やっても勝てるか分からないけど、やらなければもっと劣後した位置に追いやられる。


目標はコミット(約束)だから、やり抜いて達成しなければならない。言い訳をしてもしょうがない。


グローバルで戦うということは、常に危険があって当然なんだ。そう思わなければならない。ミスは起きるもので、起こった時にどう解決するのか。それが問題だ。


やっている人たちはプライドがあるから、何か聞いても「できます」と答える。でも、ちょっと変だなと思った時に、見極めてそこに手を入れていく経営の判断力が問われている。


自分が間違っているという不安感を埋め合わせるために、厳しいことを言ってくれる人となるべく話すよう心がけている。


うまくいかない部分があれば、なぜそうなったのかを考える。できていることと、できていないことを分析して、対策を取る必要がある。


世界で戦っていこうと言っても、日本の中さえバラバラではどうしようもない。


常に追いかけられ、今そこにある脅威だけに対応するようになると、人間は疲れちゃうから、組織がダメになってしまう。


常に客に対して可能性を提示し、客のニーズをこちら側からつくり出すような営業が展開できれば、必ず勝算はある。


1990年代後半から製鉄機械の仕事が激減、歯を食いしばって頑張っていると、多くの人たちが助けてくれました。合弁会社(三菱日立製鉄機械)では日立の社員たちと一緒に働き、常に相手の立場になって考えるよう努めました。


私の座右の銘は「生は奇なり、死は帰なり」です。死は大地に帰ることであり、人生は仮の宿にすぎない、という中国の故事です。縁あって与えられたいまの人生、何事にも前向きに頑張りたい。


この数年間、急激な改革、変革が同時に起きた。そこについては「速すぎるんじゃないか」という声もある。戸惑う人も多く、現実には改革が十分に浸透しているとは思っていない。それでも三菱重工は変わっていく。変わっていく方向がポジティブだという考えは、三菱重工グループにいる多くの人たちが共有している。


自分よりもすごい経営者がいて、負けている、引き離されている、そんな恐怖心がある。それを補うために勉強していく。そうすれば間違える確率は下がる。大きなミスがなければ、生き残ることができるはずだ。


私は迷信深くないが、神に祈るような気持ちだ。自分で判断したことが、少しでも正しい道であってほしい。今、自分がやっていることは100点満点ではないし、そんなにいい点数ではないのではないか。常にそう思いながら、経営をしている。


退路を断つことによって、日立さんも、より一層頑張ってくれるのではないかという思いがありました。
【覚書き|三菱重工業と日立の合弁会社「三菱日立製鉄機械」社長になったとき、三菱重工業を退社したことについて語った言葉】


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