宮本慎也の名言 一覧

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宮本慎也のプロフィール

宮本慎也、みやもと・しんや。日本のプロ野球選手(内野手)、野球解説者。大阪出身。小学3年で野球を開始。PL学園在学中に甲子園出場。同志社大学硬式野球部、社会人野球のプリンスホテル硬式野球部を経てヤクルトスワローズに入団。アテネ五輪、北京五輪で野球日本代表キャプテンを務めた。引退後は野球評論家、解説者、日本野球機構調査委員などを務めた。

トライしてみようとする素直な子は必ず伸びる。


最近の若い世代は、何か教えても「自分はこう思います」と主張してくることが多い。そこで、彼らの意見をいったん尊重し、失敗したら「今度は、私のやり方でやってみないか」と段階を踏んで助言しています。


アテネ五輪予選の祝勝会のとき、私はチームの全員に手紙を渡しました。現地解散で、みんなに感謝の言葉を伝える機会がなかったのです。全員に「ありがとう」と書いて、それぞれの部屋に忍ばせました。実は昨年、引退したときに高橋由伸選手から「あのときの手紙をずっと保管しています」と言われて……。もっと丁寧に書けばよかったと後悔しましたが、気持ちが伝わったのは嬉しかったですね。


野村(克也)監督には随分叱られたので、ある日父に愚痴を言ったことがあります。すると、父が手紙をくれたのです。「自分は好きではない仕事を、家族を養うために続けてきた。おまえは好きなことをやって金を稼いで幸せなはず。プロとして一生懸命にやれ」と書いてありました。ありがたかったですね。改めて父に感謝しました。


「ダメだったら変えてみる」のは、簡単そうに見えてとても勇気が要ることです。みんな、自分のスタイルにこだわりがあるから。私の場合は変化する勇気を持てたことで、プロで19年間やれたのだと思います。


社会人時代に経験した、都市対抗予選の緊張感は半端なものではありませんでした。2年目の東京都予選で敗れ、11年連続出場が途切れてしまい、冷たい視線を浴びながら、皿洗いをしたことが忘れられません。でも、そんなつらい経験がプロになっても生きたし、社会人野球を経験できて本当に良かったと思っています。


PL学園時代、中村(順司)監督の「球道即人生」の教えは、野球の練習以上に厳しくて、先輩の身の回りの世話や掃除などを徹底して教えられました。でも、そんな繊細さを身につけることが、野球の技術向上にもつながったと思います。


PL学園時代に、中村(順司)監督から「球道即人道」という言葉を教えられました。人間を高めることが、野球道を極めることにもつながるという意味です。私はこの言葉を色紙にも必ず書いています。


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